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2004年7月17日 (土)

入力する女の子は必要なのか

「tsuruaki:ITニュース」を運営する湯川鶴章さんの話をきく機会があった。16日、新聞協会の勉強会のゲストとして招かれ、小一時間、マイクを手に熱弁されたのだが、わたしの知らない話がいくつもあり、勉強になった。(ちなみに、この勉強会では過去に、インターネット新聞JANJAN代表で元鎌倉市長の竹内謙さんも講演しています)

湯川鶴章さんといえば、NECの青木日照さんと共著で『ネットは新聞を殺すのか』(NTT出版、2003年)を出版したジャーナリストで、いまやウェブログ界の広報マンのような存在だ。勤務先は某国際通信社で肩書きは編集委員。社外活動と社内業務を融合して両立されているようだが、さぞ大変なことだろうと想像する。

新聞協会の勉強会はクローズドな性格なため、あれこれと詳細を書くわけにはいかないが、さわりを紹介するくらいは許されるだろう。湯川さんは、社内外の編集幹部たちに個人でブログサイトを立ち上げること勧めてきた。以下は、その一コマ。

「あんたもブログやりなさいよ」
「興味はあるんだけど、どうすればいいのかわからない」
「ブログツールを手元のパソコンに入れるとか、プロバイダのものを利用するとか。どちらにしても、大した金も手間は必要ない」
「そんな簡単にできるのか?」
「今からでも、すぐに始められる」
おい、待てよ。入力する女の子も必要だろ?
「……」

上記のようなやりとりが本当にあったのか、話を面白くしなければならないという関西人気質のため誇張されているのか、真相はわからない。(湯川さんは和歌山出身。大阪人の「おじさま」が、「オイヤン!」になってしまう地域)

もう一つくらい紹介しても叱られないと思うので、書いてしまうが、湯川さんは、新聞社がブログを上手に利用すれば、読者との距離を縮めることができるのではないかと提言していた。「距離」というのは物理学でいうところのものいではなく、社会心理学的な意味。大手新聞社・大手放送局に勤務する記者たちの世界観や人生観といったものは、すでに一般市民(庶民)から大きく乖離している。こうした事実から目をそらすことなく、ウェブログを活用しようというのが湯川さんのスタンスのようだ。

この時代、新聞の社説が「政府は、私たち国民の声を聞け」のような政府批判を書いたとしても、かつてほどの説得力はない。すくなくとも、わたしは白けてしまう。新聞というものが国民の声(世論)を代表していると信じているのは、その記事を書いている論説委員くらいだろう。そして、そうした論説委員たちの中には、ウェブログひとつじぶんで立ち上げられず、湯川さんに「入力する女の子はどうする?」などとボケをかましているのが実状なのだ。

湯川さんに個人的にお聞きしたかったのは、二足(三足?)のワラジを履くことに対する風当たり。わたしのブログは、某通信社の公式ウェブサイト編集長がアフター5に書いているものではなく、むしろ、某国立大学大学院修士課程で社会情報学を研究する初学者が綴るつぶやきなのだが、いろんな意味で、じつのところ切り分けが難しい。時間があれば、研究対象として、業界の先輩として、いろんな話を聞きたいなあと思いました。

■ネットは新聞を殺すのかblog http://kusanone.exblog.jp/
■tsuruaki:ITニュース http://tsuruaki.cocolog-nifty.com/tsuruaki/

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コメント

 ひえーーーーー。「入力する女の子」ですか。やばいですなあ。先日、メディア産業論で有名な某先生(69歳 もとT大学の教授、いまは他の私立大学にいらっしゃる)のお話を聞く機会があったのですが、blogなんて余裕で知ってたし、あらゆるメディアのことに詳しく、ネットについてはたぶん私より詳しいのでは???という感じだった。もうすぐ70歳っていってたけど、すごい人だと思いました。

投稿: ゼミパートナー | 2004年7月26日 (月) 03時03分

まさに、「ひえーーーーー」、なのです。「入力者=補助職=女の子」という図式も分かりやすすぎ。フェミニズム運動に縁のないわたしでさえ「げっ!」なのでした。

でも、我こそ報道機関で「男の花道を歩いてきたゼ」というオヤジほど、いろんな意味で無頓着。そういう振る舞いを「あの人は無頼派だなー」などと美化するバカが多いのも事実です。オヤジワールドも、バカばかりです。

ところで、元T大教授でメディア産業論の専門家といえばダレですか?

投稿: 畑仲哲雄 | 2004年7月26日 (月) 23時15分

 ご丁寧なご紹介ありがとうございます。湯川です。入力の女の子の話は誇張なし。実話です。しかも同じ反応のおいやんが二人もいました。
 2足、3足のわらじの風当たりは、どうでしょう。いろいろ批判があるのかもしれないけれど、鈍感なのでよく分かりません。気をつけていることは、低姿勢。自分の部署(産業部)以外では、かなり年下まで「さん」づけで呼ぶようにしています。それに社内では、自信なさげに肩を落として歩くように気をつけています。
 時間があれば、連絡ください。4時ぐらいからプレセンのラウンジでビールを傾けましょう。
 最後に和歌山のおいやんに聞いた天国の話を披露してわたしの挨拶に代えさせていただきます:「あのよ~」

投稿: 湯川 | 2004年7月26日 (月) 23時17分

コメントをいただき恐縮しています。失礼なことも書いていたような…… どうか、許してくんろ、おいやん。

私はアルコールがダメなのですが、プレセンのラウンジで午後4時ごろからアフター5について語りたいです。ただ、アテネ五輪が終わるまで、仕事に縛られ時間が取れそうにありません。ごめんなさい。いずれにしても、絶対に連絡させていただきます。

ネットは新聞を殺すのかblogで湯川さんが論じられていた「ジャーナリズムの定義」はたいへん考えさせられました。大手メディアに長年勤めると、自分自身がジャーナリズムの担い手であるのかどうか、自分の活動はジャーナリズムなのかどうか、自問自答する機会になかなか恵まれません。だれも当然自分はジャーナリズムの中心にいると勘違いしていますから。(反省を込めて)

「ジャーナリズムの定義」を読んでいて、林香里『マスメディアの周縁、ジャーナリズムの核心』(新曜社,2002)を読んだときの衝撃を思い出しました。

投稿: 畑仲哲雄 | 2004年7月27日 (火) 01時07分

自分でも2足、3足のワラジのことが気になっていろいろ考えてみました。なぜそのようなことが可能か。恐らく答えは「ネット」だと思います。
ご存知のように記者仲間の間では「ネットで情報収集するやつは記者じゃない」とい風潮がまだ残っています。わたしも一年生記者から「湯川さんのやり方はジャーナリズムではない」と批判されたことがあります。ははは(笑)。
周りの多くの人間が「足」だけで情報収集する中で、わたしは「足」と「ネット」を使います。「鬼畜英米」とばかにしながら竹やり訓練している人に対して、こちらは常に新兵器を探しているわけです。
インプットが違うのでアウトプットも違う。社内の仕事に専念し、記事を書きまくっていた時期がありました。2000字ほどの長文原稿を月に6本ほど書くという仕事を2年近く続けたのです。褒められるのかなと思ったら、「あいつはネットを使うからあれだけの仕事をこなせるんだ」ということになり、前述の一年生記者が言うような批判を受けたわけです。
がんばってるのに批判されるのは面白くないので、社内の仕事を人並み程度にスローダウンしました。これで批判が収まりました。おもしろいものです。
余力ができたので、外部の仕事を引き受けていたら、現在の状態になったということです。でも最近は外部の仕事が多くなり過ぎたので、また社内の仕事にシフトしなければならないと思っています。特に、ブログに時間を取られ過ぎ。人のブログにまでコメントを書きまくっているんですから。と言いながら、またしても長文コメントを書いてしまった。

投稿: 湯川 | 2004年7月27日 (火) 10時12分

湯川さん、毎晩のようにコメントをいただきありがとうございます。

新人記者から「湯川さんのやり方はジャーナリズムではない」と批判されたエピソードには、思わず吹き出しました。こういう、ツボを押さえたハナシをさらっと書ける人は、ジャーナリストというよりも、噺家か小説家のスジかもしれません(失礼!)。

社外活動ができるのはなぜか--「答えはネット」というご説明にはナルホドと思いました。

わたしは以前、ドタバタ小説を出版して全国紙の文芸欄で取り上げられたことがあるのですが、このときは勤務先ではボロクソに叱られました。「そんなん(小説を書く)より、ちゃんと仕事せぇよ!」「おまえの仕事がエエ加減なのは、くだらんこと(小説執筆)しとるからや」…… そんな理不尽とも思える罵倒を受けながら、さまざまな思いが脳裏をよぎりました。(最初に思ったのは、なんーや仕事サボってのがバレてたんか!)

湯川さんほどの実績をお持ちの方でも、リーマンとしてのご苦労が多いという話は、われら“後輩”として共感したり教えられたりするだけでいけませんね。いずれにしても、オンライン・ジャーナリズムについて、一度ゆっくりと話を聞かせていただきたいと思います。その節はよろしくお願いいたします。

えーと、まったく関係ありませんが、和歌山弁で像が「ドウ」、材木屋が「ダイモッキャ」になりますが、ジャストシステムのATOKが方言入力に対応するようになれば面白いですね。

投稿: 畑仲哲雄 | 2004年7月27日 (火) 23時35分

 えっと、このすごい方は桂敬一先生です。
岩波から「現代の新聞」という本を出されています。
Wさんとサシで話せる唯一の学者みたいです。

投稿: ゼミで一緒だった女の子 | 2004年7月29日 (木) 16時05分

ゼミパートナーの「女の子」さま! なんとまあ、あの桂先生だったのですか!

桂先生の『現代の新聞』(岩波新書,1990)は名著ですね。私は毎日新聞社を退社したばかりの迷い多き頃に読んだのですが、とても感動しました。『日本の情報化とジャーナリズム』(日本評論社、1995)もとても勉強になりました。「新聞研究」に論考を書いたときも、引用させていただきました。

そうそう。最近では、花田達朗編『論争いま、ジャーナリスト教育』(東京大学社会情報研究所研究)の中で名前を見つけ、記事を拝読しました。“産学協同のジャーナリスト養成教育なんて失敗する”などとという(言いにくいことを)ズバーっと書いてらっしゃって、とても気持ちよかったです。

桂先生ならば、きっとW氏ともサシで話せるでしょうネ。(W氏ってダレ? なーんてヤボなことは聞かずにおきます)

話は変わって、ゼミパートナーの「女の子」さま、夏学期は本当にお世話になりました。いろいろと助けてもらい、とても感謝しています。冬学期もよろしくお願いします。

投稿: 畑仲哲雄 | 2004年7月29日 (木) 23時11分

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