Caught in Between
国際情報政策に関する授業の後、大学院内で催されたワークショップに飛び入り参加した。いつもは5限目の授業が終わると、さっさと職場に戻り仕事をするのが「お約束」だが、たまには大目に見てもらってもいいだろう、と足を運んでみた(許せ、同僚)。
東京大学大学院・情報学環
<戦争とメディア>プロジェクト
「Caught in Between~『故郷(くに)』を失った人々の物語」上映と映像作家リナ・ホシノさんを囲むワークショップ
なんの事前知識もなく、ボケーっと見はじめたのだが、ずんずんのめり込み大いに考えさせられた。正直いうと、学内で配布されていたパンフレットをチラっと見たとき、《いわゆる日系アメリカ人の強制収容所にまつわる暗い話》を想像した。でも予想は大はずれ。描かれていたのは〈9・11〉によって再び姿を現した米国社会の裏面を、少数者の目を通して映したものだった(とわたしには思えた)。
ホシノさんは「9・11以降、マスメディアが伝えようとしないことがたくさんあった」と話した。2001年9月11日の「米同時多発テロ」が起こってから、少なからぬイスラム教徒の人たちが次々と拘禁された。そのことを米国のマジョリティは支持し、あるいは見て見ぬふりをした。米国を〈home〉と思っていたマイノリティたちは、「帰れ」と罵られても、帰れる場所がない。そうしたアメリカ社会の変わりざまが、内外にどれだけ伝えられただろう。
マスメディアがどのように伝えていようとも、サンフランシスコの日系人にとって“ムスリム排除”は他人事ではなかった。なぜなら、9・11以降のアメリカ社会は60数年前の〈パール・ハーバー〉以降の日系人へのバックラッシュ(backlash)に通じる素顔を見せていたからだ。ブッシュ大統領も「パール・ハーバー」を口にし、一連の自爆攻撃をかつての旧日本軍になぞらえていた。60数年前の日系人は自らの運命を「しかたがない」と受け入れたことへの忸怩たる思いもある。そんな中でリナ・ホシノさんはカメラを手にした。
"Caught in Between -- What to call home in times of war" は日系人がイスラム教徒と手を取り合うようすを描く。ムスリムたちは日系人が受けた差別や抑圧を知り、一緒に「ツールレイク強制収容所(Tule Lake camp)」を訪れて交流する。ささやかかもしれないが、記録にとどめておくべきマイノリティたちの姿が収められている(ネタバレになるといけないので、内容についてはあまり書かない方がいいだろう)。
この作品を見ながら、マイケル・ムーア監督『華氏911』が脳裏をよぎった。ブッシュ大統領の無能ぶりをあげつらったプロパガンダ映画を見たわたしは、笑っていいのか怒っていいのかよくわからない複雑な気持ちになった。でも、"Caught in Between"を見たわたしは、どこか良い気持ちになっていた。日系人たちが善い活動をしていたからだ。日本になにがしかのルーツを持つ人々が不当な差別に苦しむムスリムに手をさしのべる。そんな美談を素朴にうれしく思っていたじぶんを発見し、冷や汗をかいた。(ホシノさんは美談を紹介するためにこの作品を撮ったわけではないと思う)。
もうひとつ発見できたのは、わたしが漠然と考える「日系人」と、今日のサンフランシスコ日本人町の人たちの姿とは大きく異なるということだ。ホシノさん自身、日本人の父と台湾人の母の間に生まれているし、映画に出てくる日系人のなかには、ムスリムのベールをかぶっている人もいた。どの人も複雑なバックグラウンドを持っている。時は流れ、人は混じり合い、文化や宗教をまたいでゆく。人々のアイデンテティは揺らぎ、カテゴリーは使い物にならなくなる。ホシノさんたちは自らのことを「Nosei」と呼ぶ活動をしている。1世でも2世というカテゴリをひっくりかえす表現なのだそうだ。日本でマジョリティとしてのーんびり暮らすわたしなどよりも、彼ら/彼女らは厳しく試され、問いつめられ、鍛えられるのだろう。
ホシノさんは、これから11月いっぱいかけて日本各地をかけまわり上映会をする。日米のマスメディアが伝えないものを伝える活動は、オルターナティブなジャーナリズム活動といっても差し支えない。多くの人に見てもらいたい。
(吉見先生、村上先生、関係者のみなさん、どうもお疲れさまでした)
■"Caught in Between -- What to call home in times of war" official site
■root-bサイト CIB日本ツアー2004の上映スケジュール
■毎日新聞ユニバーサロン記事
■アジア系アメリカ人研究会のページ
■ViVa!(ボランティアとNPOのコミュニテイィサイト)イベント欄
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コメント
興味深い内容ですね。この企画もいきたかったのですが時間が合わず残念。
戦争つながりで、藤原帰一『戦争を記憶する』講談社現新書 おすすめです。
正しい戦争、日本の反戦、公的記憶、私的記憶ナショナリズム、などのトピックを視点をずらしながら整理している。
自己のおきどころを確認するために、社会通念、イデオロギーを相対的に捉えてみるという試みがされている。
実物の藤原先生はキレスギて怖いので本で読むと一安心です。
投稿: JOHNY | 2004年11月30日 (火) 01時57分
忘れないうちにメモしておこう。
11月29付の朝日新聞夕刊3面に、リナ・ホシノさんが取り上げられていた。平山亜理記者の署名記事。ここでホシノさんはこんなコメントしている。
「モスクが焼かれ、自分にも危害が及びかねないのに、声を上げた日系人の勇気を記録したかった」
これは映画を撮るにあたってのモチベーションのようだが、これを読みドキっとした。わたし自身、この映画に出てきた「日系人」の行動にジーンときた。
でも、そういう「ジーン」というのは一歩間違うと“民族主義”っぽくなるなあー、なんて思ったりした。
投稿: 畑仲哲雄 | 2004年12月 2日 (木) 00時14分
はじめまして。哲人30号と申します。
自分も『Caught in Between』を観てジーンときたタイプです。偏狭な民族主義は困りますが、本来、日本が9・11後の世界で果たすべき役割は、本作で描かれている様な立場ではなかったかと思っています。少なくともその方が、自分は日本を「美しい国」だと思えたし、愛国心も持てたでしょう。
投稿: 哲人30号 | 2006年12月 9日 (土) 18時24分