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2004年11月23日 (火)

へなちょこ講師

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本日(22日)、教壇に立ちました。遠いむかし廊下に立たされた経験はありますが、一日だけの特別講師とはいえ教壇に立ったのです。しかも天下の東京大学で。わたしみたいな者が教壇に立ち、パワポを操るなんて分不相応なことですが(だって、まだ修士1年生なんだもーん)、どうにかこうにか時間まで務めることができました。ふう。

思い起こせば、あれは秋の昼下がりのことでした。冬学期の履修登録について相談をするため研究室を訪れたわたしに、指導教官は「授業やってみない?」と切り出したのです。情報学環教育部では毎週月曜5限目(17:05~18:45)に「マス・コミュニケーション論」という授業が行われており、複数の教員が持ち回りで教えています。わが指導教官もその一人で、受け持ちのコマのうち一部を社会人の院生に任せようという計画だったのです。

「やりなさいよ」と言われたときは、「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは口べただし、あ、あ、あ、頭も悪いので…」と首を横にふっていたのですが、「自分自身のためにもなるのよ」「修論の構想を練るのにも参考になる」「きっといい経験になる」・・・・ と説得の言葉を聞かされているうちに、なんだか目がとろんとして眠くなり・・・・(そうだ、ボクは「マス・コミュニケーション論」の授業するためにこの世に生まれてきたんだ)というヒラメキが浮かび上がり、ふと気が付くと教官の差し出した紙にハンコを押していたのでした。

きょう話した内容は「新聞とインターネット」について。インターネットの登場で新聞社と新聞記者はいったい何を問われ、どのような影響を受けたのか。内部的自由、編集権、著作権、表現の自由、討議的な公共圏、参加型ジャーナリズム、記者ブログ、新聞記者の表現の自由、ジャーナリズム活動ってナニ?…… 理論面ではユルユルの内容で、説明も駆け足で散漫でした。でも、インターンシップでバイトしても絶対に聞けないような内容だったはず――東大の学生さんたちは超一流の偉大なジャーナリストの話を拝聴する機会はあっても、わたしみたいな三流でヨレヨレで出世できない窓際野郎のヨタ話を聞かされたことがなかったでしょうから。

むろん、わたしも良い経験をさせてもらいました。そんな場を与えてくれた学生さんや教官には感謝の気持ちでいっぱいです。

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コメント

タイトルを見て「へなちょこ講師」って私のことかと思った、、。畑仲さんの講師姿、実に堂に入っていました。いっしょに授業をして、私もいろいろと学びました。ありがとうございました。来年もよろしく、ね!!

投稿: hayashik | 2004年11月24日 (水) 08時27分

林先生

>講師姿、実に堂に入っていました。

そうやっておだてられると増長してしまいますョ。ノせせておだてて木に登らせるのも戦略のうちなのでしょうか(^^; きょうのゼミの前に、NさんやTさんから冷やかされてドギマギしました。

助教授というのは良い研究だけでは足りず、良い教育者でもあらねばらなない――そんなご苦労が身にしみて分かりました。半年とか1年通してカリキュラムを組み、体系的に教え授けるというのは並大抵ではないでしょう。

来週月曜は、Mさんの講師姿を見学させてもらいます(少し遅れると思いますが・・・・)。

投稿: 畑仲哲雄 | 2004年11月24日 (水) 17時42分

こんにちわ、サングラスJOHNYです。
まず講義ありがとうございました。いまどきの話題をわかりやすく伝えていただき大変参考になりました。ほかパワポも充分にいけていたと思います。林センセイと変わんないくらい・・・。
 内容に関しての感想。
厳しい意見が出てくるのかと思ってビクビクされていたとのこと。以外に声があがらないのは学生さんがけっこう大人ということなのでしょうか。うん?と思ってもいわないで先生立ててあげるみたいな(すいません、生意気で)。
 まとまりのある講義であったので声がでなかったというのも一つの正しい解釈化とは思いますが。
 さて私が気になったところ。
新聞記者の自由、ジャーナリズム活動、コノあたりでしょうか。
 私であれば、絶取材対象者に対する人権侵害的な行為を取材であるという理由にかこつけて正当化するような発言は絶対しなません。実務はどうあれ、学生の前ではしない、してはいけないとさえおもいます。
もちろん実務家である畑仲さんの経験を話すのであるから、それで一つよしとするのでしょう。もしそうするのであれば、最後は現状ははなはだまずいと閉めなければならない。と私は思う。揺れているという感じでお茶を濁すあたりが、畑仲さんのお人柄でしょうか。(好意的に)
 ジャーナリズム活動とは民主主義社会を達成するために資するもの。こと日本においてはそれは日本国憲法との関連が深い。戦後、その成立により表現の自由を保障され、マスメディアは活動を始めた・・・。
 するとジャーナリズム活動は人権侵害であるような取材を許さない。それは民主主義社会になじまないから。
 しかし、取材という行為、言論という行為がなにものをも侵害しないということはおよそ不可能である。
ではどうするのかということで、ジャーナリズムは(ジャーナリストは)人権侵害行為をするものだからそのことに自覚的であれということでしょうか。自覚的であれということは、もし「いくかいかないか迷う場面」があったら人権を守る方に傾けということだと私は考えます。
 このあたり個々人のバランス感覚によるともいえますが、大学で教えるものや、ジャーナリストは理念的、理想を求めるものでなければならないと私は考えるので、語り口は一つになります。
 というような感想です。

参照文献
近時読んだ本 森達也『世界が完全に思考停止する前に』
      日垣隆 『エースを出せ!脱言論の不自由宣言』

      JOHNY

 仙波正人 

投稿: JOHNY | 2004年11月30日 (火) 00時57分

サングラスJOHNYさん

ヤジひとつ飛ばさず、居眠りすることもなく、鼻くそほじくることもなく、熱心に授業を聞いてくださってありがとうございました。いまワタシは、逃げ切れた自分を褒めています。ラッキー!

>うん?と思ってもいわないで先生立ててあげるみたいな

わははははははははははははははははははは。後の祭りです。1日だけの特別講師なんて、やっつけられるときにコテンパンにやっつけておくべき。こんどワタシ以外の特別講師が教壇に立つことがあったら、二度と赤門をくぐれないくらいやっつけてください。もちろん言葉と論理で。

不真面目な話はこのくらいにして、本題です。

>最後は現状ははなはだまずいと閉めなければならない。と私は思う。揺れているという感じでお茶を濁すあたりが、畑仲さんのお人柄でしょうか。

その通り、はなはだまずいのです。本当にまずい。新聞が公共圏から離脱してしまったかも知れない。もう使命は終わったのかな、と思うことさえあります。だけど新聞に代わるモノも見あたらない。ブログのインパクトは大きいのですが、まだマスメディア・システムに対抗できるほど育っていない。内部の人間が泣きごと言っちゃいけないのだろうけど、本当にまずいのですよ。だけど、まずいを連発しても始まらない。自覚も大切。謝罪も大切。だけど過剰な卑屈さはちょっとね・・・・

もうひとつ。迷う場面があったら「人権」を守るほうに傾け、という趣旨のコメントについては基本的に同意します。ただ、ご承知のとおり「人権」もいろんな立場の「人権」がありますよね。民族的少数者や性的少数者、宗教的少数者・・・・それぞれが「人権」を盾に闘う場面もある。被害者の人権vs.加害者の人権というのもありますよね。すべての人権に配慮することができない立場に立たされるとき、迷い悩み逃げ出したくなることもある。そんなありのままの弱々しい姿をさらすことも、新聞の回復にとって重要なのではないでしょうか。

投稿: 畑仲哲雄 | 2004年11月30日 (火) 22時28分

こんにちわ。
すでに他人事だと思って、大きくでましたね!
自分に帰ってきますよ~そういう言葉は。とはいえ100戦練磨な記者さんなら、そうそうやっつけられることもないでしょうけど。
 さて、人権ですね。すべての人に配慮はできない、個々具体的な事例で異なる。そういうことでしょうけど、この調整原理というのはある程度明らかである、というコンセンサスが一般的にはあるのではないでしょうか。
 そんなものはないという人の代表がマスコミ人。’表現の自由’などを盾にしながら、ある人権という主張に反対方向からの人権を対抗させて主張する。
 これはそもそも人権の性質になじまない。人権は侵すことのできない権利であるから対抗という図式がおかしい。
とはいえおよそすべてが無制約というわけではないですから、そこで’調整’が必要になるわけです。
 対抗しているのではなく包括的な人権を達成するために個々具体的な事例において調整されることがある(同じようですが少しニュアンスが違う)。
 マスメディアでしばしば話題になる、実名報道、匿名報道、この議論ですが、現状の報道は5W1H主義?実名報道すべきである、という主張、これは、こと犯罪報道(私人の)などでは通らないと考えます。心神耗弱の場合や少年などの場合も含めて。単純化していえばマスメディアはつるし上げをしているに過ぎないものがほとんどですから。
 とこのように考えてくると、人権の方に天秤を傾ける気があるジャーナリストはいても、人権が何たるかを知らないゆえに結果ダメ・・・システムの問題以前にダメかも・・・。
というようなことを私はよく話します。
   
 

投稿: JOHNY | 2004年12月 1日 (水) 00時24分

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