発話媒介行為 > f (差別表現)
y = f ( x ) にヒントを得て表題をつけてみた。すこし変かな?
指導教官のゼミで、再びジュディス・バトラーの論文を読んだ。今回は『触発する言葉―言語・権力・行為体』(岩波書店、2004年)。バトラーはカリフォルニア大学バークレー校で修辞学・比較文学を教えており、文章はレトリカルで晦渋だが、この本は原著で読むと比較的分かりやすい(ようである)。ただ、わたしは竹村和子訳で読んだ。したがって分かりにくかった。
セックスも構築物だと喝破したバトラーは、『触発する言葉』のなかで、憎悪発話、中傷表現、ヘイトスピーチなどの発話が、なぜ、どのように、どのような傷を負わせるのか、それに抗するにはいかに考えるべきかなどについて、論じている(ようだが、通読してないのでわかりません)。
ゼミの課題は第1章「中傷発言、燃え広がる行為」をきっちり読み込むこと。この章で面白いと思ったのは、バトラーがオースティンの発話内行為(illocutionary act)と発話媒介行為(perlocutionary act)という概念を用いて、黒人宅前で十字架を燃やすスピーチや軍隊内で同性愛者であることを表明するスピーチに対し、司法や軍がおこなったスピーチの不当を難じていることだ。
低理解のため他人様の役には立たないが、個人的な備忘録として書き留めておく。黒人宅前で十字架を燃やすというスピーチは(日本人宅前で仏壇を焼くのと違って)黒人にKKKの悪夢を思い起こさせて「死ね死ね死ね死ね死ね死ね・・・・・・」「殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ・・・・・・」と罵るくらいすさまじい行為。にもかかわらず司法当局は、合衆国憲法修正第一条項でいうところの「表現」にしか着目しない。その一方、軍内で同性愛者であることを告白(カムアウト)する行為は罰の対象となる(第一修正がこれを表現として保護するのなか?)。前者の例では発話媒介行為が無視され、後者の例では同性愛という行為そのもの、つまり言葉が持つ行為遂行性を恐れる当局が、表現もろともすべてを禁じる。
キャサリン・マッキノンにとって、ポルノはすべて「有害」で規制すべきものとなるが、バトラーはポルノの発話内行為と発話媒介行為を区別して、主体から行為に(着眼点を)ずらす。こういう点に着目せよと教官は話す。つまり、ヘイトスピーチであってもポルノであっても、表現そのものを封印してしまうのではなく、主体的に意味をずらし攪乱していくことで(行為遂行性を逆手に取って)、中傷性・侮蔑性・差別性を肯定的に転換しうることは可能ではないか、ということだ。
そこで思い出すのが、故・中上健次の作品に散りばめられている「差別」表現だ。中上は自らの作品のなかで、マスコミが自主規制する「差別表現」を使うことがしばしばあった。(マスコミ各社が「差別語」とされる表現を列挙して、固定化し、それら表現の使用を自ら規制するという半ばコッケイで哀れな構図ができあがったのは、60~80年代の反差別闘争と「人権」記者たちが残した徒花と言っていいだろう。それはさておき、)中上が「差別語」とされる一群の表現を使いながら書き続けた行為をバトラー流に考えると、被差別部落に対する「差別」を攪乱する営みとなっていたのかもしれないなどと感じ入ってしまった。
だれかが書評で、『触発する言葉』について「まさにExcitable」と書いていたが、同感です。
■バトラー,ジュディス(2004)『触発する言葉―言語・権力・行為体』,竹村和子訳,岩波書店(bk1|amazon)
■関連リンク
Wikiペディア(英)のバトラー・ページ
立命館大学大学院先端総合学術研究科の人物DBのバトラー・ページ
European Graduate Schoolのバトラー・ページ
Rhetoric Department, University of California, Berkeleyのパトラー・ページ
Eddie Yeghiayan さん作成のバトラー・ページ
へっぽこ社会学さんの書評
「バトラーさんについて」北田暁大の試行空間、2004年6月11日
よく分からないけど、『触発する言葉』の書評を紹介しているサイト
倫理的で批評的な掲示板のバトラー・ページ
■ちょい関連リンク
灘本昌久,「差別語」,『思想の科学』532号、思想の科学社、1996年1月
コラム「人権問題を考える」dentsu online とっておき話のアラカルト
■中上健次リンク
{中上健次」onはてなダイヤリー
松岡正剛の千夜千冊、第七百五十五夜【0755】2003年04月16日
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