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2005年1月 4日 (火)

小津映画『お早よう』とテレビがやってきた喜び

ohayo教官おすすめの小津安二郎監督『お早よう』(松竹大船、1959=昭和34)を年末年始に鑑賞した。佐田啓二、久我美子、笠智衆、三宅邦子、杉村春子、東野英治郎、浦辺粂子といった顔ぶれの豪華な映画である。佐田啓二などは中井貴一と区別できないくらいよく似ているし、久我美子は清楚で美しく爽やかだ。不思議なのは、東野英治郎や笠智衆があんな昔から老け役で出ていること。きっとあのふたりは青年期を飛び越えていきなり老人風になったんだろう。

物語の舞台は昭和30年代初頭の新興住宅地。下町の気さくな家族や山の手言葉を話す世帯、水商売をしていた若夫婦など、じつにいろんな人が軒先をならべて暮らしている。そんな住宅地に暮らすある兄弟が主人公。兄弟は両親にテレビを買ってほしいとねだり、それがきかっけでちょっとした“事件”が起こる。佐田啓二と久我美子が演じる登場人物のラブロマンスなどの要素をからめながら、少年の家にとうとうテレビがやってくる。べつにどーってことない内容だけど、なんとも楽しい。

映画が公開された1959年といえば、後のテレビ朝日である日本教育テレビとフジテレビが2月と3月に相次いで開局し、翌4月には皇太子(現天皇)の結婚式が行われている。9月にはプロ野球初の天覧試合が後楽園球場で行われ、巨人の長嶋が阪神・村山から決勝の本塁打を放った。同じころには伊勢湾台風が上陸し5098人の犠牲者が出た。11月には全学連と安保反対デモ隊が国会に乱入し、12月から在日朝鮮人の祖国帰還が始まった。ちなみに、この年にヒットした曲としては、小林旭「ギターをもった渡り鳥」、和田弘とマヒナスターズ「夜霧の空の終着港」、フランク永井と松尾和子の「東京ナイトクラブ」・・・・書いていけばきりながいが、とにかくそういう年だった。

映画の少年たちの家にテレビがやってくる前に、主婦たちの間でどこかの家が電気洗濯機を購入したということが話題になる。冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビといえば「三種の神器」と称された。小津はこの映画のなかに、そんな時代の雰囲気を滲ませている。だが、なんといっても圧巻だったのは、いよいよ“テレビがわが家にやってきた”というとき家庭の光景だ。とにかくみんな大喜び。家庭内や近所とのトラブルなどすべての問題は解決し、中学生の兄もなんどもバンザイを叫ぶ。小学生の弟にいたっては嬉しさのあまりに、なんとフラフープを回して全身で喜びを表現しているのである。

映画ではテレビを囲む団らん風景は描かれていない。テレビ受像器が家のどういう空間に置かれるのか分からない(たぶん「お茶の間」だろうけど)。映画は「ナショナル・テレビ 14型 高性能遠距離用」と書かれた段ボール箱が廊下に置かれたところで、なんともいえない余韻を残して終わる。

だけど、この家族のその後は容易に想像できる。家族そろってテレビ体操をしたり、朝のNHKニュースが一日の始まりの合図になったり、大相撲やプロレス中継に一喜一憂したり、「てなもんや三度笠」に腹を抱えたり・・・・テレビは国民の共通体験をつくったと言われる。わたしは1961年の大阪生まれなので、映画の時代から少し遅れているが、確実に「共通体験」の一部を共有している。幼いころの光景がいくつも思い出され、映画を観ていて鼻の奥がくすぐったくなった。

■関連サイト
小津安二郎生誕百年ホームページ(松竹)
松竹ホームビデオの紹介ページ
てなもんや三度笠研究所

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コメント

 小津安二郎生誕100周年記念だという「珈琲時光」を見ました。と言っても、成田からロサンゼルスに向かうフライトの途中で。座席前にある小さな画面だったためでしょうか、全然よくありませんでした。

 長回し、固定で、小津的なものを踏襲した感じは伝わってきましたが、現代の東京ならもっとカメラを入れたいシーンはあるだろうし、人間関係を描きたいのならもっと丁寧に作れよな、と、そんな感じでした。この作品をほめるのは、製作者に甘すぎると思うなあ。むしろ本で読みたい作品のような気がしました。

 年のせいなんだろうと思うのですが、最近、独り善がりの作品には全くついていけなくなりました。自分でも怖くなります。かつては、余程ひどい作品でなければ、いいところを意識的に見つけて、人に売り込む「余裕」もあったのに‥。「チャイナタウン」でジャック・ニコルソンがフェイ・ダナウエイに向かって「君の瞳に緑の点がある」とかなんとかいう、気障なセリフがあります。そのことだけであの作品は「OK!OK!」で、随分、人に勧めたものです。もちろん、なぜいいかという理由は伏せて‥。

 でも、その後、長じて?久しぶりに見たら、なんとも展開がとろくて全然よくない作品でした。


投稿: schmidt | 2005年1月 5日 (水) 16時08分

この「おはよう」という映画、役者のせりふは棒読み、って感じだし、ストーリ展開も派手でないし、映画批評家ならあまりいい点つけないのかもね。でもメディア研究の目から見ると、ああ、テレビってこういうふうに受け止められていたんだ、っていう新鮮さがありますよね。それにCGなんかに慣れた目で見ると画面はかえって斬新!とか思ったりして。
編集権と内部的自由もしっかり勉強されて、「おはよう」も鑑賞、、、これで私のネタ、なくなりそうですネ、、、

投稿: hayashik | 2005年1月 5日 (水) 17時23分

 schmidtさん、海の向こうから(?)コメントをありがとうございます。
 映画を語るというのはむつかしいですね。機会があれば『ハリーとトント』を観てみます。それよりも、旅の無事を祈っています。

投稿: 畑仲哲雄 | 2005年1月 5日 (水) 17時49分

先生、コメントをありがとうございます。

>メディア研究の目から見ると、ああ、テレビってこういうふうに受け止められていたんだ、っていう新鮮さがありますよね。

まったくです。わが生家は無理をして白黒テレビを買ったためか、カラーテレビが遅れました。わが家にやったきたときの喜びは、まさに「フラフープもの」でした(笑)

>これで私のネタ、なくなりそうですネ、、、

出し惜しみせずに、どしどし触発してください。頼りにしています! おまけに一言。ことしこそ先生がブログを始められますように。

投稿: 畑仲哲雄 | 2005年1月 5日 (水) 17時58分

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