新聞を葬式に出す幸福
横浜の新聞博物館で「自由民権と土佐 高知新聞の100 年」という企画展が行われている。自由民権を勝ち取る闘争の中心に位置した当時の「新聞」のありようを知るうえで、大いに参考になる。写真は、明治政府の言論弾圧に対し、高知で行われた示威行動のようすを伝える展示「「新聞の葬式像」。公式サイトの宣伝文を以下に引用する。
今回の展示では、言論弾圧への抵抗として新聞史に残る「新聞の葬式」の挙行、板垣退助の受難など、高知新聞創刊前夜の民権家・新聞人の活動を特集するほか、日露戦争さなかの1904(明治37)年9月1日に誕生し、一世紀の星霜を生き抜いた高知新聞の歴史を振り返ります。
この企画展についてゼミで紹介したところ、H先生から「このころは新聞が最も幸せだった時代という人もいる」「でも、当時の高知新聞は『マスメディア』だろうか?」などのコメントをもらった。政治的弾圧に対し、新聞を“殉教者”に見立てた示威行動(←これって新しくない社会運動か?)をした当時の新聞人は、ある意味で幸せだったと思う。
はたして現代の新聞は幸せだろうか?
新聞博物館の企画展「自由民権と土佐 高知新聞の100 年」は2005年3月13日(日)まで。
■参考リンク
・高知新聞公式サイト
・高知新聞「自由民権と土佐 高知新聞の100年」展紹介ページ
・高知市立自由民権記念館 平成16年度高知市立自由民権記念館特別展
・たむたむ(多夢・太夢)さんのページ「新聞の葬式の解説」
※ココログの写真にはキャプションが付けられない! なんとかしてけろ、ニフティさん。
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コメント
いろいろポイントはありますが、新聞とコミュニティーとの距離が問題になるような気がします。あの時代、土佐において「新聞の葬式」に参列者が多数というのは、やはり幸福な時代であり、土地であったんでしょう。われわれの時代。「読者離れ」「新聞離れ」を憂慮します。「今の若い人たちは新聞を読んでくれないからなあ」と嘆くことまではだれでもしますが、新聞を読んでくれている人たちが「葬式」に参列してくれるかどうかまでは、思いが及んでいないかもしれません。
投稿: schmidt | 2005年2月11日 (金) 23時52分
schmidtさん、こんにちは。
>新聞を読んでくれている人たちが「葬式」に参列してくれるかどうかまでは、思いが及んでいないかもしれません。
なぜ現代の新聞が読者や市民社会から遠ざかってしまったのか。感情や印象ではなく冷静な調査分析が必要ですね。新聞創生期の熱い時代を羨ましいと思ってしまうのは、私たちが新聞終局の冷たい時代を生きていることの裏返しなのでしょうか。まあ、悲観的になってばかりいても仕方がないのですが、、、、、、
投稿: 畑仲哲雄 | 2005年2月12日 (土) 01時19分