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2005年6月11日 (土)

小さなメディアこそ必要

mizukoshi学者や専門家が書くものは往々にして難しいのだけど、水越先生の最新刊『メディア・ビオトープ』はとてもわかりやすい。その秘密は、水越さんが描いたいくつもの概念スケッチと、ふるさとの野山や小川といった郷愁をそそるメタファー(暗喩)にある。

水越伸(2005)『メディア・ビオトープ - メディアの生態系をデザインする』紀伊國屋書店
津野海太郎(1981)『小さなメディアの必要』晶文社

メディアが影響力を及ぼす範囲を「ドーム」というメタファー使って表現する。ドームはひとつの生態系。ただ、いま、わたしたちが暮らしているのは全国紙やキー局という植林された巨木があるドーム。巨木が枝葉を広げているので下には光が届きにくい。このため灌木や下草が育ちにくい…。これなら“大阪のおばちゃん”たちも伝わる。

理想的なメディアのあり方として研究者やジャーナリストはしばしば、欧米の事情を取り上げる。物知り顔に、日本とはあまりに事情が違いすぎると嘆いてみせる。また公共性をめぐる議論ではかならずヨーロッパのコーヒーハウスやパブが理想的に語られる。北欧の社会民主主義的なメディア政策も礼賛される。しかし僕たちが生きている、爛熟した情報消費が当たり前となり、サイバーパンクを地でいくような、コンビニとケータイとハイテクに埋め尽くされた二一世紀の極東だ。そんな日本のメディア状況をつまびらかに知りもしないでダメだと決めつけたり、アジアの状況をないがしろにした脱亜入欧的なものの見方では、メディアの生態系を本当に変えていくことはできない。
(『メディア・ビオトープ』3章メディア・ビオトープ宣言、p.85)

mymedia大・中・小のメディアによる「ドーム」が調和するようにみんなでデザインしよう――そんな提言は耳に心地よいのだけれども、ではいったい、どういう組み合わせ、秩序が適当なのか。わたしにはわからない。

小さなメディアを作ろうとする動きはむかしからあった。いまも各地で地道に取り組んでいる人たちがいる。水越さんのドームモデルを見ていると、小さなメディアはスケッチブックに描けないくらい微少な存在かもしれない。そんなことを考えているうちに、ふと、津野海太郎さんの『小さなメディアの必要』を思い出した。

『小さなメディアの必要』は、紙版が絶版となり、電子で復刻された本は理想書店で販売され、青空文庫にも収録されている(入力したのはなんと、萩野正昭さんと八巻美恵さん!)。理想書店のサイトには「フィリピン、タイ、メキシコ、イタリア、沖縄。各地の文化運動の実際にまなびながら、『流言飛語』生産のための小さな技術の可能性をきりひらく」と、やや挑発的な言葉で紹介されている。お手軽なハウツーではけっしてない。津野さん自身の体験や見聞にもとづいた記述がぎっしり詰まっている。なかでもわたしが興味をそそられたのは、Ⅰ章に収められている「ガリ版の話」だ。詳しく書いているときりがないが、ガリ版とともにはじまった北方つづりかた運動と共同体運動と結びついたフィリピン・ミンダナオのマイクロ・メディア運動の取り組みは、考えさせられることが多い。

ガリ版の導入によって生まれた多元的なコミュニケーションのしくみが、北方つづりかた運動のひろがりをささえていた。おなじしくみをミンダナオのマイクロ・メディアの運動は自覚的につくりあげようとしてきた。その自覚のふかさの差が、共通するところのおおい二つの運動を区別する。北方つづりかた運動は活版印刷の無理な導入によってつぶれた。おなじまちがいをくりかえしたくない。そう思いながら、これからも私たちはおなじまちがいをなんどもくりかえすのだろう。
(『小さなメディアの必要』復刻電子本エキスパンドブック版、pp.135-136)

このところ大ブームの(←もう終わった?)ブログやSNSを考えるとき、とても示唆的なことばです。

■書籍情報
・水越伸(2005)『メディア・ビオトープ - メディアの生態系をデザインする』紀伊國屋書店(amazon
・津野海太郎(1981)『小さなメディアの必要』底本晶文社、dotbook版(理想書店

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コメント

こんにちわ。
ビオトープはとてもセンスのいい本にあがっていますね。買っていませんが・・・。
 昼間、街をあるきながら考えていたのですが、街の小さな商店がのきなみ消えていく近時の傾向。大規模店舗やコンビにが街の景観を作っていく。
 この理由のひとつは流通形態の変化による。物理的な変化とともに情報の独占化が崩れていく、その過程にはメディアのあり方というものもある、この点は一度おいて。
 マスメディアについてはどうだろうとかんがえた。統合されていく。国内のみならず国境を越えたコングロマリットへ。
 すると小さなメディアというものがこれから存在できるのか。
 街の中に残っている小さな独立系店舗というものがあるか・・・。
 などなど、そんなことを考えたあとに訪問した次第です。

投稿: JOHNY | 2005年6月12日 (日) 23時06分

JOHNYさん:東京でも谷根千(谷中、根津、千駄木)地区を歩いていると、レトロな個人商店が人々から愛されているのが感じられますよね。地元の人だけではなく、各地から人々が訪れる。わたしが幼いころに過ごした大阪の天満・天神橋筋商店街もそういう街です。メディアの世界でも似たようなモデルが成立すれば楽しいですね。

投稿: 畑仲哲雄 | 2005年6月13日 (月) 00時47分

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