社会の一所産に過ぎない
第二次大戦前、新聞現象をイデオロギー論から精緻に分析していた哲学者がいた。戸坂潤(1900-45)。昨年、H&H先生の基礎ゼミで読んだときに「へえー」と思ったのは新聞を《現象》として捉える視点だった。書店に並ぶジャーナリズム関係の書物の多くは、ジャーナリストがいかなる報道をすべきか、あるいは組織としての新聞社がどんな言論活動をしたかなど送り手に目を向けられがちで、わたし自身、そういう見方が染みついていた。読者に重きを置きながら新聞の社会的機能を見つめる視点は、デジタル化の変動にさらされる今日のマスメディアを考えるうえで示唆に富むのではないかと思い、読み返してみた。(結構むつかしかった!)
戸坂潤(1933=1966)「新聞現象の分析-イデオロギー論による計画図」『戸坂潤全集』第三巻、勁草書房、pp.118-144
戸坂潤(1933=1966)「新聞現象の分析-イデオロギー論による計画図」、鶴見俊輔編(1966)『ジャーナリズムの思想』現代日本思想大系12、筑摩書房、pp.236-272
考えさせられたのは、新聞現象における3つの要素を分析した第2節。新聞現象の要素は(A)インスティチュート=新聞社組織、(B)機関=新聞紙、(C)人的要素=読者――という三者によって生じる。「記者」は(C)に入りそうな気もするが、戸坂は、記者を編集部員や営業計画部員などと同じく(A)の新聞社に属する人的要素にすぎないと分類。「吾々は新聞のインスティチュートと機関とに並べて独立する 人的要素を、特に読者の内に見出さねばならないわけになる」と述べる。気に入ったのは、「新聞は新聞紙でもなければ新聞社でもない、まして読者層でもない。こういう諸項目のある関係が新聞の現象なのである」という見方だ。
では、ウェブサイトはどうか。ウェブサイトは新聞紙という機関に載っている記事や新聞社からのお知らせなどが掲載されている電子媒体で、戸坂流にいえば《第二の機関》といってもよいのではないか。ウェブサイトは紙の機関とは違って「双方向」の使い方ができる。たとえば戸坂の時代に(C)の人的要素である読者は読者に過ぎず、それ以上のものではなかったけれど、インスティチュートに属さない「読者」が《第二の機関》で報道をしたり、寄稿をしたり、批評をしたりすることが可能となる。やりようにっては、編集権の問題が発生する可能性もあるが、ウェブの登場で新聞の現象は位相が変わってしまったと言えそうだ。発言する読者層の出現によって、現象としての新聞は変貌を遂げつつある。
戸坂は第3節で新聞紙の要素としての報道、広告、批評について議論を進め、第4節でジャーナリズムの日常性と政治性について新聞の概念を問い直し、続く第5、6節では社会的機能について分析している(←ルーマンの機能構造主義にも通じるのなかな?)。時代背景が違っていることや、唯物史観的な見方が前面にでているため分かりにくい部分も多いが、最終節では新聞の改革について触れていて、この部分が戸坂論文のキモになる。
新聞の本質はその社会的機能に存する。だから新聞の改革は新聞の社会的諸機能の改革の外にはない。処で、新聞はただ一定社会の諸条件の下に於てのみその社会に適切な社会的諸機能を有つことが出来る。新聞は社会の一所産に過ぎない。新聞の改革乃至変革は、社会自身の変革と対応する外はない、それは社会的変革の原因であり、随伴現象であり、又結果なのである。(戸坂 1933)
新聞といえば紙の新聞、ジャーナリズムといえば記者や新聞社の専管事項・・・というような考え方がまかり通る今日、戸坂が描いて見せた「新聞現象」はわたしには鮮やかに映った。
ちなみに当時のゼミ発表者によると、この論文の初出は1933年で『現代のための哲学』(大畑書店)の一編として所収された。『現代のための哲学』が、翌1934年に『現代哲学講話』(白揚社)として再び出版された。のちに勁草書房から全集が発売になり、「新聞現象の分析」については鶴見俊輔が編んだ『ジャーナリズムの思想』にも収録された。わたしが読んだのは鶴見編のもの。ただ、オンラインには戸坂潤文庫というすばらしいページがあるほか、青空文庫にも15作品が収録されている(←青空工作員に感謝!)。
参考までに戸坂の時代を振り返っておく。戸坂の生きた時代は、第1次大戦と第2次世界大戦までの激動そのもので、信じられないほどの言論統制が行われていた。
(※中河氏の日本表現規制史年表、小学館スーパーニッポニカ、三省堂『大辞林』などから引用しました)
京大で数理哲学を専攻した戸坂は法政大などで講師を務めた。その後、三木清の影響でマルクス主義者となり、1932年(S07)に唯物論研究会を創設した。この唯物論研究会は1938年に解散を命じられ、戸坂本人も治安維持法違反で検挙された。1944年9月に下獄し約1年にわたる獄中生活を経て長野刑務所で獄死した。死亡したのは長崎に原爆が投下された1945年8月9日。終戦まで約1週間・・・ 合掌。
■参考サイト
・戸坂潤文庫
・青空文庫 作家別リストNo.281 戸坂潤
・中河伸俊のホームページ 日本表現規制史年表 1868~1993
・戸坂潤『日本イデオロギー論』(岩波文庫)
・ウィキペディア(Wikipedia):戸坂潤
・京都精華大学 中尾ハジメ先生の2002年前期の講義ページ「環境ジャーナリズム」
・多磨霊園にある戸坂潤のお墓
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コメント
「社会現象」として新聞をとらえる視点があるとするならテレビ、ネットを社会現象としてとらえる視点もありそうですね。新聞にかかわる者として非常に悩ましいのは、「新聞」を個別問題として分析することがますます困難になりそうな点です。
確かに個別問題は山となって存在しそうなのに、そのこと自体を仔細に分析しても、今後のあるべき展開の議論になりにくい感じがします。(これってほとんど弱音ですね)。「社会現象」トータルの中で、新聞メディアを論じ、方向性を提示する力がわれわれ新聞産業自体になければ、ほとんど話になりません。ああ大変だ。
投稿: schmidt | 2005年7月31日 (日) 22時08分
「新聞は新聞紙でもなければ新聞社でもない、まして読者層でもない。こういう諸項目のある関係が新聞の現象なのである」
→スッキリととてもよく理解できましたー。
schmidt さんのおっしゃる、)。「社会現象」トータルの中で、新聞メディアを論じ、方向性を提示する力がわれわれ新聞産業自体になければ、ほとんど話になりません。
→ズギンと感じてしまいます。「新聞産業全体」が認知する日はいつくるのでしょうかー。もしくはやってくるのでしょうかー。悩みが山積しています。
投稿: わかばやしく | 2005年7月31日 (日) 22時21分
schmidtさん: こんにちは! 戸坂の時代から時代は流れ、新聞社は巨大化し、産業化し、商業化し、経済社会も複雑怪奇なおばけのようになりました。すべての人が巨大アリ塚にいる1匹のアリのようなもので、全体を見通すことなんてできないのかもしれませんね。
わかばやしくさん: こんばんは! スッキリ理解してくれてありがとございます。「諸項目のある関係が新聞の現象」というのは、とーっても意味シンですよね。新聞紙があり、会社も社員あり、読者層もいる――でも、それらが関係しなければ、「新聞現象」は起こらないかもしれないのですから。
投稿: 畑仲哲雄 | 2005年8月 1日 (月) 00時46分