透明人間がいっぱい
電話帳掲載率が3割に低下し、自宅の表札に住所氏名を明記しない人が急増し、世論調査や国税調査への回答率が急落している。そうした社会現象を説明するとき、「プライバシー」という言葉が使われる。――では、そのプライバシーとはいかなるものか? つらつら考えているうちに、「自由」を考えるときの考え方大きく重なることに気がついた。なにを今さらの話ではあるが、あくまでも個人的な備忘録としてメモしておく。これを考えるヒントは、11月28-29日に開かれた「東京大学・ソウル大学校 国際合同シンポジウム『日韓 情報メディア社会の諸相』」でK先生のプレゼン内容だった。
バーリン、アイザイア(1977)『自由論(Four Essays on Liberty)』小川晃一ほか(訳)(みすず書房)=もちろん未読、未入手
アイザイア・バーリンというラトビア生まれの思想家(政治哲学者)によると、自由は積極的自由と消極的自由の2つに別けて考えることができるのだそうだ。消極的自由とは「~からの自由」。isedキーワードでは、「ある行為主体が強制を受けていない状態にあること」「選択肢が多く与えられている状態」と説明されている。対する、積極的な自由は「『強制を受けていない』というだけではなく、主体が自らの従うべき格率を自ら設定しうること、自律的な自己決定能力を持つこと(~への自由、~へ向けての自由)を意味する」と説明されている。
この自由についての2つのコンセプトは、『自由論』のなかに収められたエッセイ「二つの自由概念(Two Concepts of Liberty)」で読むことができる。エッセイは、1958年10月にバーリンがオックスフォード大学で行った講演緑で、彼は積極的自由を危険視し、消極的自由を擁護した。理由は(ふたたびisedによるとだが)「全体主義者や共産主義者による「正しき道」への国民たちへの命令を正当化すると恐れたから」だそうだ。バーリンの考え方については数々の批判が寄せられたそうだが、それはいったん横へ置いて、プライバシーについて考えてみたい。
プライバシーの考え方は、もともと「ひとりで居させてもらう権利 (right to be let alone)」で、「不当な公開からの自由である権利」と考えられてきた。これに対し、近年「自己についての情報をコントロールする権利」という考え方も強まっている。わたしには、前者が消極的自由、後者が積極的自由に重なって映った。
表題の「透明人間」は、じぶんの情報はだれにも知らずに他人の情報を知ろうとする人々に対する下手なあてこすり。近年のプライバシーに対する過敏な反応が、どうも気になる。匿名掲示板で暴れる人びとだけがヘンなのではない。冒頭で書いた電話帳への掲載や、自宅表札の問題、世論調査や国税調査への回答拒否をしている人も、透明人間化する姿を映しているといえないか。事件事故の被害者(ときに加害者も)が名前や住所や年齢を報道されることを拒否する気持ちは分からないではない。なぜ社会がこんなふうに変わっていったのだろう。
■関連リンク
・ised@glocom キーワード 消極的自由 | 積極的自由
・白田秀彰(2004)「プライバシーに関する私論Ⅰ」HotWired連載-白田秀彰のインターネットの法と習慣
(↑白田さんの記事については、後ほど考える。たしかぼくらは訳も分かんとプライバシーちう言葉を使うてますワ。けどね、けどもね、そうは言うけどね、、、、)
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コメント
畑中さん、はじめまして。非・実名で失礼します。2週間も前に書かれた話への反応で恐縮ですが…。
「匿名掲示板で暴れる人びと」と、「電話帳への掲載や、自宅表札の問題、世論調査や国税調査への回答拒否をしている人」を同列に論じるのは、無理があると思います。
なぜなら、前者は、単なる馬鹿者ですが、後者は、動機は別として、行動を正当化しうる根拠が山ほど存在するからです。
#もちろん、両者が重なる事例はあると思いますが、そのことは以下の議論の妨げにはなりません(説明が必要であればご指摘ください)。
さて。本論です。電話帳への掲載は、テレマーケターの容赦ない電話・FAX攻勢に自らをさらすことと、ほぼ同義になりつつあります。電話帳に載っていなくたって、自動ダイヤルソフトで録音メッセージの商品プロモーション電話がかかる時代です。また、それこそ、「匿名掲示板で暴れる人びと」から、いたずら電話や無言電話がかからないとも限りません。自宅表札の問題、世論調査への回答拒否も、同様の理由から、私には理解できます。収集データを第3者に渡さない、と収集者が宣言するだけでは、ダメなんだと思いますよ。
国勢調査は、協力が望ましいとは思いますが、守秘体制の信頼性に対する懸念が出るのは、多数発生する個人情報漏えい事件を見れば、無理はないと思います。行政側は文句を言う前に、「安心」させる説明をすべきでしょう。そうしないと、最も重要な基礎統計の信頼性が問われる事態に発展しかねません。
なにやら漢字の多い文章になりました(笑)。人様と交流する以上、個人情報は明かさねばなりません。しかし、交流もしたくない人に使われるリスクは下げたい、と思うのは、現下の情勢では自然なことだと思います。望ましい状況かどうかは、意見が分かれるでしょうが。
以上、お邪魔しました。また遊んでください。
投稿: harmoniker | 2005年11月17日 (木) 13時39分
畑仲さん、名前を間違えました。ごめんなさい。それと、上記コメントは「編集部の電話番号非公開」を拝読前のものです。読んでいれば別の書き方をしたと思いますが、メッセージとしては同じだと思いますので、怠慢こいてそのままにします。ではでは。
投稿: harmoniker | 2005年11月17日 (木) 13時44分
harmonikerさん: はじめまして。ご指摘のとおり、「電話帳への掲載や、自宅表札の問題、世論調査や国税調査への回答拒否をしている人」の「行動を正当化しうる根拠が山ほど存在する」というのは事実ですね。ちょっと無理目な記述だったかもしれません。ただ、わたしは「拒否派」を難詰するつもりはなく、ソーシャル・キャピタルの減少が社会全体にとって善い結果を招かないよなあ、という思いで筆を進めたのです。かくいうわたしも電話帳への掲載をしていないクチなので、、、、(苦)
投稿: 畑仲哲雄 | 2005年11月19日 (土) 00時04分
畑仲さん、お返事ありがとうございます。
自分の文章を読み直してみると、上滑りぎみでイヤな感じですわ(^^;。木を見て森を見ない主張だったかな。
>ソーシャル・キャピタルの減少が社会全体にとって善い結果を招かないよなあ、という思い
という点は、私も共感します(って誤読じゃないといいけど)。「電話帳と表札」の項目をちゃんと読まなかったせいで、畑仲さんのこの基本的姿勢を押さえそこなったわけで、すいませんでした。
公空間の衰退というか、揮発化というのは、永遠の立ち泳ぎを強いられるようなもので、かなり辛いんだよなあ。かといって、投げられる命綱の先が、偏狭なナショナリズムとか、無限の自己参照とかだったりするから、やっかいなわけですけど。個レベルでの「つながり」を可能にする媒体であるインターネットが遍在化しつつあるなかで、<おおやけの場所>が失われつつあるというか、像を結びにくくなっているように見えるというのは、なんだかなあ、という感じもします。
ではまた。
投稿: harmoniker | 2005年11月22日 (火) 13時32分
harmonikerさん: お返事ありがとうございます。たしかにイタイですよね、「公空間の衰退」という状況は。詳しく知らないのですが、「コモンズの悲劇」の議論も、social capitalと近い領域の考え方なんでしょうね。コミュニタリアニズムやデューイの思想に傾斜していく今日この頃です。今後もボケな記事にすかさずツッコミを入れてください。よろしくお願いします。
投稿: 畑仲哲雄 | 2005年11月23日 (水) 17時07分