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2005年11月 1日 (火)

電話帳と表札

いまの社会における「信頼」というものを考えているとき、電話番号を公開しないマスコミがあることを知り、9月下旬に「編集部の電話番号は非公開」という雑文を書いたばかりだが、朝日新聞の「be on Sunday」にフランスの電話帳事情に関する特集記事「シラクさんの電話番号は・・・」が掲載された。フランスでは「電話番号は事実上、公開が原則」で、国が積極的に公開を推進しているのだそうだ。もっとも、名前や住所の掲載を拒むことはできるのだが、公開拒否をするには書面による申告が必要となっていて、それはそれで厄介だなあという気がする。

飯塚悟「wonder in life-シラクさんの電話番号は・・・」(be on Sunday、朝日新聞、2005/10/30)

「編集部の電話番号は非公開」を書いたとき、パットナムの「ソーシャル・キャピタル」論文を思い出したが、フランス国家が半ば強制的に電話帳への掲載を推し進めることでソーシャル・キャピタルが増加するとは思えない。ソーシャル・キャピタルとは「相互利益のための調整と協力を容易にする、ネットワーク、規範、社会的信頼のような社会的組織の特徴を表す概念」であり、国家による強制で作り出されるものではないと思うからだ。パットナムは「キャピタル=資本」というメタファーを用いたが、人々がコミュニティにおける「相互利益」に寄与しようとする意識の有無というのも大切な指標ではないのだろうか。

わが家ではいま、わたしと同居人の間で表札問題が小さな論争のタネとなっている。わたしは「表札には住所と氏名を日本語表記させるべき」と主張しているが、同居人は「必要なし!」と反論している。反論は2本柱で、ひとつはプライバシー問題、もう一つは見栄えの問題が論拠となっている。同居人の言い分も分からないではない。もしもフランスの電話帳政策のように、日本国が全戸に「住所と名前を明記した表札を出しなさい」と表札政策を断行すれば、わたしだって「ちょっと待てよ」と思うだろう。だけど、表札をきちんと出すことで、地域コミュニティのソーシャル・キャピタル蓄積に貢献できるのであれば、自発的に住所氏名を明記してもよいのではないかと思えてくる。

むろん、同居人との論争は長く続かない。わたしの意見はいつものように「口ごたえ」として処理されることになっているからだ。

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(・∀・)イイ!!

投稿: 仲間由紀恵@3年計画 | 2005年11月 1日 (火) 14時01分

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