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2005年12月15日 (木)

「冬ソナ」ファンはマスメディアが嫌い

fuyusonaわが師の近著『「冬ソナ」にハマった私たち』(文春新書)によると、冬ソナのファンたちは日本のマスメディアに批判的なのだそうだ。そりゃそうだ。わたしの周囲には、冬ソナ・ブームに冷ややかな視線を送っていた人が少なくない。天下国家を論じる硬派なジャーナリストたちは、このブームをくだらない一時的な現象と決めつけていたような気がする。それは、冬ソナにハマった女性たちへを見下す視線そのものだといえる。中高年女性という大きなボリュームゾーンのオーディエンスを歯牙にもかけてこなかったメディア関係者は、ことしも続いた韓流ブームを振り返りながら、読んでみてはいかがだろう。

林香里(2005)『「冬ソナ」にハマった私たち―純愛、涙、マスコミ…そして韓国』文春新書

「冬のソナタ」のファンは、日本のマスメディアに対して批判的である。この傾向は今回の調査できわめて顕著だったので、取り上げてみたい。彼女たちは、日本のマスメディアが近年どんどんつまらなくなった、堕落した、そして下品になったと嘆いている。ファンレターやアンケートのコメントを見ていくと、ざっと見ても半分以上はメディアを批判していた。彼女たちが楽しめるような番組を提供してくれないこと、番組制作者が若者のほうばかりを向いていること、番組の質が低下していること、など彼女たちの不満を書き出せばきりがない。(p.144)

冬ソナにハマった女性たちは、家庭内でさまざまな抑圧に耐えてきた。社会もまた彼女らを軽視してきた。可処分所得の少ない層に媚びを売る企業などない。マスメディアも例外ではない。番組制作をになう現場労働者たちが、冬ソナにハマったような年配の彼女らを「客」として見てこなかったことが暴露されたといえまいか。テレビだけではない。活字メディアもエラそうなことはいえないはずだ。約1300人の声を分析した初の社会調査結果をどう見るか。わたしは忸怩たる思いを胸に日本の中高年女性たちの日常を「観察」してみたいと思った。

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コメント

冬ソナ・ブームに冷ややかな視線を送っていた一人どす。
うーんオヤビンのこの日記を読んで、なぜおいらの元読者たちが冬ソナにはまっていたかがわかったような気がします(違う理由かと思ってた)。この本、読んでみたいと思います。ダンケ!

投稿: みとゴルゴ | 2005年12月15日 (木) 09時50分

 ワタクシ「冬ソナ」にはまった50代。男性です。でも、それ以外の「韓流」というやつですか?どこがいいのかよく分かりません。で、冷ややかな視線を送り続けています。林さんの社会調査の対象から外れているでしょうか。こんなワタクシ。

 そういえばアマゾンで予約した「マスメディアのリアリティ」がまだ届きません。

投稿: schmidt | 2005年12月15日 (木) 12時04分

ゴルゴ姐さん: 先日はH元先生のゼミ録音をありがとうございますた。スパシーバ! 少し前にあるバラエティー番組で、冬ソナのおっかけをする女性の行動を異常視する場面があったのですが、あれがメディアの中高年女性への眼差しなんだろうな、と思ったりしました。メディア関係者が冬ソナファンを冷ややかに観察するさまを観察すること(←ルーマンのいうセカンド・オーダーの観察)によって、彼ら/彼女らの「盲点」が見えてくるかもね。

投稿: 畑仲哲雄 | 2005年12月15日 (木) 16時15分

schmidtさま: 冬ソナのエントリーを書くにあたり、何の相談もせずに申し訳ありません。たしかに「冬ソナ」ブームと、一般的な「韓流」とは分けて考える必要がありそうですね。大学で冬ソナ問題を熱く熱く語る機会があれば、ぜひゲストになってください。あと『マスメディアのリアリティ』を注文してくださってありがとうございます。ルーマン本なので、歯ごたえ満点だと思いますが、H先生のあとがきは優しい日本語で書かれています。

投稿: 畑仲哲雄 | 2005年12月15日 (木) 16時22分

 「『冬ソナ』にハマった私たち」を読みました。面白かったです。冬ソナに夢中になった中高年の女性たちの気持ちがよく理解できたような気がします。敬意を表した上で以下のような感想を持ちました。

 ・冬ソナを見た人たちは実際はどういう人だったのでしょう。わざわざ韓国ツアーにはいかなくても男性はどの程度いたのか、いなかったのか。わたしの周辺には夫婦そろって冬ソナを楽しみにしているという人たちが結構、いたように思います。
 ・旅行、観劇、カルチャー、ショッピングと中高年女性が元気なのは冬ソナ以前からでした。冬ソナツアーが社会現象としてどの程度特殊だったのかという評価の問題をどう考えればいいのか。そうした元気を、むしろ良きものとして支えてきたパートナーたちの存在を考えなくていいのか。元気な中高年のパートナーは、すべて彼女たちの存在や行動を苦々しく思ってきたのかどうか。男女コミュニケーションのギャップが存在するとして、それがどいういものなのかを明確にとらえる必要があるのではないか。
・冬ソナブームと中高年女性の意識を軸に、日本の男性社会を政治も含めて二項対立的に典型化すると、抜け落ちるポイントが多数あるような気がします。たとえば「過去の清算」についても、日本の男性も女性も単色ではなく「なぜきちんとしないか」と考え続け、選挙の際の判断軸としてきたような人たちの政治的、社会的スタンスもあると思います。

・冬ソナという外国の作品に夢中になり、価値観を身近なものにしていった経過は、出発点が全く異なるとはいえ、戦後、米国の文化・価値をわれわれが受容したり、反発したりしてきた過程と、変わらない部分もあるような気がします。この問題については、わたしも考えてみたいと思っています。
 
 長くなりました。失礼します。

投稿: schmidt | 2005年12月19日 (月) 09時23分

schmidt さま: たくさんの感想をどうもありがとうございました。著者になりかわりお礼申し上げます(笑)
 人々の情報行動を類型化すると、どうしても抜け落ちてしまう人たちがでてくるという指摘が、妻と一緒にハマった夫から出されるのは致し方のないことだと思います。わたしは著者の代弁をする立場にはありませんので、まあ、今後のさらなる研究を待つということで、、、、一緒に待ちましょう。
 でも、本のなかで紹介されていた投書を読むというのは実に面白い経験です。私の母親(←大阪弁でオカンといいます)のような世代の女性が(買い物ツアーやおっかけはしないにしても)トキメキながら楽しみにしていたというのは、ショックですした。
 『冬ソナにハマった私たちを読んだ男たち』という続編キボンヌ>林先生

投稿: 畑仲哲雄 | 2005年12月21日 (水) 00時42分

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