映画『白バラの祈り』と社会階層
社会階層の話題は昨今、事欠かない。たしかに社会の格差は広がっていると思う。昔から使われている言葉で言えば、持てる者/持たざる者--はやりの言葉で言えば、勝ち組/負け組--の差異が顕著になってきたと叫ばれている。永田町をあるけば二世や三世の議員は当たり前のようにうじゃうじゃいる。国会議員は分かりやすいが、社会階層はさまざまな分野でしっかり“相続”されている。学者の子は学者に、官僚の子は官僚に、医者の子は医者に、法律家の子は法律家に、ジャーナリストの子はジャーナリストに・・・・彼ら/彼女らがノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)に基づいた行動をとらずに腐敗すれば、社会はあらぬ方向にドライブがかかるのだろうか。マルク・ローテムント監督の『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』(2005年、ドイツ)を観て、そんなことを考えさせられた(以下の二冊のうち、シナリオ本は買おうと思っています)。
ブライナースドルファー,フレート(2006)『白バラの祈り―ゾフィー・ショル,最期の日々 オリジナル・シナリオ』瀬川裕司,渡辺徳美訳,未来社
インゲ,ショル (1964)『白バラは散らず 改訳版―ドイツの良心ショル兄妹』内垣啓一訳,未来社
同居人に連れられて映画を観ただけなので、史実について詳しいわけではないし、ドイツ史に明るいわけではない。だが、なんだかズキーンと胸に刺さるフレーズがあった。わたしが引っかかって仕方がないのは、ゲシュタポの取調役モーアが、主人公のゾフィー・ショルに向かって述べる一連のセリフだ。以下は「オギノフの前頭葉」さんのブログから引用させていただいたセリフである(オギノフさんはシナリオ本から引用している)。
モーア 君は特権階級なのだ。君と君の一味は、恥知らずに特権を濫用している。君たちは、われわれの金によって戦争のまっただなかで大学で勉強することを許されている。私は糞みたいな民主主義の時代には、仕立屋の修行しかできなかった。…なぜ警察官になれたか、話してやろうか?私をいまの地位につけてくれたのは、プファルツを占領したフランス人たちであって、民主主義ではない。ナチズムの運動がなかったら、私はいまもピルマゼンスで田舎警察をしていただろう。ヴェルサイユ不平等条約、インフレ、経済的困窮、失業、そういったすべてをわれらが総統アードルフ・ヒトラーが解決してくれたのだこの時代、まだ少年だったかのユルゲン・ハーバーマス先生も高射砲部隊の補助隊員に動員され、ヒトラー・ユーゲントにも所属していた(中岡成文、2003:22)し、「沈黙の螺旋仮説」エリザベト・ノエレ=ノイマン先生もナチの新聞に寄稿していたとされる。ルーマン先生は何をされていたのかしらないが、幼いながらも複雑性を縮減していたかもしれない。いずれにせよ、国を挙げてのヒステリックな昂揚の中で、民主主義時代には「良心的」だった政治家、法律家、言論人、文化人、起業家、役人といった人々が、みんなナチに協力せざるを得なくなった。無理もない。だれだって特権階級のレッテルを貼られて、吊し上げられたくない。
ゾフィー 反論(略)
モーア 英雄的な戦いへと導いたのだ!君たちは、君たちが軽蔑し、闘っている相手の人間とまったく同じ配給券を受けとっている。早い話が、君たちはわれわれよりもましな生活をしているのだ。そんな必要などまったくないのに…いったいどうして反抗などできるんだ?総統とドイツ国民に守られているくせに…
ゾフィー 反論(略)
モーア …(大声で)われらがドイツ兵士は帝国と同胞を金権政治やボルシェヴィズムから守り、偉大なる自由なドイツのために戦っている。二度とドイツの国土を占領されてはならん!それだけはいっておくぞ!

不安の時代にあって多数者がみずからを「弱者」「負け組」と感じ、特権階級への怒りを鬱積させ、アジテーターが国民を乗せてしまえば、こういう社会はやってくるのだろうと思う。ゾフィーたちは破壊活動や武装闘争をしていたわけではない。反戦ビラを配布するという、人々の理性に訴えかける言論活動をしただけだ。ゾフィーたちを殺したのは、ナチが提示した社会システムに「希望」を与えられた圧倒的多数の国民かもしれない。いまのわたしたちが暮らす世界は、みずからの所属する組織(国家でも企業でも労組でもなんでもかまわない)の批判者や少数者を寄ってたかってイジメぬくルールに支配されていないだろうか。(何を書いているのかよく分からなくなってきましたが、つまり、今の世の中も、それほど良くないぞ、ちうことですわ)
■参考サイト
・映画の公式サイト http://www.shirobaranoinori.com/
・白バラの庭 http://www.weisserose.vis.ne.jp/
・ナチスに割いた白いバラ http://amadare-sirobara.seesaa.net/
・ミュンヘン大学公式サイト http://www.uni-muenchen.de/
・『白バラの祈り』を観て@オギノフの前頭葉
・アップル - QuickTime - 白バラの祈り─ゾフィー・ショル、最期の日々─
・白バラの祈り シンポジウム@ささやかな思考の足跡
・白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々@名演小劇場
・『白バラの祈り―ゾフィー・ショル、最期の日々』@++つぶやき手帳++
・白バラ映画祭@日本におけるドイツ2005/2006
・白バラの祈り - ゾフィー・ショル、最期の日々@ツボヤキ日記
・『白バラの祈り オリジナル・シナリオ』@東屋
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コメント
もし、『白バラ』達にモーアのような問いを突きつけられる者があるとすれば、それは、突撃隊の『エルンスト・レーム』だけではなかったでしょうか?
『レーム』に代表される、いわゆる、ルンペン・プロレタリアートを抹殺したあとの『ナチス』にとって、あのような問いを突きつける権利は無かったはずです。
だからこそ、かつての「白バラ映画」と違って、今回の「モーア」は人間的ゲシュタポとして描かれているのだとは思いますが。
三島由紀夫が『我が友ヒトラー』を書いて以来、この問題は「我々生き残った人間」に対する大きな問題になっていますが。
投稿: natunohi69 | 2006年2月21日 (火) 18時52分
はじめまして。
私、梶野と申します。
この度、「白バラの祈り」を舞台化する事になり、お知らせさせて頂きました。
私はヴィリー・グラフを演じます。
映画では冒頭のシーンだけでしたが舞台版ではみんなと共に奮闘します。
舞台版の今作品は学生の勇気ある行動が生々しく、命を賭けて信念を貫くさまが描かれていると思います。
舞台版も是非ご覧になってください。
詳細はこちらを下記をご覧下さい。
http://www.gekidanmingei.co.jp/whiterose.html
「梶野扱い」と伝えて頂くと一般料金6300円のところ5700円でご覧になれます。
宜しくお願い致します。
突然のメッセージで失礼致しました。
投稿: みのる | 2007年8月 7日 (火) 21時20分
>梶野さん
お芝居のご紹介、ありがとうございます。梶野さんは劇団民藝の役者さんなのですね! 時間を見つけて、見に行きたいと思います。ありがとう!
--勝手にPR------------------------------------------------------------
劇団民藝 2007年上演作品
2007年10月12日(金)~24日(水)
『白バラの祈り -ゾフィー・ショル、最期の日々』
リリアン・グローグ=作 吉原豊司=訳 高橋清祐=演出
紀伊國屋サザンシアター 出演 三浦威、西川明、桜井明美 ほか
詳しくは→ http://www.gekidanmingei.co.jp/whiterose.html
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年8月 8日 (水) 08時58分