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2006年3月24日 (金)

でりゃあ論文だなも

hasegawaどえりゃあ修士論文を書く人がいる。でかい学者になる人は、修士論文から違うというが、そんな修論をベースにした書物に出会った。わたしなら「こういう論文が書けたら、もう何も思い残すことはない」とわめいて、通天閣からバンジージャンプするところ。だけど、論文の著者・長谷川一さんにとって、これは“ホップ”にすぎないのかもしれぬ。今後、ステップ、ジャンプ、大ジャンプ、超ジャンプ・・・・と躍び続けるだろう。これまで積ん読状態にしていた自らの怠惰さを呪うばかり。じぶんの力のなさが情けない。

長谷川一(2003)『出版と知のメディア論-エディターシップの歴史と再生』みすず書房

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2006年3月21日 (火)

対象、あるいはプレーヤー?

たとえば、IT取材者の所属企業が、今まさにIT時代の生き残りをかけた競争の渦中にある(と仮定する)。このとき取材者(の報道)の独立性や客観性はどのように担保されるだろう。客観主義を採る取材者は、対象から距離を取ろうとする。しかし、いかなる取材者も社会関係のなかに在り、超然とすることは許されない。ましてや、取材者の所属機関がIT時代の生き残りをかけて戦っているアクターであるとすれば、その機関でメシを食う取材者の立場は微妙になる。(今回はたんなる備忘録です。ずいぶん持って回った書き方をしました。他意ははありません。まともに相手にしないでください)

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2006年3月19日 (日)

帽子のイニシャルから部屋番号?

wong72歳のポッドキャスター「マサオ」が、しばらく番組を更新しなくなって1ヶ月半。もしかして体でもこわしたのだろうかと心配していたところ、先日、新しい番組を配信した。しばらく中断していたことに一切触れず、ミュージシャンのサエキけんぞう氏が自分の番組を聞いていることを自慢したり、日本語を逆さまに読むと中国語ふうに聞こえるという無理めの“研究成果”を披露したり、メールをくださいとねだったり。最後には「帽子のイニシャルから部屋番号を探すからね」といういつもの決めゼリフで締めくくっていた。すこしわけが分からないが、久しぶりに元気な声を聞くことができて、とにかく嬉しい。

J.オング、ウォルター(1991)『声の文化と文字の文化』、桜井直文ほか訳、藤原書店
MCマサオ『デジオ・ダンディー』 http://sweet.podcast.jp/home/sumsihi/

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2006年3月 7日 (火)

ミンスキー先生の勝ち

the_search大学院博士課程在学中に検索にのめり込んでしまったIT企業家たちの栄枯盛衰ノンフィクション。グーグルを立ち上げたサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジの2人が中心に描かれている。著者のジョン・バッテルはワイアード誌の共同創設者であり、人気コラムニストでもあり、カリフォルニア大学バークレー校でジャーナリズムを教えたりしている才人。すべった転んだの詳細についてはよく取材しているとは思う。だけど、検索とは何かという根源的なハナシを掘り下げて考えるには物足りない。まあ、ビジネスマン向けですからね。

バッテル,ジョン(2006)『ザ・サーチ - グーグルが世界を変えた』日経BP社

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2006年3月 5日 (日)

フィールドワークという手法

yoshiiジャーナリストと似たような動きする一群の社会学者がいる。フィールドワークをしている人たちである。ミルズの『社会学的想像力』を読んだときにも思ったが、好井裕明さんの『「あたりまえ」を疑う社会学』を読み、あらためて彼ら・彼女らへの親近感を覚えた。人と会って話を聞くという点ではジャーナリストにもアカデミシャンにも同じ技術や感覚が要求されるのだろう。・・・・いや、両者をカテゴライズすることに、意味なんてないかもしれない。「あたりまえ」とされていることを疑う目をもち、対象とする社会にはいりこみ、矛盾や不条理を公にしようとする点で、両者に差異はない。

好井裕明(2006)『「あたりまえ」を疑う社会学/質的調査のセンス』光文社新書

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