フィールドワークという手法
ジャーナリストと似たような動きする一群の社会学者がいる。フィールドワークをしている人たちである。ミルズの『社会学的想像力』を読んだときにも思ったが、好井裕明さんの『「あたりまえ」を疑う社会学』を読み、あらためて彼ら・彼女らへの親近感を覚えた。人と会って話を聞くという点ではジャーナリストにもアカデミシャンにも同じ技術や感覚が要求されるのだろう。・・・・いや、両者をカテゴライズすることに、意味なんてないかもしれない。「あたりまえ」とされていることを疑う目をもち、対象とする社会にはいりこみ、矛盾や不条理を公にしようとする点で、両者に差異はない。
このなかで鵜飼正樹さんの『大衆演劇の旅』(未来社、1994)が紹介されている。この作品は、鵜飼さんが大衆演劇の一座にはいりこみフィールドワークをした壮絶な記録である。京都大学大学院の大学院生だった鵜飼さんは参与観察をするため一座に入門する。だが、教養豊かで品行方正な京大院生が飛び込んだ社会は想像を絶する世界だった。しかし、時とともに鵜飼さんは劇団メンバーの一員となっていく。好井さんが96頁に引用した部分を以下に孫引きする。
夜中に、二代目さん、みつる兄と車で富山市内随一の盛り場、桜木町へ出てみるが、雑居ビルがポツポツ並んでいるだけのつまらないところだった。『何かおもろいことないけ』帰り道、遠くに二人組の女の子の後ろ姿。近寄って卑猥なことばを投げかける。女の子たちは知らんふり。さらに車を近づけると、急に走って逃げだし、暗い路地に逃げ込んでしまった。こんなことをするのは初めてだったが、おまえも何か言えと言われぼくも思わず『ねーちゃん、オメコしょーか』とスケベなことばを浴びせかけていた、ああ、良識ある大学院生のぼくはどこへ行ってしまったんだろう。暑い一日だった(鵜飼、1994:60-61)
「客観報道」や「不偏不党」を標榜するジャーナリストなら、こうした性暴力的な行為について、鵜飼さんのように正直に書かないだろうと思う。ジャーナリストの場合は、つねにどこか醒めていることが要請されるからだ。すくなくとも「良識ある○○新聞記者のぼくはどこへ行ってしまったんだろう」などとは記事に書くまい。この点、インタビューを相互行為ととらえ、作品を協働作業による構築物とみる(?)エスノメソドロジーに、わたしは愚直さを感じる。つまり、いつも規範性を要求される(勝手に要求されていると信じている)ジャーナリストのほうが嘘をついてしまう危険性が高くなるということだ。
とりあえずの見解。フィールドワーカーとジャーナリストが駆使する技法には大きな差異はないかもしれない。個人の力量の負うところが大きい。だが、作品の“語り”はずいぶん違いそうだ。話者が立っている位置や対象に向ける眼差しも、かなり差異がありそうな気がする。
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コメント
けっこうおもしろそうな本ですね。読んでみます。
投稿: JOHNY | 2006年3月22日 (水) 23時34分
JOHNYさん、おひさ! ぼくも「なんでもあり」は好くかんかったですよ(笑) でも、いつしか好きになっています。
投稿: 畑仲哲雄 | 2006年3月23日 (木) 08時03分