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2006年3月 7日 (火)

ミンスキー先生の勝ち

the_search大学院博士課程在学中に検索にのめり込んでしまったIT企業家たちの栄枯盛衰ノンフィクション。グーグルを立ち上げたサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジの2人が中心に描かれている。著者のジョン・バッテルはワイアード誌の共同創設者であり、人気コラムニストでもあり、カリフォルニア大学バークレー校でジャーナリズムを教えたりしている才人。すべった転んだの詳細についてはよく取材しているとは思う。だけど、検索とは何かという根源的なハナシを掘り下げて考えるには物足りない。まあ、ビジネスマン向けですからね。

バッテル,ジョン(2006)『ザ・サーチ - グーグルが世界を変えた』日経BP社

ようするに検索はハルを創ることになるかもしれない。ハルとはスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968)に登場するロボット、知的だが身の毛もよだつ、あのコンピューターのドッペルゲンガー(生霊)である。それでも理解できないなら、空想上のコンピューターネットワークであるスカイネットを思い浮かべてみればいい。それとも『ターミネーター』で世界性ふうするコンピューターや、地獄郷を描いた『マトリックス』三部作でもいい。ハルのようなロボットを生み出すプログラムが検索である。その人間対マシンの白熱する対話にわたしたちは魅了され、それがわたしたちの文化を支配する。検索はその可能性を秘めている。(p.19)

まくらの部分でバッテルが言及した寓話は、1980年代に米サンタフェ研究所を中心に議論された「人口知能(AI)」をめぐる枠組みから一歩も進んでいない。そんなの何度も聞いた話だし、だからどうなのよと言いたい。すでに四半世紀前、文理を問わずさまざまな分野の研究者が“参戦”した人工知能・人工生命研究に比べると、しょせん「ネット検索」であり哲学的にも思想的にも、あまりに小ぶりのように映る。

だけど、検索技術をめぐって現実にどえりゃあ金が動いていることは事実だし、しかも、学者や運動家、政治家たちが議論を積み重ねるよりも数倍も速いスピードで、事態は進展している。なによりも膨大な人間がオンラインで検索をしまくっている。その99%が「育毛(&)加齢臭 」とか、「○山○男(←大嫌いな人間の名前など)」とか、「萌え(&)用語説明」とか、くーっだらないものばかりであっても、検索ロボットは黙々とさがしまくるわけだ。

ウェブ検索の影響は、ニュース産業にも確実に及んでいる。著者のバッテル自身が、紙媒体の「ウールストリート・ジャーナル」や「エコノミスト」を購読しなくなっていることを告白し、以下のように述べる。

検索の普及で収入が減るのを警戒し、これらの新聞も雑誌も有料の定期購読を要求して、その記事がグーグルなどのサイトで、検索結果のトップになるようなリンクは拒否する。このためこれらのニュースや分析、社説などをインターネットで読むのは非常に難しくなっている。さらに付け加えれば、これらの新聞や雑誌の読者は、若い層から減ってきている(中略)ニュース産業はどのようにして、この「深い裂け目」を乗り越えて、検索主導の世界に生き残ることができるだろうか。残念ながらわたしに妙案はない。(pp.258-259)

上記の議論は、すべてのウェブサイトがつながっていて、検索エンジンがクロール可能だということが前提となっている。ならば、クロールをゆする“公的”領域と、そうではない“私的”領域とを切り分け、私的領域を保護することを考えることはできないのだろうか。元MITメディアラボ教授のマーヴィン・ミンスキー先生、はすべてが接続しているネットワークは脆弱であるということを名著『心の社会』(産業図書、1990)でも触れておられたが、慧眼というべきだろう。能力欠如で繋がれないのではなく、あえて繋げない智慧もあるはず。(ミンスキー先生を読んだあとは、ドレイファス先生の『コンピュータには何ができないか―哲学的人工知能批判』が面白いらしい。わたしは『インターネットについて―哲学的考察』しか持っていないし、もうこの分野を読もうという根性がないです・・・でも重要。「Web2.0、イェーイ!」などと言ってる人たちこそ、この時代の本を読んでおくべきかも、温故知新のために。バッテルなんか当然この時代の熱気を知ってるはずだもの)

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コメント

>あえて繋げない智慧もあるはず。

 笑われるかもしれませんが「検索の時代」にあって、自分を守る唯一の方法は、つながないのではなく「つないでもかまわない私」と「絶対につながない私」を自ら演出し、二つの「私」を誰にも分からない「秘法」でつないでおくことじゃないか、と考えています。

 あっ笑った。

投稿: schmidt | 2006年3月 8日 (水) 00時09分

schmidtさま: まさかまさか、笑ってなんかいませんよ。むしろ、ネットは〈公/私〉〈ウチ/ソト〉の区別を身につける道場かもしれないとさえ思っています(笑)。あ、笑った。・・・・そういえば、わたしが愛読するオンライン・コラムに、「ブログと自分」というタイトルの記事がありました。公の空間/親密な人との空間/極私的な空間の各レベルにおいて、自分が認識している自分像というものは、確かにあります。デカルト先生が指摘するまでもなく、自分というのは人生最大のナゾですね。

投稿: 畑仲哲雄 | 2006年3月11日 (土) 01時35分

 わたしが愛読するブログに刺激されてコラムを書いてしまいました。ネタもらった!と周囲には白状しています。

投稿: schmidt | 2006年3月11日 (土) 09時33分

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