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2006年4月23日 (日)

Civic J / Public J

(今回も備忘録です)
同じモノやコトに対して、複数の言葉が用いられることがある。たとえば "public journalism" と "civic journalism" はその典型だろう。どちらを使ってもかまわないし、ごちゃまぜに使われてきた。それでもいいかと思っていたら、区別しようとする試みがあった。これは香港バプテスト大助教授のニプ博士の私案かな?

Nip, Joyce Y. M. (2006) 'Exploring the second phase of public journalism', Journalism Studies vol.7, no.2, 2006, pp212-236, Routledge

ニプ博士によると、public journalism の意味はそのままだが、civic journalism について「私は、プロフェッショナルなしの市民たちによるジャーナリズムをそう呼ぶ」と論考の中で記していた(p.218)。もしこれが定着すれば、「シビックとも、パブリックとも言われる、・・・つまり○○なアレなのですよ」などという前振りは不要になる。

そこで思い出すのが、寺島さんの『シビック・ジャーナリズムの挑戦』。本のタイトルに、civic journalism の語が使われていているのだ。寺島さん的には仰々しいパブリックよりも、シビックが気に入られたようだけど(そのきもちはよく分かります)、もしもニプ博士案の用法が主流になってしまうと、ちょっと困ったことになりかねない。

ニプ案に対して、プロとアマを明確に切り分ける点にやはり疑問が残る。むしろゼニ儲けかどうかで分けてはどうか。パブリック・ジャーナリズムは新聞社のビジネスモデルだけど、シビック・ジャーナリズムはNPO、NGO的なものとするほうがすっきりするぞ、たぶん。でもまあ、市民運動の熱心な活動家を揶揄することばに「プロ市民」とうのもあり、市民という日本語の響きも考えなければなりませんわ(あたま悪いから、きょうはこのくらいで許したるわ)。

以下はニプ論文からの引用

The Goal of Public Journalism
the goal of public journalism in helping democracy can be summarized as:
1. to connect to the community;
2. to engage individuals as citizens, and;
3. to help public deliberation in search for solutions.

Citizenship
to position poeple as citizens means to treat them:
・ as making their own contribution to public life.
・ as potential participants in public affairs.
・ as citizens of the whole, with shared interests.
・ as a deliberative body - that is, public with issues to discuss.
・ as choosers, decision makers.
・ as learners, with skills to develop.
・ as connected to place and responsible for place. (rosen, 1997, p.17)

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コメント

 個人的には「プロ」が追いつかないフィールドや問題にリーチできる可能性がある人々という意味で「シビック」を使いたいところです。前提つきで「ニブ案」なのかなあ。

 そういう意味での「人々」の中に、従来型ではない「プロ」が存在しても一向にかまわないのです。新聞社自体、そういう意味での「シビックジャーナリズム」の担い手になるべきであり、そのためには相当厳しい覚悟と内部改革が必要であることはいうまでもありません。

投稿: schmidt | 2006年4月24日 (月) 10時52分

schmidtさま:
 コメントをありがとうございます。ニプ案は、PJはプロの仕事、CJはアマの実践という意味で区分けしただけだと思います。記者にはプロらしい仕事が求められていますが、場面によっては市民の一員であることも求められますよね。とくに地域コミュニティーの中では。
 だから、たとえプロが参加しても市民のジャーナリズムなのだという意見には賛成です。プロがカミシモ脱いで、普段着のCJができるかどうか、です。
 ただ、新聞社が社を挙げてCJ/PJに取り組む場合、記者さんは市民とサラリーマンの間で股割きにならないでしょうか。(この論文の核心は別の所にあるのですが、妙にこだわってしまいました。ごめんなさい)

投稿: 畑仲哲雄 | 2006年4月24日 (月) 16時04分

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