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2006年5月 4日 (木)

「新聞」ということば

「新聞」ということばが意味するものは何か。「何をいまさら」「アホちゃうか」「ヒマな奴やのぉ」などと後ろ指さされそうな問いである。だけど、だれもが自明としているものを一度は疑っみる心構えこそ、真理に到る第一歩なのだ(ほな「真理」って何やねん?と聞かれたら答えられませんが…)。おととし「世論」についていくつか自問自答したことを記したが、今回はそれに続て「新聞」という語を考えてみたい。

まずは基本動作として辞書を疑ってみる。まずは国民的な国語辞典、岩波書店『広辞苑』第5版。

(1)新しく聞いた話。新しい知らせ。新しい見聞。ニュース。安愚楽鍋「活板局から毎日―をさいそくにくるし」
(2)新聞紙の略。社会の出来事の報道・解説・論評を、すばやく、かつ広く伝えるための定期刊行物。多くは日刊で、週刊・旬刊のものもある。安愚楽鍋「日新堂から届いた―の五十八号」

前者は文字通りの意味であり、後者は現在どのように使われているかについて記述しているにすぎない。仮名垣魯文(1871~72年)の『安愚楽鍋』からの引用は面白いし、明治初期に新聞がどのように受容されていたのかを知るには、こういう書物を調べるのが早道のような気もする。だが、わたしが知りたい思っている「しんぶん」という語が指すものについては、情報が足りなさすぎる。そこで次に三省堂『スーパー大辞林』に登場願う。

(1)社会の出来事について事実や解説を広く伝える定期刊行物。一般に,日刊で社会全般のことを扱うものをいうが,週刊・旬刊・月刊のもの,経済・スポーツなど特定の分野だけを扱うものもある。日本で新聞と名のつく最初のものは1862年の「官板バタビヤ新聞」だが,現在のような体裁をもつ日刊紙としては1870年「横浜毎日新聞」の発行が最初である。
(2)「しんぶんがみ」に同じ。「古―」
(3)新しく聞いた話。新しい話題。「世間に奔走して内外の―を聞き/学問ノススメ(諭吉)」

三省堂は一般的に使われている意味を最初にもってきたうえで、「官板バタビヤ新聞」と「横浜毎日新聞」の事例を紹介し、三番目に『学問ノススメ』から引用している。ここで福沢諭吉が使っている「新聞」は、聞くことを対象としている。『学問のすゝめ』は1872~76年の刊なので、『安愚楽鍋』とほぼ同じ時代のものだが、学者・福沢は「新聞」と「新聞紙」とを明確に分けて表現をしていたのかもしれない。そこで、『岩波日本史事典』を調べてみると、以下の記述があった。

幕末・明治期はnewsを新聞,newspaperを新聞紙と訳し分けて用いたが,後に時事的話題を伝達する無綴じの印刷定期刊行物の呼称として定着。起源は17世紀欧州。日本では外国紙の翻訳抜粋である「官板バタビヤ新聞」(1862),浜田彦蔵の「海外新聞」(65),柳河春三の「中外新聞」(68)を先駆として71年1月初の日刊紙「横浜毎日新聞」が誕生,近代新聞の祖となった。(後略)

さすがに少しわかってきた。「南蛮」の新しい知識や情報が英語で「ニュース」と呼ばれていて、幕末の知識人たちがそれに「新聞」という訳語を当てた。知識や情報という無体物としてのニュース(新聞)を、紙に印刷し(とりわけ定期刊行物の体裁にし)た「ニュース・ペーパー」を「新聞紙」と呼んだのではないだろうか。続いて、小学館『日本大百科』をみてみると、以下の記述に出くわした。

中国語で新聞はニュースの意。日本でも江戸時代の末1860年代の初めころまではそうで、この前後からニュースを掲載する出版物すなわち新聞紙をさすことばになった。

わたしたちが現在なにげなく「新聞」というとき、「新聞紙」を指すことが多いが、明治期にはまだ「新聞」を無体物の情報・知識とする考え方が色濃く残っており、新聞紙は新聞社が発行する商品と分けていた人もかなりいたはずだ。ありきたりな比喩かも知れないが、ソフトとハードのアナロジーが使えるかも知れない。(ただし、フリー百科事典「ウィキペディア」には「江戸時代後期の幕末には、手書きの回覧文章を「新聞」と称するケースがあった」という記述もあり、それほど明確な定義づけはされていなかったのかもしれないが)

では、なぜ英語の news に、[新]と[聞]の二文字で表現されたのだろう。先述の「日本大百科」によると、いまも中国では news を新聞と呼んでいるのだから、おそらく語源は中国にあるのだろう。中国語となると、わが家の辞書ではカバーできない。そこでネットを検索していたら、面白いウェブサイトに出くわした。オールガイド社の「語源由来辞典」(http://gogen-allguide.com/)だ。一部を引用する。

新聞という語は、中国の唐時代、地方で起こった出来事を記した随筆体の読み物『南楚新聞』で最初に使われた。『南楚新聞』で用いられた新聞の意味は、文字通り「新しく聞いた話」といったところであろう。

出典が明示されておらず「……といったところであろう」となると、まあそういう説もあるのだろうと受け取るしかないが、少なくとも中国の唐代に[新]と[聞]の二文字でできた単語があり、それが現在の中国でも使用されており、日本でも幕末の知識人がそれにならった可能性がありそうだ。

だが、なにか物足りない。それは新聞紙の「紙」を省略して「新聞」と呼ぶのと同じように、「社」「業界」「産業」「メディア」など、新聞の後ろに付く語を省略していることが、思いのほかあるのではないか。「きみは出版志望なの? それとも新聞?」というとき、業界や産業を意味するだろうし、「放送に比べると新聞は速報性に劣る」などというときはメディアが含意されているはずだ。おそらく英語で表現するときは、「news(paper) ~ 」というふうに明確に表現されていることが、日本語の特性によって曖昧模糊となることがあるということか。

本エントリーでは、あえて「電子新聞」「インターネット新聞」については触れませんが、唐代の中国から21世紀のネット時代まで「新聞」の語が使用されていると考えると、なかなか面白いですね。

■関連サイト
・「紙への道」 一口メモ http://homepage2.nifty.com/t-nakajima/hitokuchimemo02.htm
・語源由来辞典 - 新聞 http://gogen-allguide.com/si/shinbun.html
・世論(1) 2004年6月 6日 http://hatanaka.txt-nifty.com/ronda/2004/06/post.html
・世論(2) 2004年7月 5日  http://hatanaka.txt-nifty.com/ronda/2004/07/post.html

余談その2:こういう話題って、日本新聞協会のウェブサイトにちっとも載っていないんですよね。
余談その2:ラーメン屋で「中華くださーい」とヌカす人を見かけることがあるが、もしわたしが店員だったら「人民共和国を食べるんかい!」とツッこんでやるのに。

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コメント

余談その2:過去を振り返らない日本新聞協会(・∀・)カコイイ!!
余談その2:冷やし中華はじまったら日中関係は冷え切ってしまいそうです。

投稿: 仲間由紀恵@3年計画 | 2006年5月 5日 (金) 09時11分

本来の意味なら、テレビなどで「今日のニュース」と言うところは、
「今日の新聞」と言うべきだったのですね〜。
でも、テレビが登場する前に日本では
「新聞」という言葉は「新聞紙」の意味になってたのか。。

あ、今なんとなく思ったんですけど、この違いがメディアの違いなのかしら、
「新聞」と「ニュース」の違い・・・漢字とカタカナの違い=新聞とテレビの違い。
あれ? 今なんとなく何かがわかったような気がしたけど、
なんだったのか分からなくなってしまった(笑)

唐の時代から「新聞」という言葉が存在していたなんて、面白いです。
ニュースという言葉(概念)はいつごろから西洋に登場したのかなぁ。。。
ちょこっと調べてみたけど「語源は東西南北の頭文字」なんてガセビアばかりでした(挫折)

投稿: あいゆみ | 2006年5月 5日 (金) 11時54分

染谷です。
ハタ氏の最近のエントリーを見ていると、なにやら小生の研究領域に近いような気がしたりします。で、今回を含め実に本質的な問いを提出しているので面白く読ませてもらっています。以下、ご参考になれば。

1)「新聞」という言葉については、日本には江戸時代から「風説書」という言葉がりましたが、文久3年(1863年)の幕府使節団が「西洋各国において新聞紙と相唱候ものは…」という記述があるそうですし、明治27年には福地源一郎が「新聞紙実歴」という本をだして、「ニーウエスの訳として新聞紙」という語を使っています。
「新聞」という言葉自体はまさに中国で使われていることばだったそうで、宗の「朝野類要」の「朝報」に記載があるのが有名だそうです。読み下した文書でも僕には理解不能ですが、要は、政府の官報とは別に、探索して得た情報を記したもののようで「隠してこれを号して新聞と曰う」のだそうです。
これらは、幕末から明治期の新聞の受容についての論文で、松本三之介「新聞の誕生と政論の構造」『言論とメディア』(岩波書店、1990)に入っています。
2)公職選挙法の148条に新聞の定義があります。ご参考に。
http://www.normanet.ne.jp/~hourei/h100eR/s250415h100_03.htm
3)新聞もそうですが、僕はマス・メディアというのが実は定義不能なのではないかと最近思っています。社会学では「コミュニケーションを媒介する媒体」(花田先生)といっておけばよいと思いますが、憲法学では、マス・メディアに自由を与えるわけですから、「コミュニケーションを媒介する媒体」のすべてに、今の「マス・メディア」に与えているような自由(特権や規制も)を与えるとなると実は非現実的な結論に至りそうな気がします(記者クラブとか証言拒否とか)。これは、マス・メディアを新聞に置き換えても同じだと思います。多分、憲法学では、「プレス」という概念から検討するのが一番よいのだろうち思っていますが、ハタ氏の場合は、journalismという概念から新聞を規定するということになるのでしょうか?
ちょっと、楽しみです。

投稿: gaku | 2006年5月 5日 (金) 13時44分

仲間@3年先輩: 冷やし中華はじまったら日中関係は冷え切って----うまい! さすが竹子で担々麺たべてるだけのことはありますね。

あいゆみさん: こんにちは。わたしが書いてることが必ずしも正しいとは限らないです。騙されないようにしてくださいね。

gaku先輩: 文献情報をありがとうございます。めっちゃ感謝しています。先輩が歩んだ後ろを、とぼとぼ付いていきますので、これからも時おり後ろを振り返ってください。

投稿: 畑仲哲雄 | 2006年5月 5日 (金) 14時35分

ふたたびgaku先輩:
 「マス・メディアというのが実は定義不能なのではないか」という問いは、さすが深いですね。新聞やジャーナリズム、あるいは世論・公論についても同様だと思います。ぼくは憲法論に明るくありませんが、たしかに、プレスの自由(特権や規制も)というものを考えるとき、グレーゾーンにあるものをどう選別するか、恣意的にならざるを得ないかもしれませんね。
 あと、ジャーナリズムから新聞を規定するというような大胆なことは、ぼくの能力を超えています。じぶんの無精を棚に上げながら、それらは定義/規定困難であることを踏まえて、なぜ困難なのかを後段に再投入しつつ手探りを続けたいと思っています(←なに書いてるのか分からなくなりました)。

投稿: 畑仲哲雄 | 2006年5月 5日 (金) 14時54分

TBさせていただきました。ご無沙汰しています。オゲンキデスカ?恐れ多くも「新聞の将来とインターネット」という題の記事(では本当はなく大学の講義録そのまま。それも事前に出してしまうという無茶苦茶さ)を書いたので、ちょっとは貴兄のお仕事、勉学に関係があるかな、と思いまして。2年前に名大大学院で話したことをベースにしたのですが、数字がものすごく変わっていて、そこを直すだけでも大変でした。個人的には、最近、NYTが商況欄をなくした、ということに興味を感じています。日本もその時期がやがて来る、という気がしています。やがて…ですが。

投稿: 京野菜 | 2006年6月29日 (木) 15時24分

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