公共性についての備忘録(2)
このところ、メディアの公共性を考える事象が縦続いた。NHK番組改編をめぐる朝日新聞との応酬や、ホリエモンのフジテレビ買収騒動、さらに、制度問題としての公共放送問題。一般的に、マスメディアには公共性があり、それゆに倫理的・制度的な制約を受けると考えられがちだ。でも、公共性とは何か、なぜマスメディアに公共性が求められるのか、など素朴な疑問について熟議が展開されているようには思えない。
▽一階と二階の公共性、正当性と正統性
法に関する公共性 ( publicness ) にも二種類ある。一階の公共性と二階の公共性である。
一階の公共性とは法における公共性で、法価値論の見方に基づく。一階の議論では、正当性 ( rightness とか justification - justifiability とか) が問われる。
二階の公共性とは、法の公共性で、こちらは法概念論の視座。二階の議論では、正統性 ( legitimacy ) が問題となる。
正統性と正当性の区別は、法律ワールドだけのものではなく、人文ワールド一般で用いられているので「なーるほど」と思ったが、一階と二階の区別が、ピンとこなかった。わたしには、正統性の基盤の上に正当性があるような気がしていたのだ。
そこで同居人にたずねたたところ、明快な回答が返ってきた。「一階は足元の話。二階はメタなレベルの話でしょ。数学にも二階の微分というのがあってね……云々」。
このときの公共性は、公共圏論と連結しにくいような気がする。
ただ、「法における公共性/正当性」と「法の公共性/正統性」の区別は、他の事象にも応用可能ではないだろうか。たとえば「報道の」とか「ニュース活動の」とか。
ちなみにグローコムの ised key word では、「せいとうせい」を以下の3つに区別している。
* orthodoxy (正統性)第一次世界大戦が終わり、焦土の荒廃を目の当たりしたウェーバーは、「正当性」ほどアテにならないものはないと痛感したのではないか、と想像します。
o 伝統的な教義やスタイル、血筋の正しい継承。由緒正しさ。
* justification (正当性)
o ある政治支配の倫理的な正しさ。ないが信じられているのか、正しいと思われているのか、という内容・事実的水準(What)における正しさ。
* legitimacy (正統性)
o マックス・ウェーバーの「正統性」概念。ウェーバーは、ある権力への服従する要因は、合法的支配・伝統的支配・カリスマ的支配の三類型を提示。なぜ(Why)その権力に人々が服従しているのか・受け入れられているのかという根拠としての正しさ。
▽秩序のトゥリアーデ〈国家・市場・共同体〉
ロックとモンテスキューの思想をルーツにもつ権力分立論は、近代国家を〈司法・行政・立法〉の三つの権力に分け、相互のバランスをとることで権力の集中や暴走を防ごうとするもの。しかし、資本市場のグローバルな拡大や人材の流動化などにともない、単一の国家内だけの秩序を考えることが困難になってきた。さらなる普遍的な秩序を考えようしたとき、I先生が提示しているのは〈国家・市場・共同体〉という秩序のトゥリアーデである。
トゥリアーデというのは「三つで一組のもの」を意味するドイツ語で、ヘーゲル弁証法の〈正・反・合〉を総称する際に使われた用語・・・ それはさておき〈国家・市場・共同体〉の3つに分けた理由は以下の通り。
国家は、極論すれば組織化された暴力装置である。事実、どのような国家も刑務所や軍隊、警察などを運用しており、いったん暴走すれば簡単に止めることができない。一方、交換をベースにする市場はどうか。警察よりも警備会社のほうが効率的な場合も多いし、裁判所よりも合理的・効率的な問題解決方法を提示するコンサルもあろうだろう。アナルコ・キャピタリズムのように国家に頼らない資本主義の立場さえある。だけど、市場も極論すれば貧乏人排除の不公平な場である。では共同体はどうか。ここでI先生がいう共同体は国家や国家連合といったものまで含む広義のものではない。おもに労働組合や業界団体、NPO、NGO、町内会などの中間団体を指す。こうした共同体は国家や市場にできないことをいくつも実現してきた(トクヴィルはアメリカの民主主義のこうした部分を賞揚した)。共同体の内部では参加者相互の長期的な(一般化された)互酬性の原理が働く。この互酬性は良い面もあれば、悪い面もある。村八分などはその典型例だが多様性や自由度、寛容度で少数者を圧迫してしまうこともある。だからこそ〈国家・市場・共同体〉の三つのシステムがチェック&バランスを保ちながら公共財を提供することが好ましい、ということになる。
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