« 公共性についての備忘録(1) | トップページ | 結局いつも砂時計 »

2006年7月 8日 (土)

中間地点、どうにか通過

Gakkanことしの修士論文中間発表が、きのう、終わった。中間発表はことしで二回目。振り返れば、2005年はほんとにひどい内容で、審査をしてくださった三人の先生には、もうしわけなかった。でも、ことしは、どうにかこうにか、昨年の雪辱をはたせたように思う。まだ甘いところはあって、それはじぶんでも自覚している。だけど、基本的にこの調子で、というコメントには大いに勇気づけられた。道のりは長いが、なんとかやりとげたい。

ちなみに学際情報学府では、修論論文提出までに、いくつかの節目がある(…どの大学院にもあるが)。まず、入学してほどなく、指導教員に研究計画書を提出しなければならない。そして、M2に進む直前に、ウェブ発表とオフライン発表がある。ウェブ発表はじぶんの研究内容を学内サイトにアップロードして互いに評価し合うイベントで、面白いテーマと格闘している人や研究がかなり進んでいる人いることを知り、「へ~」の連続だった。これに続くオフライン発表は、ポスターセッションのようなイベントで、不特定多数の学生や教員たちの前で、手短に説明をしなければならない。内容もさることながら、プレゼンテーション(しゃべくり)能力も求められる。

その次にやってくるのが中間発表で、これはM2の夏学期が終わるころに開催される節目である。三人の教員を前に十五分で要領よく修論構想を説明し、10分間の諮問バトルに応答しなければならない(これもM1グランプリ?)。ひとの発表を見学させてもらうと、すでにかなりの分量を書き終えていたり、博士顔負けの論文構想を進めている学生がいたり、教員とのやりとりに自信たっぷりの人がいたり。人によっては(去年のわたしのように)自分と比べて、焦ってしまうこともあるのではないか。

ずいぶん前、ある教員と雑談をしていたときに聞いたいくつかの言葉を思い出す。「入学時にいくら良い成績でも、いい論文が書けるとは限らない」「頭のなかで熟考しても、うまく表現できなければ誰にも伝わらない」「博覧強記であっても、問題意識がない人は研究はむり」…… 修士 過程 課程も三年目にはいると、これらの言葉の意味が実感を持って感じられる。ていうか、これらは大学の外でもじゅうぶん通用する格律かも。

おとといときのうの発表をどうにかこうにか終え、ゼミ仲間たちと連れだって、学士会別館横のビアホールで乾杯。みなさん、お疲れさまでした。(K研究室のみなさんはこれからですね!)

|

« 公共性についての備忘録(1) | トップページ | 結局いつも砂時計 »

school life」カテゴリの記事

mumble」カテゴリの記事

コメント

お疲れ様です。思わず懐かしくなって書き込んでしまいました。私も一年前・・・。

これからが勝負ですよ!頑張ってください。

投稿: bamboo | 2006年7月 8日 (土) 10時21分

bambooさん
 お久しぶりです。たしかに、これからが勝負。がんばります。bambooさんさんもお仕事がんばってください。またどこかでお目にかかりたいですね。

投稿: 畑仲哲雄 | 2006年7月 8日 (土) 12時02分

>修士過程も三年目にはいると

⊂⌒⊃。Д。)⊃ レジュメうp

投稿: 仲間由紀恵@3年計画 | 2006年7月 8日 (土) 14時02分

中間先輩、副数階に綿る誤植熨して気、奔騰に有離が頭語ざいます。

投稿: 畑仲哲雄 | 2006年7月 8日 (土) 17時32分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 中間地点、どうにか通過:

« 公共性についての備忘録(1) | トップページ | 結局いつも砂時計 »