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2006年7月20日 (木)

映画『スミス都へ行く』と世論

M佐藤先生が近著で紹介されていた映画『スミス都へ行く』を先日、ようやく観ることができた。喜劇映画のフランク・キャプラ監督が1939年に公開した名作で、民主主義や世論の問題を考えるには、なかなかに良い題材だと思う。佐藤先生も「クライマックスではいつも涙を抑えることができない」(p.136)といい、あの丸山眞男も主人公がリンカーン記念堂を訪問したシーンで「不覚にも私の目は涙にあふれた」と書いているそうだ(p.139)。でも、わたしは最初から最後までさほど感動できず、世論のことばかりが気になった。

フランク・キャプラ監督『スミス都へ行く』 1939、米 (原題 "Mr. Smith goes to Washington")
佐藤卓己(2006)『メディア社会』岩波新書 pp.134-139

気になるフレーズがいくつもあった。

まずは、青二才のスミスが尊敬する先輩議員で、亡き父の盟友であったペインから聞かされるセリフ。ダム工事をめぐる汚職を知ったスミスを、ペインがなだめて説得する。

M_5

ペイン:わたしは(テイラーと)妥協した。だから長年、議員として州民に奉仕できたのだ。わが州の失業率は最低、国の補助金は最高だ。有権者の意識など低いものだ。帝国はこうして築かれたのだ。これが現実なのだ、ジェフ。

たしかに、議会を構成員たる上院議員と違って、選挙するだけの有権者たちの政治意識は総じて低いだろうし、利益誘導をしてくれる政治家を選出する仕組み構成されやすくなるのは自然なことだろう。たとえ記念碑に「人民の人民による人民のための」というゲティスバーグ演説の言葉が刻まれていたとしても、現実の政治は少数の有力者たちによる「帝国」支配となっている。哀しい事実かも。

Photoもうひとつは、ジャクソン市で新聞社などを所有する実力者、テイラーがペインと交わすセリフ。このときすでにスミスは上院で大演説=フィリバスターを始めており、新聞記者たちが走り回っているところ。


ペイン:もし彼が郷里の世論を喚起したら…
テイラー:ありえんさ。わしが世論を作ってあの若造をつぶしてやる。世論は任せて上院の根回しをやっていろ。
ペイン:あらゆる手は打った。これ以上はやれん。
スミス:スミスに同情が傾いたら君は終わりだぞ。
さらに、テイラーがじぶんのオフィスから新聞社幹部に電話連絡するところ。

テイラー:スミスの発言を伝える記事は残らずボツにしろ。他紙にも圧力をかけろ。言うことを聞かん新聞には24時間妨害に出ろ。大衆を扇動して電報や手紙を出させろ。

M_6上院本会議でスミスがフィリバスターを続けている間に、テイラーは「世論」形成を画策する。一方、スミスの演説に感動した支持者たちも新聞を発行して「世論」形成で対抗しようとする。第二次大戦前のこの時代の「世論」というのは、人びとが組織的に作り、大衆を扇動する道具だった。いまほどマスメディアは発達しておらず、民意反映システムとしての世論調査が存在していなかった時代の「世論」を知るうえで、この映画はとても良い素材であろう。

最後に感想を言うと、この映画の気味悪いところは、「僕のが正論でなければ頭がおかしいことになる」というスミスの揺るぎない熱弁に、「独裁国」の外交団が傍聴席から拍手をしたり、ボーイスカウトの少年たちがあたかも軍国少年のようにキビキビ働く場面が感動的に描かれていることだ。ただし、絶望的な状況にあったスミスを鼓舞するヒロインの言葉にはちょっと考えさせられる。

You had faith in something bigger. You had plain, decent, everyday - common rightness … and this country could use some of that. So could the world cockeyed world. A lot of it.

字幕では下線部分は「常識的な正義感」と訳されていた。rightness は正義感なのだろうか。正義感といえば、a sense of justice とか a moral sense のほうが近い。むしろスミスに当てはまるのは、悪を懲らしめる正義というよりも、廉直さ、公正さ、高潔さといった感覚ではないだろうか。M_3

1930年代のアメリカは、すでに産業化、都市化が起こっており、大都市には大衆とよばれる人びとが生まれた。大恐慌時代を経てローズベルト大統領によるニューディール政策が採られ、平等、隣人愛、we the people に象徴される人民主義が大義として叫ばれる。しかし、40年の日米開戦とともに、人種偏見がヒステリックに高まってしまう。

佐藤先生はこんな疑問を呈している。

この作品が日本で封切られたのは1941年10月、日米開戦の直前である。当時はアメリカ議会政治の腐敗堕落を描く作品として反米意識高揚のためにも上映が認められたはずである。一方、戦後GHQはこの作品を議会制民主主義に対する不信感を植え付ける作品として、民主化途上にある日本での上映を禁止していた。戦前の日本政府と戦後のGHQの検閲官が問題視したのは、民主政治にともなう利権や談合だけだったわけではない。むしろ、どちらの検閲官もスミス青年の英雄的行動にともなうファシズムの匂いを嗅ぎ取っていたのではあるまいか。

この部分、佐藤先生ならではの鋭いツッコミだと思う。同感です。物語は最後にペインが改心するというハッピーエンドだから、始末が悪いように思う。

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コメント

「金太マカオへ行く」ってひょっとしてこれを踏まえてるのかな。

投稿: 仲間由紀恵@3年計画 | 2006年7月20日 (木) 23時49分

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