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2006年9月28日 (木)

松葉杖に想う

Matsuba松葉杖生活の愉しみは、優先席に座っている人に席を譲らせることのように思えてきた。妊婦でもなく、老人でもなく、障害を持っていそうにない人が、優先席(優先座席、シルバーシートともいう)を堂々と占拠している。足を大きく広げてケータイをピコピコしている人、カバンを横に置いて二人分の席を使っている人、大声で雑談したりバカ笑いしている集団--そんな場面に遭遇すると、妙にウキウキする。わたしの松葉杖が目にはいると、心配そうな表情で「ど、どうぞ」と譲ってくれる人には素直に感謝する。でも、「あー、なんて運が悪い」といわんばかりに渋々席を立つ人や露骨に迷惑そうな顔をする人を立たせた瞬間、内心「勝ったー!」と思う。(いったいなにに勝ったのだろう?)

松葉杖生活になって痛感するのは、人はみな優しく振る舞ってくれるということだ。優しい振る舞いには、掛け値なしに利他的と感じられるものもあれば、罪の意識や他人の視線を意識した利己的な行為と映るものもある。ただし、利己的であれ利己的であれ(その区別も難しいが)、優しい振る舞いというのは、けっして長続きしないということだ。だからこそ社会には制度というものが必要なのだが、よい制度ほど悪用されるというのも世のならいですね。わたしが優先席のフツーな人を次々と立たせているのも、行きすぎると、制度の悪用となりましょう。



10月8日追記

 ようやく松葉杖とおさらばしました。いまも傷みますが、ゆっくり歩くコトします。
 ちなみに、優先席バトルの勝率は、ざっと4割程度でした。
 なかなか勝てなかったのは、寝たふりをする人です。たいていの人は、降車駅に着くや、元気よく席を立って早足で歩き去ってしまいます。私の目からみた限り、半数以上は元気ハツラツに見えました。
 次は本や雑誌、ケータイに集中している(ふりの)人。松葉杖は視界に入っていると思われるケースでも、我関せず。こういう人たちは、障害者やけが人、老人、妊婦たちのことなんて、知ったこっちゃないんでしょうね。
 このほか、「こいつらは論外だわ」と人にも出会いました。それは、小さな子供を連れた親子連れ。父親が子供をつり革にぶら下げてギャーギャー騒がせ、母親は手荷物で座席の半分を占拠。子供がつり革でぶらぶらしているのを見かねたのか、母親が娘に向かって「つり革から落ちて怪我したら、あんなふうになるわよ」と私の松葉杖を指さしていました。こういうのに育てられる子供が気の毒です。
 逆に、こちらがえらく恐縮してしまったのは、お年寄りから「さあ、さあ」と譲られそうになったとき。お年寄りの隣には短い脚をめいっぱい広げて寝たふりしてるサラリーマンがいたりするのがアイロニーだ。その逆で、私が年寄りに咳を譲ろうとしたこともある。

 というわけで、今回の松葉杖体験から言えるのは、老いも若きも男も女もみな、人は総じて利己的だという当たり前のことです。
 倫理や道徳を持ち出して、弱者への配慮を考えさせるべきか、制度で規制してしまうか。松葉杖ライフのの前なら断然前者だと良いと思っていましたが、現在は、後者のほうがすっきりします。つらいときに「譲ってください」と切り出すのは勇気が必要。それを弱者の側だけに強いるのはバランスに欠きます。

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コメント

 なるほど!楽しんでください。わたしの連れ合いは後天的な疾患で足が少し不自由になってしまったのですが、一緒に歩いていると、障害を持つ人に対して世の中の人たちはそんなに優しくないぞというのが実感できます。
 足が悪い人が歩いていても、絶対に道を譲らない人、かばんをふち回すようにしている人、穴があくかと思うほどの視線をジロジロと送ってくるぶしつけな人、猛烈な勢いですり抜ける自転車族、どうやって乗り越えようかと思う段差、階段などなど。

 連れ合いはしょっちゅう、道を譲っています。わたしの後ろに隠れる格好になります。その様子が「健常者」のわたしには卑屈に見えて、とてもイライラします。わたしはぶつかってくるやつは体当たりで防ぐ覚悟でいます。「あんたが道を譲るから、あいつらがでかい顔して歩くんだ。堂々としていろ」と言うのですが、連れ合いは「万一、突き飛ばされて、損をするのはわたし」と平気な顔しています。全くその通りです。バリアフリーなんて、この国では、まだまだ、うそんこです。

投稿: schmidt | 2006年9月29日 (金) 05時47分

優先席はむずかしい。端からはわかりにくい疾患をもっている人は、ほんとに肩身が狭いですよね。心臓とか呼吸器だと、わからないのですよ。そういう疾患の人たちも気楽に使えるバリアフリーができたらいいんだけど。
かくいう私に必要なのは、お勉強のできなさを補うシルバーシートです。はい。

投稿: クニエ | 2006年9月29日 (金) 11時07分

 Schmidtさん、こんにちは。たしかに譲る筋合いのない人が譲る場面は少なくないです。ご家族が無用な「譲り」をしている場合、そのいらだちは尚更でしょうね。たしかに、バリアフリーなんて「まだまだ、うそんこ」。「万人は万人に対して狼」というホッブスの規定に説得力を感じてしまうのは悲しいですね。これって倫理や優しさの問題というよりも、民主主義に関わる問題ですね。

 クニエさん、重要な視点をども! 可視化されないマイノリティがシルバーシートを遠慮がちに使う図も、不条理ですね。そういえばぼくも腰痛のためシルバーシートに座っていて、真ん前にやってきたお年寄りと目が合ったときは、いたたまれませんでした。あのときは、立ち上がろうにも立ち上がれなかったし、いちいち説明するのも弁解がましい。杖や包帯というのは説得力があるものですね。

投稿: 畑仲哲雄 | 2006年9月29日 (金) 11時33分

松葉杖生活も長続きはしないことですし、利己的であれ利己的であれ勝ち続けることが大切ではないでしょうか。

投稿: 仲間由紀恵@3年計画 | 2006年9月29日 (金) 17時50分

仲間先輩、スルドイ! 杖を手放した後も、(エアギターのように)エア松葉杖で優先席に立つことにします。

投稿: 畑仲哲雄 | 2006年9月29日 (金) 18時01分

>優しい振る舞いというのは、けっして長続きしないということだ。だからこそ社会には制度というものが必要なのだが、

アファーマティブ・アクションという言葉、はずかしながらつい先日知りました。

>そういえばぼくも腰痛のためシルバーシートに座っていて、

私も腰痛時期、いつもは敬遠するシルバーシート、愛用していました。心の中で「腰痛だぞ」って言い聞かせながら・・・。その時、目に見えない障がいってつらいな、と実感。しかし目に見える障がいも、まなざしという二次的な痛みを伴なうのかも・・・。しかしまなざしの受容は主体の側にもよるのでしょうね。

それにしてもシルバーシートで携帯いじる人って???多すぎ。中年の人も案外いる。

投稿: Ami | 2006年10月 1日 (日) 21時22分

Amiさん、こんばんは。ぼくも腰痛持ちなので、Amiさんが腰痛時にシルバーシートを使われたときの気持ちはわかります。つねに少数者の側が自らの生きにくさを証明し、多数者を納得させなければならないというのは、酷だなあと実感します。こんなことを考えさせられたのは、怪我の功名かも。

投稿: 畑仲哲雄 | 2006年10月 1日 (日) 22時56分

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