私企業内の民主主義
いやしくも“民主主義”の政治理念を掲げる国家ならば、議会は民主的でなければならない。議会の代表を選ぶ市民には普通選挙権が与えられ、自由や平等が保証される必要がある。それは政治的な手続きだけに留まらず、ひとつの規範的な理念、あるいは思想としてあらゆる場面に敷衍する。たとえば、政党内は民主的でなければならない。学校運営も民主的であるべきだとされる。だけど、防衛や防犯のための軍隊や警察の内部が民主的でなければならないとか、プライベートな空間である家庭内や企業内にも民主主義のルールが貫徹されるべきだと考える人はそう多くないだろう。
わたしが抱いている素朴な疑問は、民主主義の担い手を自認し、公共性の高さをアピールしている企業内部の運営が、民主的でなければならないか否かである。外向きには民主主義のプレーヤーでありながら、内向きにはデモクラシーのかけらもない組織の存在というものは、あちこちに存在しているように思う。利潤を求めてやまない私企業には、強力なリーダーシップが必要とされることが往々にしてあるし、経営権が血族間で禅譲されるような組織内では、およそ民主的な手続きをもとめる声など出てこないだろう。
これは「内部的自由」と「編集権」の問題と相似形のような気がする。あくまでも気がする、という抽象的なヨタ話です。ただ、この手の議論をする際の参考文献ほしす。
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コメント
いかがですか指は・・・。迂闊な私は他人事でもなく畑仲さまに注意喚起されています。
さて編集権とのからみ、なるほどそのように感じます。
思うに民主的な組織と閉鎖性は両立しない。とすれば公開性とセットで考えていくといいのかな。企業に公開性をもとめられるか? 経営からのアプローチで株式関係など。
ではマスコミは?株式アプローチは取れない・・・
だめだな~やっぱりマスコミは希望なしなんて
投稿: JOHNY | 2006年11月 2日 (木) 22時13分
JOHNYさん、おひさです。興味を持っていただきありがとうございます。
編集権声明に記された「外部たると、内部たるとを問わずあらゆるものに対し編集権を守る義務がある」という一節はある意味、見事です。外部権力からの圧力や内部の反対勢力をおさえつけるだけではなく、おそらく株主からも独立を保たなければならないということですね。
独立性と表裏一体の閉鎖性により、内部で芽生えんとするデモクラシーの運動は構造的に栄養失調になるよう決められているのかもしれません。外から見ると、○○主義的な組織も、その内部は○○主義からほど遠い--とはアイロニーです。でも、だからといって、●●はダメだ--という答えを導き出すのは安易すぎではないでしょうか。ダメなメカニズムを解明するのはアカデミズムの使命だと思うのですよ。
投稿: 畑仲哲雄 | 2006年11月 3日 (金) 09時58分