« 男を壊すのは人事政策? | トップページ | さあ、もういっぺん »

2007年2月12日 (月)

統べるダメ人間

DogvilleManderlayラース・フォン・トリアー(Lars von Trier)の『ドッグヴィル』(2003)をようやく観た。最初に『マンダレイ』(2005)をたため逆順の鑑賞となったが、この際、順番はどうでもいいかもしれない。『ドッグヴィル』だけを観れば、宗教や道徳などの多方面から読み解きがなされると思うが、『マンダレイ』とセットになったとき、一連の作品のモチーフが、共同体における善き生(徳)、民主主義、自由のアポリアであることがわかる。

ラース・フォン・トリアー『ドッグヴィル』(Dogville, デンマーク, 2003)『マンダレイ』(Mandaray,デンマーク・スウェーデン・オランダ・仏・独・米, 2005)

両作品とも、舞台は数十人の閉鎖的な共同体で、そこに主人公グレースが招かれざる者として現れる。『ドッグヴィル』においては、教会が討議の場として設定されているが神はすでに無く、互酬的な相互監視が人々を律しており、主人公は共同体への奉仕を対価に共同体に受け入れてもらおうと骨身を削る。逆に、『マンダレイ』では主人公が未解放奴隷が存在する綿花農園に武力を使って乗り込み、高邁な民主主義を強制しようと奮闘する。

両作とも、共同体の中にいくつもの深刻な問題の存在が示され、机上の理想論が一筋縄では達成され得ないことが物語の重苦しい主題となっている。共通しているのは、デモクラシー実践への深いペシミズムといってもいい。そうこう考えるうちに、二人の言葉をを思い出した。ひとつは、"The problems that vex democracy seem to be unmanageable by democratic methods." (Lippman 1925: 179-180)。もうひとつは「この世を燃やしたって、一番ダメな自分は残るぜ、1234!」(大槻ケンヂ、『踊るダメ人間』)である。

個人的には『ドッグヴィル』のほうがよくできた映画だと思うが、映画の中に新聞もラジオも登場しないのは不自然な気がした。〈パブリック〉は巧妙に不可視化されているのだろうか。

|

« 男を壊すのは人事政策? | トップページ | さあ、もういっぺん »

「cinema」カテゴリの記事

「democracy」カテゴリの記事

「dysphoria」カテゴリの記事

「law」カテゴリの記事

「politics」カテゴリの記事

コメント

 米国流「民主主義」に対する異議申し立てとして、腑に落ちる部分がかなりありました。「マンダレイ」の方がより意識的な表現になっていて、その分、分かりやすかったように思います。
 特に主人公が黒人たちに「民主主義」について講義する場面が印象的でした。数年前、縁あって「地方における直接民主主義」と題したデラウェア大学のNPO研修を受けた際の体験を思い出しました。参加者は日本のNPOのリーダーらでした。
 ある小さな町の市長を講師とする研修がありました。「民主主義」とは何かを「教えて」」くれるのでした。出席者全員に「○」と「×」のカードが渡されました。講師が質問し、われわれがそれに答えるのです。
 たとえば選挙で一票を投じる際に重要な点。「候補者の見かけやイメージを大切にする」「門地や身分、財産のあるなしを重んじる」。これらが民主主義かどうか答えよというのでした。
 質問のレベルがすべてこの調子の初歩的なものでした。こういうレベルで、日本人に「教える」ことに違和感を感じない米国人と「そう見られている日本人」の双方に違和感を覚え、次第に腹が立ってきたものです。思わず「米国の大統領選ほど、テレビを通じた候補者のイメージに左右されるものはないと思うのだが・・」と質問したら、彼はとても不機嫌になるのでした。
 「マンダレイ」の「民主主義教室」の生徒たちは、一見素朴で、愚かなように見えて、実は民主主義の重要性を説きたいと熱くなる白人が気のすむようにさせていただだけだった。

 民主主義の受容の形としてこういうものも、歴史的にはあったのだろうか、とショックを受けました。現在、米国が世界中で守ろうとしている「民主主義」の解釈に絡む重要な提案だからです。「好きにやらせればいいさ」と考えて、その実、全く別のことを考え、行動していた人々が大量に存在するとしたら、そうした人々(1951年生まれで、一応、民主主義しか知らない日本人である自分も含まれる?)への弾劾であることになります。次の作品「ワシントン」(?)が待たれます。

投稿: schmidt | 2007年2月12日 (月) 08時14分

Schmidtさま、コメントをありがとうございました。『マンダレイ』では民主主義という理想的な制度と自由主義とを、非民主的な手法で(具体的にはマシンガンによる暴力的抑圧によって)強制するヒロインの論理と倫理に、今日のアメリカをダブってしまいますね。そして、Schmidtさんのデラウエア大学での体験にもダブった、というわけですね。
 わたしにも似たような経験があります。ぼくの初任地は被爆地・広島だったのですが、「平和運動」をしているアメリカ人の一部には、かわいそうな日本人を憐れむ表現を使う方もいました。とあるキリスト教系のニュースレターの中で「平和の尊さが理解できない広島市長など、アメリカの上院議員に頼んでクビにして貰いましょう!」というような意味のことを呼びかけていた老婦人は、純粋で善良で使命感の強い人でした。
 話が横道にそれましたが、民主主義の問題を考えるとき、制度の機能不全や暴走を防ぐためにも、自由主義や平等主義という異なった出自をもつイデオロギーが必要になると思いますが、いまの私には言説資源が足りません(涙)。
 三部作の集大成『ワシントン』はたしかに楽しみですね。

投稿: 畑仲哲雄 | 2007年2月13日 (火) 21時02分

「それでも、生きて行かざるを得ない」


学生時代のカラオケの定番でした・・・。

投稿: いずもり | 2007年2月14日 (水) 02時03分

いずもりさん、重要な台詞をありがとうございます(爆)。

投稿: 畑仲哲雄 | 2007年2月14日 (水) 22時56分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/19960/13868263

この記事へのトラックバック一覧です: 統べるダメ人間:

« 男を壊すのは人事政策? | トップページ | さあ、もういっぺん »