新聞記者の表象
凡そ新聞記者という職業に就く人物が、映画のなかでどのやふに描かれてきたかという表象の系譜について、かねてより興味がなかったわけではないが、生来なまけ者の性質であることに加へて、之を真面目に調べんと専門図書を求めたり、人と議論をしたりこともなく、むしろ、さふしたことを検討して一体なにになるのかという自嘲の意識さえ先に立ち、この問題に対してこんにちまで冥冥の裡に過ごしてきた。わたしの知る団塊世代以上の新聞記者の中には「テレビドラマ『事件記者』を見て、あんなに酒ばかり飲んでいられる仕事なら、楽しいだろうと思うた」などと冗談めかしながら語った人もいた。されば、1960年代初頭に生まれたわたしは・・・・(明治の文人風パスティーシュはここまで)
人は職業を選ぶにあたり、じぶんなりの職業イメージを好意的に確立し、その中に自らを投入するシミュレーションを無意識のうちにしているのではないだろうか。職業というものはその人の属性を表すもっとも分かりやすい衣装である。憧れの職業に就こうという人は、自らの未来のイメージを晴れがましく思うだろう。わたしが新聞記者という職業に関心を抱いたのは大学生になってからであるが、じつは子供時分に観た映画が無意識のうちに追い風になっていたのではないかと思うような映画はいくつかある。
小学校の高学年だったか中学生になっていたか、東京12チャンネル系のテレビ大阪でウィリアム・ワイラー監督『ローマの休日』を観たとき、オードリー・ペプバーンの魅力の虜になったことはよく覚えているが、グレゴリー・ペック演じるジョー・ブラッドレーの職業が新聞記者であったことは記憶の底に沈んでいた。もうひとつは、フランク・キャプラ『或る夜の出来事』で、この映画も子供時分に複数回テレビで観ている。先日たまたま新橋の地下街で廉価DVDを見つけて買い、何の気なしに観賞したところ、クラーク・ゲーブル演じるピーター・ウォーンの職業が新聞記者であったことをあらためて思い出した。
あれこれ昔のことを思いを巡らしているうちに、わたしの職業選択で『或る夜の出来事』が果たした役割は少なくないように感じられてきた。キャプラ監督はウォーンという窓際記者を、貧乏だけど金に恬澹とし、計算高そうに振る舞いながらも廉恥で、悪たれたようでいて傷つきやすく、仕事などよりも恋人を大切にする・・・そんな憎みきれない人物として描いていた。こんな新聞記者は世界中探してもいないと思うが・・・・
こんにちの新聞記者なるものは、人々の内面において一体どのやふに生起し、直観されているのであらふか。
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コメント
先日、あるミーティングの席上で以下のように発言しました。
ネットが発達し、個人や組織が簡単に情報発信できるようになった現在、新聞記者が逆立ちしてもカバーしきれないテーマが広がっている。さらに厄介なのは、そうしたテーマについて深い知識と経験を有する「普通の人々」が数多く存在するので、プロの取材者、表現者としての新聞記者はよほど頑張らないと追いつかない。
わたしにとってはいつもの発言なので、どうということもなかったのですが、聞いてくれていた人たち(ネット関係のコミュニティーの運営者たち)の反応が「そうなんだよ。そこが重要な点だ」と、とてもビビッドなのには驚きました。ああ、そうなんだ。新聞記者ってそう見られているんだと、いまさらながらに納得してしまうのでした。
投稿: schmidt | 2007年3月28日 (水) 11時10分
schmidtさん。新聞記者はエリートとして在るべきか、普通の人として在るべきか、という論点は昔からありますよね。
しかし、新聞記者が新聞記者であるという理由だけで、自分を「普通の人」よりも「深い知識と経験を有する」と頭から信じているとすれば、それは悲劇を通り越して喜劇ですね。チャップリンが生きていれば、どのような映画を作ることでしょう(笑)
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年3月28日 (水) 14時57分