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2007年4月 5日 (木)

反プロパガンダもプロパガンダか

Chomすでに旧聞ではあるが、先月渋谷で見た『チョムスキーとメディア―マニュファクチャリング・コンセント』について思ったことを忘れないうちに備忘録として記しておきたい。この映画は普遍生成文法で知られる言語学者で、かつ「社会主義的アナキスト」を標榜するノーム・チョムスキーの思想と行動を描いた167分の長編ドキュメンタリーで、1992年に製作され2007年にようやく日本上陸した作品である。

ピーター・ウィントニック&マーク・アクバー『チョムスキーとメディア―マニュファクチャリング・コンセント』(原題:Manufacturing Consent :Noam Chomsky and the Media, カナダ, 1992)

この映画、全編を通してチョムスキーの主張が過剰なまでに展開されていて、反マスメディアのためのプロパガンダ映画ともいえる。チョムスキーによれば、一見「表現の自由」を掲げるマスメディアは、実はプロパガンダをまき散らす公害企業のような存在となる。映画を観ながらメモをとったわけではないのでチラシから引用すると、チョムスキーはマスメディアを「なぐさみと娯楽と恐怖を与える」「ニュースを選別する」「反対意見を小さく見せる」「本当に重要な問題を語らない」「ただ過大な利潤を求める」「人々を孤立させる」--と発言した。その発言を支える思想と行動は徹底している。

チョムスキーに対して賛同する人よりも批判する人のほうが多いだろう。ただ注意すべきは、この映画が撮られたのは1992年より以前のことであり、当時よりも現在のほうが彼の危惧したとおりマスメディア企業の寡占化・巨大化は確実に進んだことは間違いない。世界には8~10のメディア・コングロマリットがあり、その影響力は決して弱まりはしていない。そうした中のひとつ、ニューズ・コーポレーションがあり、傘下のFOXニュースを中心に全米の商業メディアが9・11やイラク戦争以降、右にならえで政権批判を自主規制したことは記憶に新しい。チョムスキーに言わせれば、それ見たことかとなるだろう(日本では90年代のオウム真理教をめぐるマス・ヒステリーや、今日の北朝鮮バッシング、特殊指定キャンペーンなどがそれに当てはまるかも)。

さて備忘録。

この映画で始めて知ったことは、幼い日のチョムスキーがいわゆる「デューイ学校」のようなところ通っていたこと。デューイのプラグマティズムに基づいた教育といえば、なんとなく想像ができる。つまり、ラジカルなデモクラシーの実践が貫かれていたであろう。パブリック・ジャーナリズムの理論家でNYU教授のジェイ・ローゼンが自身の博士論文のなかで、デューイ-リップマン論争について「国民に何ができるかをシニカルに見つめたリップマンが勝った。しかしデューイが勝つべきだったと私は思う」と論じている(ジェームス・ファローズ『アメリカ人はなぜメディアを信用しないのか』はまの出版,1998年,310頁)。そして映画の原題である 'Manufacturing Consent' という表現はリップマンの『世論』(Public Opinion)にも登場する言葉なのだ。

あらためて思い知らされたのは、チョムスキーがじつに積極的にパブリック・ラジオや公共放送に出演していること。つまりチョムスキーを積極的に受け入れるメディアの多くが非商業の小さなメディアであり、そうしたメディアが思いの外たくさんあることも驚きであった。チョムスキーなんてインテリを除けばアメリカじゃ無名--という話をよく聞く。その通りなのだろう。ただし、地域の人々が金を出しあって支える小さなラジオ局もたくさんあり、オルタナティブ・メディアを支える土壌があるのは悪いことではない。PBSやNPRなどが掲げる「パブリック」という言葉をあらためて考えさせられる。

最後に、この映画を見たあとで思い出したのは、チョムスキーが第二次大戦終結を知ったときにおこなったという行動。子供だった彼は、周りの大人や子供たちが戦勝気分に浮かれていたとき、独りで森に入り数時間、無言でたたずみ嗚咽したという話を、なにかの本のあとがき読んだ(なんの本か思い出せない!)。パール・ハーバー奇襲に対する国民的怒りがあったとしても、原子爆弾という最終兵器を2つの都市に投下して何十万人もの民間人を殺戮した政府、軍、マスメディアに絶望した人がアナキストにもなるのは当然だろう。だが、すこし解せないのは、チョムスキーが大衆を信用できると言っている点だ。うーむ。

あと、ちょっと気になったのは、チョムスキーが、スポーツ報道や芸能ゴシップ報道が、国民から政治的にきわめて重要な事項から国民の目をそらすためのものであると断じていたことだ。すこし陰謀論ふうだが、そういう見方も可能なのだろう。仕事が終わったらナイター観ながらビール飲んで寝るだけ-といった生活の連続では、パブリックな問題に触れる機会も少ないだろう。

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コメント

「マニュファクチャリング・コンセント〜マスメディアの政治経済学」の翻訳家・中野真紀子さんと、「ビデオニュース・ドットコム」代表のジャーナリスト・神保哲生さんをゲストに向かえ、「放送から考える」と題したトークイベントを4月21日に行います。これは先日始まったYouTube連動展覧会「Double Cast」の関連イベントなのですが、よろしければぜひご参加下さい。詳細はサイトでご確認ください。
http://doublecast.survivart.net/event/index.html#t06

投稿: Survivart | 2007年4月15日 (日) 17時28分

戦争は嫌だけど、部隊は知りたい…
マニア必見
http://srhostil.org

投稿: tyoityoi | 2012年4月20日 (金) 11時57分

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