計画制御の愚
しっかり調査して綿密な計画を立て、計画通りに実行すれば、必ず良い結果を生むはずだ--計画制御にはいつもそうした「期待」がつきまとう。だが、往々にして「期待」通りの結果が得られないのが世の常であって、わたしたちはそうしたことを嫌というほど体験しているはずだ。にもかかわらず、多くのプロジェクトがアホのひとつ覚えのように計画制御的に進められ、参加者はみな苛立ち、怒り、焦り、疲労困憊し、まるで計画でもしたかのように失敗への道を転がっていく。
そんなときわたしたちは「調査が不十分だった」「計画のたて方がマズかった」「現場の力不足だった」「リーダーが無能だった」・・・・などと責任のなすりつけ合いをしたり、特定のだれかを血祭りにしたり、みんなで疑心暗鬼の嫌な空気を蔓延させたりする(滅びの美学のようなものに酔う人もいるが)。
Y先生は「問題なのは計画の立て方ではなく、『調査・計画・実行・評価』という枠組みそのもではないだろうか」と問う。つまり、複雑な世の中をいつも線型に(リニアに)考えるのは愚の骨頂だということだ。わたしたちは「机上の空論」「絵に描いた餅」など諺の意味をすでに実感をもって知っている。にもかかわらず、わたしたちが同じ過ちを犯し続けるのは、線型モデルが示すわかりやすさ、説得力の結果かもしれない。
じっくり考えれば、モデルの中に盛り込むことができない(まだ可視化されていない)変数もあれば、一見取るに足りないような変数(たとえば人々の幸福感、達成感、帰属意識など)が思わぬ結果を引き起こすこともある。だいいち、調査から実行までの時間の流れの中で状況は変わるものだし、当初の計画を厳格に守り続ける(守り続けさせる)ことは危険きわまりない。わたしたちはそうした計画制御の愚かさを「なんとなくうさんくさいぞ」と直観することが少なくないけれど、言語化したり数値化したりして説明することが困難なため、バカのひとつ覚え的な線型モデルを大声で叫ぶ人が幅をきかせてしまう。
ときに「未来はこうなる」などと自信たっぷりに予言する人がいる。「○○は時代遅れなので滅びる」「○○はきっと失敗する」というようなことを言ったり、自らの予言を成就させるため、自ら積極的な行動に出たりする人もいる。そういう人を前にしたとき、「話者の独り善がりな妄想によれば」という枕詞を置いて聴くべきだろう。
4月28日追記
なるほど、と目を見張った箇所を引用しておく。これを読むと、友だちづきあいの範囲であろうと、マスメディア企業の運営であろうと、近代国家のような大きな枠組みであろうと、同じようなことがおこなわれているのだなと分かる。
一九世紀を理性の黄金時代とするなら、世紀末はその理性への信頼が揺らぎ始めていた時代であった。ここで言う理性への信頼とは、だれの精神にもひそむ判断力を活用し、ものごとを深く観察して言語化可能な形で理解すれば、予測と制御が可能となるという信念のことである。/(教育・マスメディア・思想・芸術を巻き込んだ人類史上初の total war =総力戦とされる)第一次大戦は西欧という世界で最も理性を持つはずの国家群が、もっとも理性的でない相互殺戮を繰り広げたという事態であった。このような西洋文明の崩壊とも思える事態を前にして、理性への信頼は深刻な危機に直面した。この理性の効きに対処する有効な方法は、悲劇を理性の欠如した大衆の性にする方法である。/少数の選ばれた人間は理性を具有しており、それ以外の大衆は理性を具有していないと考えれば、その少数者が大衆を指導し制御することが、理性を復活させる方法だということになる。このような手前勝手な理性への信頼が、ファシズムの背後にあるのではないだろうか。("/"は改行、カッコ内は畑仲)(p.172)
もう一点、おっ、と思ったのは、Y先生が市場と共同体を敵対的関係と見なす考えを思いっきり棄却していることだ。マルクスやウェーバーを東大で講じた大塚久雄によれば、市場における交換が共同体の諸個人の紐帯を解体するというモデルは普遍的な構造となる。だが、Y先生は、スキナーによる中国・四川における定期市の、そしてギアツによるモロッコにけるバザールの両フィールドワーク成果を示し、市場と共同体の混合を説明する。核となるのはコミュニケーションである。そのことをY先生は、「現象としての阪神タイガース」を引き合いに出してサックリ論じきっておられる。
企業としての阪神タイガースは少数の球団職員と野球選手のみから成り立っている株式会社であり、試合の観客から得られる興業収入や、テレビの放映権による収入などから利益を挙げている。/しかし阪神タイガースは彼らのみから成り立っているのではない。それどころか、球団そのものは阪神タイガースという現象のごく一部にすぎない。勝敗に一喜一憂する膨大な数の阪神ファンの展開するコミュニケーションがなければ阪神タイガースのビジネスは成り立たない。/このとき阪神タイガースのビジネスの需要と供給とは何なのであろうか。確かに試合の切符の値段を高くすれば切符の需要は減少し、安くすれば増えるであろう。放映権を値上げすれば中継するテレビ局は現象し、安くすれば増えるであろう。/しかしこの価格調節は阪神タイガースのビジネスの根幹ではない。[…]この球団にとって最も大切なことはファンの気持ちを盛り上げることである。[…]実際、阪神タイガースは弱い時期が長く、しかもフロントがファンの気持ちを傷つけるので有名であったにもかかわらず、阪神ファンのコミュニケーションは常に(あきれるほど)活発である。これに対して西武ライオンズは試合に勝ち津点けているのにファンを得られない逆の典型的な例である。(pp.203-204)
いい気になって引用しまくると、Y先生の本の売上げを阻害してしまうので、これくらいにしておくが、今日の市場におけるビジネスと共同体におけるコミュニケーションを考えるうえで、Y先生の議論は目から鱗の連続である。企業経営者が眼前の日銭(ひぜに)にとらわれ、マーケティング業者が振り回す表層的な数字をありがたがって、やれ「○○○○モデルだ」、やれ「○○2.0だ」、やれ「○○○テールだ」、やれ「クロス○○○○だ」などと叫ぶようになったら、その時点ですでにコミュニケーションという数値化されにくい価値は著しく減じているはずだ。利益は目的ではなく条件に過ぎないのだから。
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コメント
まさにその点が「思わず身を乗り出して」しまった点です。心の中で鬱々と思っていたことをスカッとブレイクスルーしていただきました。研究とはモヤモヤを理論化する、ということなんですねー。個人的には、ひとつのプラス例として「何度もダメなフロントに裏切られているにもかかわらず応援をやめない阪神ファン」が示されているところがすばらしいと思いました。
投稿: brary | 2007年4月22日 (日) 07時37分
わたしも常々、同じような感じでいますが、問題は代替モデルを。複数のメンバーで共有できるほど明確な形では発見できない点です。
仮に「非線形モデル」の形や可能性を考えるとして、その考察自体、線形モデルに依存してしまう、という自家中毒のような症状にも悩まされます。結局、自分は頭が悪いのだとか、経験値が少ないのだといった、果てしなく私小説的世界に落ち込んでしまいます。そんなときは、命からがら問題のありかに立ち戻ることで、かろうじて正気を保っている次第。うーん、難問だ。
投稿: schmidt | 2007年4月22日 (日) 15時12分
>braryさん
ぼくもこの部分がもっともググっときました。阪神ファンの例、(爆)です。なるほど、そうだったのか!
>schmidtさん
かような話題に興味をもっていただき恐縮です。今度この話題でじっくり懇談したいと思います。マーケティング屋さんやコンサルティング屋さん、そして、にわかIT評論家さんには要注意です。
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年4月22日 (日) 23時43分
Y先生、線形って言葉をそういうふうに使ってました?
それはともかく、この前見に行ったら浅井・赤松・狩野が交替で打撃練習をしていて狩野の球数が少なかったんですけど、ここ数日の活躍で、きっとたくさん練習させてもらえるようになっただろうなと。
投稿: 仲間由紀恵@6年計画 | 2007年4月23日 (月) 01時24分