真綿でくるまれた針
夏学期に先生のゼミを履修登録した関係上、あれやこれやと書き散らかすと差し障りがあるが、ハラスメントの呪縛から解放されるヒントとして、マハトマ・ガンジーの「Satyagraha =サッティヤーグラハ」、孔子の「夫子の道は忠恕のみ」などについて触れられているのがとても印象的であった。アリストテレスふうにいえば「善く生きよ」ということだろうか、そういえば、河合隼雄さんが“援助交際は魂に悪い”なんて言っていたなあ、などと腕を組みながらページをめくっていくと、〈植木等の無責任男でいいのだ〉という趣旨のことが書かれてあり、爆笑してしまった。
コミュニケーションにおいてコンテキストを創発しあえる関係は心地よい。だけど、こちらが一生懸命コンテキストを読み取り学習しているのに、ちっともこちらのの話を聞いてくれない人もいる。そういう人とかかわるのは時間の無駄である。「○○してはならない/せよ」という強制と、「これはあたなのためを思って言ってるんだよ」という強制を隠蔽する表現が発せられることはよくある。他者から強いられたことすら意識できない強制に直面すると、だれだって罪悪感を覚える。ここにハラスメントの入り口があるのだとY先生はいう。どこかのページに、針は危険だが役に立つこともあるが、真綿に包まれた針は危険以外のなにものでもない、ということが書かれてあったが、なるほどうまい(こわい)表現だと思う。
本筋からそれてしまうが、一点だけ違和感を表明したい。マハトマ・ガンジーが非暴力闘争を展開したとき記した文章中に「男らしい」云々という表現があり、安冨先生の地の文でも「雄々しい」という言葉をお使いになっていた。地雷表現なのですこし心配になりました。
5月5日(こどもの日)追記
ハラスメント加害者(ハラッサー)の特徴的な振る舞いを引用(pp.195-196)
こういう人ってたくさんいます。ただし、ハラッサーはまだましなほうで、ハラスメントの被害者が加害者に転じたケースのほうが(他者の規範で行動するだけに)悪質であるそうです。うー、困ったなあ。こういうのもたくさんいるぞ!意味不明なことを自信を持ってやってみせる。
意味不明なことを自信を持って言う。
勢いよくまくしたてる。
理不尽に怒ってみせる。
困ってみせる。
自分を憐れむ。
レッテル貼りをする。
もっともらしく理念を語る。
自分のかかわっていることだけが唯一の善いことだと主張する。
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コメント
本條さんちょっと知ってますよ♪
男らしいと雄々しいの使い方がまずい?
男らしいと雄々しいに代わる表現ってあるのかな。
投稿: 仲間由紀恵@6年計画 | 2007年5月 4日 (金) 09時55分
先輩、こんど本條さんを誘ってメシでも食いましょう!
あと、ぼくもそれほど詳しいわけじゃないけど、ジェンダー・バイアスのかかった表現は、性的マイノリティへの抑圧になりがちでしょ。性をめぐる価値観の押しつけは、先生がおっしゃる「ハラスメント」とどういう関係になるのかなと考えると、地雷っぽい気がしたんだ。ガンジーが使った元の言葉がどうだったのか知らないけれど、すくなくとも「雄々しい」って表現は、「勇気がある」とか「気高い」とかに置き換えられるんじゃないかな。そもそも「雄々しい」の反対語は「女々しい」だもの。
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年5月 4日 (金) 23時10分