母の葬儀
これほど大変だとは思わなかった。神経がすり減った。眠れず、食欲も消え失せた。糖分欠乏で思考能力や判断力も著しく低下、、、肉体的にも精神的にも当分、立ち直れそうにない。わたしの場合、お葬式の仕切りでたいへんだったのは、地域固有の慣習、複数の血族が受け継ぐ習俗、菩提寺の意向など、ともすれば対立しがちな決めごとを総合調整することであった。だれも納得できる決断などありえない。だから、必要以上に頭を下げるしかなかった。コミュニタリアンの思想に惹かれていたわたしだが、いまではマルクス主義かリバタリアニズムに宗旨替えしたいとさえ思っている。
仮通夜、通夜、葬儀、精進落とし、骨上げ、繰り上げの初七日法要…という一連の儀式を実質的に仕切ったという経験は、何物にも代え難い。とてもいい勉強になった。ただ、結果として残されたものが、78年の旅を終えた母の骨と請求書、そして、わたしの胃痛と睡眠障害・・・。これはいったいどうしたものだろう。じぶんの魂をどこかに落としてきたような気がする。そう、わたしには母親の死を悲しむ時間的余裕など、これっぽっちもなかったのである。母親が生前言い残していてた葬儀に関する要望も多くを叶えてあげることができなかった。最後まで親不孝だ。
一般的に、お葬式にまつわる悲喜劇としては、遺産相続をめぐる骨肉の争いの勃発が有名だ。だが、それ以外にもトラブルはたくさんある。たとえば、お通夜の夜に「酒が足りない! 肴がまずい!」とクダをまく酒飲みのオジサンが現れたり、妙にウキウキして「バカねえ、ここのシキタリでは、○○するのよ!」などとまくしたてるオバサンが現れたり。故人からよく叱られていた人が、ここぞとばかりに喪主一族に意趣返しの意地悪をしたり、焼香順や盛花の序列について目をつり上げて怒り狂う人が出現したり・・・・というような体験話もネットではよく綴られている。お寺さんや自治会と癒着している地元葬儀業者の牙城を崩そうと、新興の葬儀企業が寺や自治会にリベート攻勢をかけるということも珍しくないらしい。いずれもの話も真実味をもって迫ってくる。
なぜこれほどまでに、いいお葬式というのが少ないのだろう。これは真剣に考えてみる必要がある。葬儀は、わたしたちが、いつかじぶんにもやってくる死の現実を想起し、生命の尊厳を思い、故人の遺徳をしのび、残された者が抱える欠落感を癒すための装置であるはずだ。村八分に遭っている家族も、葬儀と婚礼のときは温かく処遇してもらえたという。だけど、今日の葬儀は、必ずしもそうではないらしい。このところ、家族葬や無宗教葬に注目が集まっているのは、形骸化し商業主義へと傾斜する葬式仏教に対する異議申し立てかもしれない。社会学的にも民俗学的にも大きな大きな研究テーマであるはずだし、コミュニタリアニズム的ジャーナリズムの対象でもあるはずだ。
末筆ながら、突然の忌引きによって、ご迷惑をおかけした人たちには、心よりのお詫びを申し上げます。
▽参考リンク
・中山みゆき「突然でも慌てない!葬儀、法要早わかり事典」(オールアバウト)
・中山みゆき「葬儀後にすぐやるべきあと始末」(オールアバウト)
・中山みゆき「葬儀後の届け出リスト」(オールアバウト)
・家族葬の会 http://xn--fctw8u0vz.net/
・碑文谷創のはざまの日々 http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/
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コメント
この度はご愁傷様です。
急なことで大変でしたね。
私も20代で父を亡くし、弟はまだ大学生で、深い悲しみはあったものの、悲しむ時間がなく、、、という感じでした。なのでよくわかります。
しばらくはまだいろいろと大変でしょうが、おやびんもお体に気をつけてくださいね。
故人のご冥福をお祈りいたします。
投稿: 野口小姐 | 2007年6月17日 (日) 12時09分
ご愁傷様。
わたしも昨年10月に子供のいない伯母の葬儀を神田で仕切ました。住んでない地元のみなさんとの調整は気を遣います。伯母とどういうお付き合いをしていた方かまるでわからんし、失礼があってもいけないし。でも、根が図々しいのか、やつれません。(笑)
実弟の老父への相続手続きも手間がかかって、今週でようやく片づきそうです。どうやって、この世をきれいに去るかというのは、自分の美学にも通じるし、生涯のテーマですよね。
(追記)フォントが重なるけど、ブラウザの設定で直るのかな?
投稿: ヒロ | 2007年6月17日 (日) 12時46分
>野口小姐さん、お悔やみの言葉をあがとうございます。
そうですか、そうですか。早くにご尊父を亡くされたというのは、さぞかし大変なことだったでしょう。ただ、お母さんがいつまでもきれいでお元気だというのは、何よりの救いですね。
>ヒロさん、お悔やみの言葉をありがとうございます。
ほんと、自分が住んでいない土地のシキタリなんてわからないですよね。どうやって、この世をきれいに去るか-わたしの母親もそんなことばかり考えていたようですが、死者の希望がなかなか叶えられないということも、今回よくわかりました。
ところで、フォントが重なってます?
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年6月17日 (日) 15時14分
小学校のころ3年連続で家族が死んで、お経を覚えてしまった私からもお悔やみ申し上げます。
「故人の希望で」は免罪符にならないんですか。大変でしたね。
早くこのかわいそうな学者が難しいこと考えず悲しみに浸れる日が来ますように。
投稿: 仲間由紀恵@6年計画 | 2007年6月17日 (日) 16時45分
>先輩、どうもありがとう。
小学生のころに3年連続で家族を失うというのは、楽ではない体験でしたね。今度、ぼくにお経を教えてください。でも、どんなお経だろ。
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年6月17日 (日) 18時05分
まずはお母様のご冥福を心からお祈り申しあげます。
さぞご心労であったこととご推察申しあげる次第です。
私も4年前の今ごろ実父、昨夏義父を看取りました。後者は関西の古いしきたりの残る地区で、喪主である末っ子長男の夫は世事に疎く、頼んでないのにわらわらと現われて仕切り始めるご近所の方々、誠意のない住職、本部との狭間であたふたする人のいい葬儀屋、苦労する親族と苦労を創出する親族、亡骸にはかせる新しいパンツを買いにコンビニに走る私(85歳なのに水色のギンガムチェック・・・)と、もはや不必要に広い無人の実家の掃除を終えて帰京したときは、水銀を注入した水枕のようになっておりました。お恥ずかしい話ですみません。
いつからなぜこんなことになってしまったのでしょうか。葬儀に対して「意見」とか「評価」とかが現われるのはなぜなのでしょうか。たぶん、大家族が一つところに長く一緒に暮らしていれば、普通に終えることだったのでしょう。葬儀が「便利に」システム化されることによって、状況は複雑さを増しているような気がしてならないのでした。
投稿: brary | 2007年6月17日 (日) 19時31分
ご愁傷様でした。胃痛と睡眠不足くらいで済みよかったです。お元気そうで安心しました。うちの両親はいずれも80の大台で、私が大兄と同じ経験をするのも時間の問題です。親不孝といわれそうですがね。先日、最寄りの公営の葬儀場をネットで探し出し、プリントアウトしました。最近は家族葬などが多いので、来るべき日には、こじんまりとやるつもりです。葬儀屋を儲けさせるつもりは毛頭ありませんので。生前から葬儀屋と契約しておくと、割引になるようです。結構、お得だとか。私も10年先を考えて手をうっておきまひょ。
投稿: 古賀純一郎 | 2007年6月17日 (日) 21時49分
>braryさん、ありがとうございます。
なるほど、東西の文化差には開きがあるのですね。そういえば、横浜育ちの同居人も関西の「しきたり」にたいへん戸惑っていました。ご指摘の「複雑さを増している」との分析は、お見事です。葬儀も計画制御の一種。いま振り返れば、まさに呪縛されていました。
>古賀さん、ありがととうございます。
それほど元気ではないのですよ。魂をどこかに落としてきましたから。後で知ったのですが、もっとも安価な葬儀は「炉前葬」です。棺と骨壺をじぶんで作れば6万円で綺麗に遂行できます。葬儀なんて何百万円かけても結局、最後に残るのは、骨と喪失感だけ。炉前葬あるいは手作り葬がベストです。しかし、鹿児島の「しきたり」もきついのでは?
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年6月17日 (日) 22時23分
色々大変だったと思います。
私も一昨年母を亡くしましたが、印象的だったのは悲しい事なのに「ハイ」であることが求められる事でした。あれほど人生のエネルギーを消耗した時期は無かったのではと思います。
私の家の場合は父が虚脱状態になっているのが問題ですが、なかなか時が解決とはいかないようです。
まだまだご苦労ごとが多いと思いますが、お母上様のご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: えも | 2007年6月18日 (月) 18時43分
謹んでご母堂様のご冥福をお祈りいたします。
私が体験した身近な「人」の葬儀で印象に残っているのは、一緒に暮らしていた父方の祖母です。そのとき火葬場で初めて父の涙を見ました。
ハタさんの体験談を拝読すると、30年前の九州の地方都市ではまだコミュニティは健在だったのですね。
事務処理も落ち着かれたご様子、「魂」をとりもどされたら、暫くは悲しみを味あわれるかもしれませんが・・・・どうぞ心身ともに大切になさって下さい。
投稿: Ami | 2007年6月18日 (月) 20時15分
>えもさん、お悔やみ多謝です。
おっしゃるとおり、張りつめて人の応対をしていると、どうしても「ハイ」になってしまいますね。それはそうと、虚脱状態になられたというお父上は心配です。うちのオヤジがどのようなダメージを受けたのか、ちょっと心配ではあります。
>Amiさん、お気遣いありがとうございます。
30年前の九州ならば共同体の紐帯は強固だったのではないでしょうか。大阪の下町に暮らす庶民の「共通善」は、ずいぶん変質してしまったのかもしれません。ワンコをホテルに預けたお金もバカになりませんでした(涙)
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年6月18日 (月) 22時07分
おばさん亡くなられたのですか。
寂しくなりますねぇ。おじさんはまだ地元にお住まいですか。
いろいろと寂しくなります。お大事にしてあげて下さいね。
うちは私が23歳の時に父が亡くなりましたが、ご近所の方々が
いろいろと母をささえてくれました。
田舎に引越した今も大阪が懐かしいようですよ。
確かにねぇ、いろいろと古いような新しいようなしきたりが
ある地域ですが、たまに帰るとそれもまた懐かしく思います。
私も先週の日曜日、同級生のおかぁさんのお通夜で長柄に帰ったばかりです。
ハタさんも知ってる人だよ。
彼女は私たちと同い年で二親を亡くしました。
私たちも親の死と向き合う歳になったのね。
ほんと歳を感じますが、がんばらないとね。
お疲れのでませんように。
投稿: かのうよしえ@豊仁 | 2007年6月19日 (火) 01時51分
>かのうさん、優しい言葉をありがとうございます。
うちはオヤジ一人が大阪に残されました。長男に先立たれ、妻を失い、二男のわたしは東京暮らしです。わたしも身の振り方を考えないといけません。かのうさんの御尊父はすでにお亡くなりになっていたんのですか。それはそれはご苦労も多かったでしょう。
わたしも知っている同級生のお母さんのお通夜ですか・・・・たしかに、そういう話題が多くなりましたね。
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年6月19日 (火) 13時09分
遅くなり(すぎ)ましたが、
謹んでお母様のご冥福を
お祈りいたします。
そして、喪主の様々なお仕事、
ひいばあちゃんの葬式しか
身内の死を経験していない
私には想像できません。
けれど、あのときも小さいながらに
思ったことがあります。
葬式って誰のためにするんだろうって。
投稿: And H | 2007年6月25日 (月) 03時59分
>And Hさん、ありがとう。おひさしぶりです。お元気そうで何よりです。
お葬式は、故人の冥福や生命の尊厳などの看板を掲げながらも、残された者が悲しみを癒すための装置としての役割がもっとも大きかったように思います。でも、通夜や葬儀のときって、ふだん抑えている感情を爆発させる人もいたりして、けっこう笑えます。
27日のゼミ(ジャニーズ・ナイト!)は遅れるかもしれません。ごめんね。
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年6月25日 (月) 08時05分