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2007年8月21日 (火)

組織における個人とその能力

Eichmann2_2公私ともにあわただしく、映画や小説、文楽、そして論文からも遠ざかっていた。やっていたのは法事にまつわる雑事と仕事だけ。そんな中、これまで見たい見たいと思っていた映画をAmazonで購入した。ルドルフ・アイヒマンの裁判を追ったドキュメンタリー『スペシャリスト/自覚なき殺戮者』。アレントの『イェルサレムのアイヒマン/悪の陳腐さについての報告』(みすず書房, 1969=2006)のほうを先に買っていたのだけれど、さきに映画を見ることにした。(アレントはいつかまとめて読まないといけないなあ。なぜだかこの人はいつも読んだ気になってしまって・・・)

監督・脚本イアル・シヴァン『スペシャリスト/自覚なき殺戮者』(UN SPÉCIALISTE, 仏・独・墺・ベルギー・イスラエル,1999)
アレント,ハンナ (1969=2006) 『イェルサレムのアイヒマン/悪の陳腐さについての報告』, 大久保和郎訳, みすず書房

Specialist_x主演はもちろんアドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)。法廷における彼の几帳面でありながら、どこかピントのずれた受け答え(言い逃れ)と、熱弁をふるうギデオン・ハウスナ検事や証人として出廷した犠牲者たちの痛ましい発言が印象的だった。350時間に及ぶ記録映像をデジタル処理して再構成したシヴァンたちの努力には頭が下がる。が、こういう記録はもっと早く公開されていてもよかったのではないかとも思うが、映像記録の一部はすでに散逸しているらしい。

ナチはユダヤ人を収容所に集めるという国家的な事業を進めていた。ユダヤ人を効率的に収容所に集めるには、実務遂行能力が求められ、党幹部であったアイヒマンが移送事業を成功させる能力に長けていた。そして、移送の果てに、ユダヤ人の大量虐殺があったということを、アイヒマン本人も知らないはずはなかった。

Arend法廷でアイヒマンは自己弁護に徹する。彼は膨大なユダヤ人を収容所に移送する専門家=スペシャリストであったことを認めつつも、自らはあくまでも輸送の仕事をしていたのであり、虐殺をしたわけではないと反論し、じぶんが虐殺をする立場に立つのであれば、自殺していただろうと主張する。アイヒマンは自らの証言の中で、不用意にも「殺し方」云々という言葉を漏らす場面もあり、判事が言葉を荒げる場面もある。だがしかし、アイヒマンは当時の自分には権限が限られていて、上司の命令に背くこともできなかったと、自らに責任が存在しないと強調する。

この映画を見終えて思うのは、組織というものの厄介さと、組織内における個人の立ち振る舞いの難しさである。たしかにアイヒマンは、ユダヤ人を直接的に殺したわけではない。実際に殺害に関わったのは市井の人々であり、収容所に職を得ることができたふつうの人々である。ナチ政権下のドイツを体験したわけでもないので、想像でしかないが、当時のドイツでふつうのドイツ人たちはアイヒマンにあこがれを抱いていたとしても不思議ではない。すべての国民が反ユダヤの政治思想を持つことが“当たり前”だったし、為政者たちも無能な人物より有能な人物を積極的に重用したはずだ。

「だから人間はちゃらんぽらんなほうがいい」などと言って冷笑するのも安易な責任逃れのようだし、一種の思考停止だ。なぜなら、今日のわたしたちの世界にも“優秀な組織”はたくさんあり、多くの人は組織おかげで生活をしているではないか。組織内にあっては“優秀”な人物ががんばることによって、みんな飯をくっているわけだ。世の中小さなアイヒマンだらけ。小さなアイヒマンたちとともに生きる身としては、なんだかとってもいたたまれなくなり、心がヒリヒリするのである。

アレントは、ユダヤ人絶滅を遂行した悪を裁く裁判を傍聴して、アイヒマンがどこにでもいる陳腐な小役人タイプの組織人であることを雑誌『ニューヨーカー』にリポートした。それを編集したものが『イェルサレムのアイヒマン/悪の陳腐さについての報告』である。ただ、アレントがアイヒマンという個人の矮小性を描くためだけに労力を費やしたわけではなく、(数十ページほど読み進んだだけだが)この問題が高度に政治的で、イスラエルという国家組織にも内在するさまざまな問題をもはらんだ難問であることがわかる。映画の後でじっくり読もう。

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