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2007年10月 9日 (火)

アプローチは違えど、悩みは共通?

先日、CSM(Civic Society Media)研究者のプレゼンを拝聴する機会があり、さまざまな実践を基礎づけ、理論化していくことの難しさをあらためて教えられた。その人はメディア研究者であるとともに実践家でもあり、わたしの領域とは部分的に重なるものの、アプローチが若干違う。だが、理論を接合していく困難には共通点が多く、この手の研究のしんどさを思い知らされた。

プレゼンは彼女の壮大な研究の入り口部分にすぎないが、社会における市民メディアを作る作業やその運営、市民メディアをめぐる制度的な課題に主眼が置かれ、ロックやカント由来の諸個人の普遍的権利のうえに守りの城壁を築こうとするようなわたしの研究との差違をあらためて見せつけられた。しかし、彼女も理論と実践との接合に苦しんでいることがよく分かった。

西欧や米国で鍛えられた政治理論やデモクラシーに関する言説と、アジア的風土の中で和洋折衷的な発展を遂げた日本のメディアやジャーナリズムとの間には、すくなからぬ溝がある。大いに関係しているのに、うまく接合できない部分もあるのだ。洋服を身につけなければならないけれど、その場にあったスタイルの、身の丈にあったものがなかなか見つからない。ハウスマヌカン(死語)もいない。

論文審査でK先生から「あなたが足を運んだ現場と、参照したリベラリズムやコミュニタリアニズムがどうつながるの? トッテツケじゃない? トッテツケですよ」と痛罵されたが、それは実践と理論をつなごうとする初学者が通過しなければならないイニシエーションだったのかもしれない。だからこそ方法論が重要になってくる、とK先生は最後に付け加えた。その意味が今ごろしみじみ分かってくるあたり、わたしの昼あんどんパワーがみなぎっている証拠だ…

事象や現象を並べただけではアカデミックなアプローチにはならない。だからといって、抽象的な理論をこねくり回すだけでは頭でっかちの上滑りで終わってしまう。・・・博士課程コロキウム(←M1オフライン発表みたいなものだとすれば、D-1グランプリといっていいかな?)のことを思うと気が滅入る。

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