映画『不都合な真実』の政治性
ひょんなことからアル・ゴア氏の『不都合な真実』を見る機会を得た。ゴア氏がノーベル平和賞を受賞したこともあり、世界の話題をさらった映画でもあるので、観ておかなければならない映画だと思っていた。ゴア氏が訴えている内容のなかで、わたしが一番重く受け止めたのは、(1)地球温暖化はイデオロギーを超えて万人が取り組むべき緊急事態であり、(2)環境保護と経済成長が相反しないということ--だ。だがしかし・・・・
D.グッゲンハイム監督、アル・ゴア主演『不都合な真実』(An Inconvenient Truth, 2006, 米)
『不都合な真実』 公式サイト http://www.futsugou.jp/
観賞後に感じたのは、なんともいえない手触り感。環境保護運動をすすめるための宣伝であり、ゴア氏の宣伝であり、プロモーションビデオという印象が強すぎることだ。だが、それこそがこの映画の目的であり狙いなのだと諭されるかもしれないから、それ以上なにも言うまい。ただ、もしマイケル・ムーアや森達也がドキュメンタリー作品としてこれを制作していたら、どんな内容になっていたか、想像するだけで興味深い。
この映画をめぐっては、科学的な誤りについての指摘がいくつも浮上したし、英国では中学校での上映はまかりならぬという訴訟が起こされた。英高等法院の判決についてのニュースとしては、たとえば「ゴア氏映画に科学的間違い」(msn産経)などがあったが、今日(2007年11月11日)などは「『南極は破局寸前』視察の国連事務総長」(47news)という報道もなされていて、やっぱり温暖化は深刻なんだなあと思わずにはいられない。ゴアの科学的間違いを指摘するだけでキャーキャー喜んでいてはいかんのでしょう。
ただ、映画を観ていてずーっと抱いていていた素朴な疑問は、グサリと刃を突きつけられるようなものがないこと。「おらおら、エアコンをガンガンきかせた部屋で無為徒食してるオマエ!」「ゴミの分別がいつも適当なアンタ!」「待機電力に鈍感なキミ!」「おまえらみんな有罪なんだよ!」 みたいな突きつけ方をしていないこと。どうも南極大陸とかグリーンランドのような遠いところに目線が向きがち。もうひとつは、政治性を隠蔽しようとしていること。映画の中で「政治的な問題ではなく、モラルの問題」と語られていますが、地球環境はもっとも上位に置かれつつある「審級」と思えるのですがどうでしょうか・・・などという不満を抱きながらも、1000円をカンパして会場を出た。
ゴアのことを調べていて興味深かったのは、天下のハーバード大学時代に俳優のトミー・リー・ジョーンズとルームメイトだったこと。トミー・リー・ジョーンズって、ジョージアの缶コーヒーを飲み、八代亜紀を聞いて涙ぐんでるだけのエイリアンじゃなかったんだ。
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コメント
もともと政治の人ですからね。この作品の全体的なメッセージには同意したいと思います。それでも映画を見終わって少し違和感を感じました。
環境問題を政治抜きで議論しようと思うことさえ難しい中で、「ほいじゃあ、あんたはどうするの?」と、無理やり問い掛けられているような感じがしたんですね。
政治の世界、特に米国内の政治があらぬ方角を向いていること自体について、自分達の政治の世界で決着をつけてほしいと思うのはわたしだけでしょうか。プレイヤーたちが動かない中で、サポーターだけやれと言われている感じ。どうしようもないよね。
投稿: schmidt | 2007年11月13日 (火) 10時27分
>Schmidtさん
消費者に向かってグリーン購買(エコロジカルな買い物)を唱道する映画自体は、どう考えてもポリティクスですよね。ゴア氏に言わせれば〈政治的なるもの〉は議事堂の内側にあるのではなく、私たちの日常生活にあるのだということでしょうか。
でも、グリーン購買ができる人は富裕層。持たざる側は環境への負荷が大きくても安いものに飛びつくのが自然ですよね。たとえ、多くの人がグリーン購買に努力し、電力消費を極力抑え、自動車にもあまり乗らなくなったとしても、米国は戦争という公共事業をやめない限り、環境破壊はなくならないでしょうね。
なんだかなあ、という不完全燃焼感がどよーんと広がりますね。
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年11月13日 (火) 15時56分