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2007年12月11日 (火)

社会人と大学院(3)

前エントリーで、エラそうな話をつらつらと書いた。用意周到にこれから大学院を受験しようと考えている社会人には「そんなことくらい知っとるわ」と叱られる程度の内容かもしれない。まあ、わたしの個人的な体験談なのだから、その程度なのですよ。ところで、このごろは大学院を受験するための予備校や塾のようなところもあって、社会人向けのコースもあるようだ。でもねぇ、こういうのってどうなんだろうか。

わたしは、問題意識が明確な社会人は、わざわざ塾や予備校に通う必要なんてないと思う。もちろん、どの大学院に進むかにもよるし、なにを研究するかにもよる。けどねえ、社会人が大学院に進む理由のひとつには、社会人生活を通じてぶち当たった難問とか、立ちはだかるおおきな壁とかを、学問の力を借りて乗り越えようとするモチベーションがあるんじゃないだろうか。自分一人で抱えきれなくなった問い、仕事の現場では捨象されて解決できないを素朴な疑問。そういうの、ありますよね。そういう社会人の学生って、教員の側も面白がってくれると思うし、実社会の経験を学問に再帰させられることことが、社会人の強みでもある。

もちろん、ステップアップやハクつけだけを目的にした社会人もいるだろうし、仕事とはまったくかけ離れたことをしたいという人もいると思う。研究領域にもよるし、人それぞれなので、一般化することはできないけれど、でも、純粋に学問のための学問するのではなく、なぜ自分が大学院でコレを研究しようと思うのか--そんな自問自答を何度もなんども繰り返すことが、いい論文につながるような気がする(あくまでも気がする、ですが)。ある先生が言っていた。「入試の成績が良くても、論文のできがいいとは限らないんだよね」。ソツのなさなんてクソ食らえ的なところが学部との違いかもしれない。

どことなく精神訓話みたいな感じがするけど、意欲や情熱のようなものって、受験のときに提出する志望理由書とか研究計画書とか、小論文のようなものに反映されるんじゃないかな。こういうのをソツなく書く方法を塾やら予備校で教えているのだろうか。かくいうわたしも「研究計画書の書き方」みたいな本を読んでみたことがあるけど、わたしの場合、ペン習字のテキストのほうが、よほど役立ったと思う。

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