社会人と大学院(4)
社会人大学院生となった人の何割かは、コウモリのような心理状態になるのではないだろうか。大学の門をくぐった瞬間から学徒気分になるが、職場に戻ると再び元通りのサラリーマンの精神状態に舞い戻る。わたしの場合も、ホンマのじぶんはどっちやねん、という心理状態に陥った。まあ、これはすべての人に言えることではないと思うが……
レクリエーションのような気分で大学院に通う社会人にしてみれば、キャンパスはただの息抜きの場にすぎないだろう。だけど、学問に魅せられてしまった社会人や、大学院内で良き師弟関係に恵まれた社会人にしてみれば、キャンパスのほうが面白くてたまらなくなるはずだ。職場に戻るのはいやだなあという気になる人だっているだろう。もちろん、理想は、現場と学問、実践と理論の両方が触発し合って双方に良い結果を生むこと。そういう例が増えることが好ましいといえる。
ただ、あまたある企業の中には、せっかくの戦力を外部で“アソバセル”ことを快く思わないところもあるようだ。「浮世離れした本を読んでいるヒマがあれば、得意先の一つも回ってこい!」という上司がいたり、部下がじぶんよりも“カシコク見られる”ことを内心恐れて必死のパッチで足を引っ張ろうとする先輩がいたり、社会人院生が持ち帰ったことを無化して「けっきょく無駄だったね」という言説をまき散らしたりする同僚がいたり、、、、いろんなケースがあると聞く。じつによく聞く。ほんとうによく聞く。とくに文系でね(理系は産学協同の美名のもとでいろんな試みがある)。
「○○学位取得者が○○人います」とか「入社後は必ず留学させます」というようなことをウリにしているような一部の企業ではない限り、自分の意思で学問と格闘してみたいと考えている社会人は、そのあたりを心してかからねばならない。もっとも、いろんな軋轢を生んだり、面倒を抱え込むことが分かっているにもかかわらず、それでも大学院の門を叩こうとする健気な社会人をどれだけ受け入れられるかは、大学院側の度量にかかっている。できるだけ受け入れてあげてほしい。リスクの少ない顧客を選ぶという視点ではなく、同志として一緒になって悩んであげてほしい。自分こそが試されていると思ってほしい。
| 固定リンク
「school life」カテゴリの記事
- 大学の序列と書き手の属性(2023.03.30)
- 卒論審査の基準公開(2020.12.16)
- 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』ワークショップ@新聞労連JTC(2020.03.22)
- 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』重版出来!(2019.11.29)
- ゼミ学生の推薦状(2019.11.07)
「mumble」カテゴリの記事
- 卒論審査の基準公開(2020.12.16)
- 教授になりましたが(2019.04.15)
- 学者を目指さない学生にとって良い論文とは(2018.04.11)
- 入学式の翌日/歴史を背負って(2018.04.03)
- 卒業式の翌日/祭りのあと(2018.03.17)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
器の小さい人が多いんですねぇ。
悲しいけれど、身近なところで、海外留学をめぐって、こうしたことがありました。
その時は「ええじゃないか運動」をして、事なきを得ましたが…
みんなが学び、シェアし、サポートしあう世の中になると最高に素敵な世界になると思うんですけどね。
投稿: tama | 2007年12月16日 (日) 05時34分
>tamaさん、お久しぶりです。
くだらない連中が幅を利かせている会社が多いと聞きます。ジェンダー・バイアスのかかった表現ですが、オッサンの嫉妬はスジがが悪い。そんな環境にいながらも向学心を失わず、自分とじぶんの周囲を豊かにしようとしている人は無条件で応援したいですね(^^)
また四川料理を食べにいきましょう!
投稿: 畑仲哲雄 | 2007年12月16日 (日) 10時13分