社会人と大学院(1)
大学院で勉強してみたいと一度でも思ったことがある社会人はかなりいるのではないか。社会人の受け容れに熱心な大学院も増えてきたようで、都市部のビルにサテライトキャンパスを設けたり、土曜日に集中講義をしたりしている。でも、社会人の心理的なハードルは低くない。勤務先が認めてくれるかどうか。同僚に迷惑をかけるんじゃないか。転勤を命じられたら退学せざるを得ない。入試にパスしないといけないが、いまさら受験勉強をするのが億劫だ。学費だってバカにならない・・・それでも大学院に進んでみようという社会人は、明確な目的や強い問題意識があるのだと思う。
社会人がなんのために大学院に進学するのか。動機は人それぞれだと思う。仕事上の難問を解決するためであったり、研究者になる明確な計画を持っていたり、教養のなさを痛感していたり、たんにハクをつけるためであったり、勤務先で窓際に追いやられたためであったり・・・ 受け容れる大学院側の考えもさまざまだろう。社会人をお客さん扱いするところもあると思うが、社会人だからといって特別扱いしないところもある。じぶんの動機や目的にあった大学院と教員にめぐりあえれば幸せだろう。
私の経験からいえるのは、働きながら大学院で研究をするということは、それなりの犠牲を伴うということだ。ひとつは健康。研究ほど体に悪いものはない。長時間本を読んだりパソコンの画面とにらめっこをしたり、図書館や自習室にこもったり、座りっぱなしで運動不足になったり。私は目が悪くなり、慢性の肩こりに悩まされ、ときおり腰痛も出る。仕事がおろそかにしていると思われないよう、人一倍仕事をしないといけなくなり、年中疲れやすい状態だ。精神的にも楽ではない。「いい歳して」などと冷やかされたり、ひがまれたり、変人扱いされたり、敬遠されたり、生意気に思われたり、ビビられたり・・・、嫌な思いをすることが意外なほどあった。今後もあるだろう。
それでも大学院に通うようになって良かったなあと思うのは、わたしの場合、現場の知恵や経験にはない大きなものを発見できたことだ。もやもやした問題意識を整序してアカデミズムの手法を指導してくれる教員との出会いは、なにものにも代え難い。意欲ある社会人には、大学院進学を勧めます。社会人は「売り手市場」ですし。
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