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2008年1月31日 (木)

似て非なるモノの備忘録(1)

一般的に混同され誤用されまくっているけれど、専門家が明確に区別しているものが少なくない。こういうものの区別をパキっと説明できるとかっこいい。たとえば、人文科学/社会科学の区別、社会主義/共産主義の区別、市民社会論/公共圏論の区別など。「そうめんと冷や麦のような違い」と煙に巻くことはできるが、短いセンテンスで説明できるほうがカッコいい。

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2008年1月29日 (火)

あなどれない民間療法

00430932取材道具一式と一眼レフカメラを肩から提げて、早朝から深夜まで広島の町をかけずり回っていた二十代前半のころのこと。夜、当直勤務の警察官の話し相手にも倦み、ちょっとだけ支局に顔を出して帰宅しようと車を運転していた最中、腰に変な痛みを覚えた。いわゆるギックリ腰というやつだ。痛みをこらえ、脂汗を浮かべながら車を走らせていたところ、「はり灸」の看板が目に付いた。車を止めて、姿勢をかがめたまま亀の歩みで受付にたどり着いた。

松田博公『鍼灸の挑戦―自然治癒力を生かす』(岩波新書、2005)

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2008年1月27日 (日)

リスナーからの相談

iPodを持ち歩くようになって変わったのは、ポッドキャスティングで配信されるラジオ番組をよく聞くようになったことだ。民報キー局のテレビ番組などと違うのは、ラジオ番組は少人数で作られ、チェック体制もゆるく、ホテリング効果が現れにくいことだ。ホテリングどころか、突出して面白い番組もある。先日も腹をかかえて笑ってしまった。その番組とは、JFM(Japan FM Network=全国FM放送協議会)が配信していると思われる田原総一朗さんの「タブーに挑戦!」だ。

田原総一朗のタブーに挑戦!」JFN配信、1月24日放送分

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2008年1月19日 (土)

『ボラット』とスカッグスとジャーナリズム

Kobayashi_masakazuBorat_movie映画館に足を運ぶことができずDVD化されるまで待たされた作品のひとつに『ボラット(Borat)』がある。この映画を観て思い出したのが、小林雅一の『隠すマスコミ、騙されるマスコミ』で紹介されているジョイ・スカッグス(Joey Skaggs)である。笑いの質や方向性は違うけれど、両者ともマスメディア・ジャーナリズムの構造と機能を利用し、「善良」な市民や「一流」の報道機関を嗤おうとする点で共通する。ちょっと悪趣味だけど。

ラリー・チャールズ監督、サシャ・バロン・コーエン製作『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』(Borat: Cultural Learnings of America for make benefit glorious nation of Kazakhstan、米、2006)
小林雅一(2003)『隠すマスコミ、騙されるマスコミ』文春新書

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2008年1月15日 (火)

銃社会と『猿の惑星』

Ape昨夜、寝る直前にテレビを点けると、CSで『猿の惑星』が放映されていた。ほとんど終盤部分だったので、つい最後まで見てしまった。ラスト部分のシーンがみごとに決まっているという記憶があったからだ。子供時分になんども見た作品だが、大人になって見たのは初めて。あらためて見ると、いくつもの発見があった。

フランクリン・J・シャフナー監督 『猿の惑星』(Planet of the Apes、1968、米)

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2008年1月14日 (月)

汐留・新橋はカレー激戦区(改訂版)

なぜだかカレー店が多い新橋・汐留エリア。2005年2月に「汐留・新橋はカレー激戦区」という記事を書いて以来、大勢の人が訪問してくれた。しかし3年も経てば事情も変わってくる。このあたりで改訂版を書いておきたいと思う。店ごとにブログを3つずつ紹介する(客筋が見えてきて面白い)。

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2008年1月12日 (土)

七草と七福神が言えない

ゼミ仲間の多くが留学生となってしまったいま、日本の習俗について質問されるといささか自信がない。たとえば春の七草は口頭で言えても漢字では書けないし、由来についての知識もない。そういえば、七福神スタンプラリーに参加した勤務先の大先輩と雑談していたときも、どんな経緯で神様たちをあがめるようになったのかどころか、7つの神様の名前すら言えなかった。そもそも七草は「ななくさ」なのに、なんで七福神は「しちふくじん」なのか。うーん、恥ずかしい。なんも知らん。。。

植物学事典 春の七草 秋の七草(岡山理科大 総合情報学部 生物地球システム学科 植物生態研究室)
招き猫大開棒 七福神大研究 七福神解説と七福神巡り

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2008年1月10日 (木)

顔面相似形?

Column03_profile_photo4104530026NEWS23を見ていたら、帽子をかぶった筑紫哲也さんがレッドソックスの松坂大輔をインタビューしていた。松坂の顔をまじまじ見ていたら、ふと、あることに気が付いた。こいつ、上方落語の桂南光師匠の弟みたいな顔しとるがな。二人ともデコが狭い!

NHK朝ドラで一挙lに有名になった「ちりとてちん」ですが、南光さんの「桂南光ライヴ(その四)」にも収録されています。これが絶品。世界の「Dice-K」といえども、あれだけの落語はできまい! (南光さんも松坂ほど稼げまい)

「桂南光ライヴ(その四)-1.ちりとてちん、2.骨つり」(東芝EMIミュージック・ジャパン、1997)

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2008年1月 9日 (水)

草思社が民事再生申し立て

むーん、またもや出版業界の暗い話題。草思社が東京地裁に民事再生を申し立てた。報道によると、負債総額は22億5000万円。わが家にも草思社の本はいくつかある。『間違いだらけのクルマ選び』などはないが、『デイヴ・バリーの笑えるコンピュータ』(1998)とか、中村智志『段ボールハウスで見る夢―新宿ホームレス物語』(1998)とか、歌川令三『新聞がなくなる日』(2005)とかがある。同居人の本棚にはリチャード フォーティ 『生命40億年全史』(2003)とか、ロドニー バーカー『川が死で満ちるとき』(1998)とかがある。きっとほかにもたくさんあるはず。残念。

リチャード・ドーキンス『遺伝子の川』(草思社、1995)
ポール・デイヴィス『宇宙 最後の3分間』(草思社、1995)
ピーター・アトキンス『元素の王国』(草思社、1996)
イアン・スチュアート『自然の中に隠された数学』(草思社、1996)
柳澤桂子『われわれはなぜ死ぬのか―死の生命科学』(草思社、1997)
ダニエル・C. デネット『心はどこにあるのか』(草思社、1997)
中村智志『段ボールハウスで見る夢―新宿ホームレス物語』(草思社、1998)
ロドニー・バーカー『川が死で満ちるとき』(草思社、1998)
デイヴ・バリー『デイヴ・バリーの笑えるコンピュータ』(草思社、1998)
リチャード・ローズ『死の病原体プリオン』(草思社、1998)
フランス・ドゥ・ヴァール『利己的なサル、他人を思いやるサル』(草思社、1998)
ジャレド・ダイアモンド『セックスはなぜ楽しいか』(草思社、1999)
ジャレド・ダイヤモンド『銃・病原菌・鉄』(草思社、2000)
ボー・コールサート『悩み多きペニスの生涯と仕事』(草思社、2000)
スーザン・ブラックモア『ミーム・マシーンとしての私』(草思社、2000)
ダニエル・ヒリス『思考する機械コンピュータ』(草思社、2000)
マーク・ハーツガード『世界の環境危機地帯を往く』(草思社、2001)
マーティン・リース『宇宙を支配する6つの数』(草思社、2001)
リチャード・E. シトーウィック『共感覚者の驚くべき日常』(草思社、2002)
ブライアン・グリーン『エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する』(草思社、2001)
エリック・シュローサー『ファストフードが世界を食いつくす』(草思社、2001)
マーク・ハーツガード『だからアメリカは嫌われる』(草思社、2002)
ロバート・レヴィーン『あなたはどれだけ待てますか』(草思社、2002)
ロバート・N. プロクター『健康帝国ナチス』(草思社、2003)
リチャード・フォーティ 『生命40億年全史』(草思社、2003)
デブラ・ニーホフ『平気で暴力をふるう脳』(草思社、2003)
ラス・パースンズ『理屈で攻める、男の料理術』(草思社、2004)
歌川令三『新聞がなくなる日』(草思社、2005)
ジャレド・ダイヤモンド『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの』(草思社、2005)

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2008年1月 5日 (土)

DV男と友だちでいられるか

数年来の難問がある。それは・・・温厚な紳士だと思っていた知人が、妻/恋人に暴力を振るう男であったことが判明した場合、彼と友だちでい続けることができるだろうかというものだ。パブリックな場では人望があって、気さくで、身なりもおしゃれで申し分がない。だけど、家庭内では手が付けられない暴力男。しかし、家を一歩出た途端そんなことはおくびにも出さない。でも、妻/恋人が顔が腫れあがるほど殴られ、外出もできずひとり家で泣いている、などということが思いがけず聞こえてきたとき、どうすべきか。

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2008年1月 3日 (木)

三つの社会階層

1984大学院の知人Kさんから「読むべし」と勧められていた本をようやく読了。ジョージ・オーウェル『1984年』。映画が公開された1985年~86年に本を買ったものの途中まで読んで投げ出していた。20年数ぶり。当時のじぶんには興味関心のなかったことが、いまあらためて面白く感じられた。面白かったのは権力に対する眼差し。小説の中で登場する発禁書「例の本」の文章がたいへん洞察力に富み、示唆的なのだ。もう一点、考えさせられたのは、再教育された主人公の世界観。大規模で複雑化した社会を効率的に統治するには、こうするしかないのか、世の中お金ではなく権力なのだろうか?

ジョージ・オーウェル(1972)『1984年』新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫(原題: Nineteen Eighty-Four, 1948)

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2008年1月 1日 (火)

公民の徳を陶冶する陪審制

12angrymen2007年の最後の最後に、ヘンリー・フォード主演の『十二人の怒れる男』をようやく観ることができた。うわさにたがわず良い映画だった。井上達夫先生によると、米国におけるアメリカの陪審員制度の目的は、 private な領域に生きる人たちを public な空間に無理やり引きずり出して civic virtue を陶冶することだそうだが、そういう視点で見れば面白さが増す。

ヘンリー・フォンダ製作、シドニー・ルメット監督『十二人の怒れる男』(12 Angry Men、米、1957)

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