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2008年1月 1日 (火)

公民の徳を陶冶する陪審制

12angrymen2007年の最後の最後に、ヘンリー・フォード主演の『十二人の怒れる男』をようやく観ることができた。うわさにたがわず良い映画だった。井上達夫先生によると、米国におけるアメリカの陪審員制度の目的は、 private な領域に生きる人たちを public な空間に無理やり引きずり出して civic virtue を陶冶することだそうだが、そういう視点で見れば面白さが増す。

ヘンリー・フォンダ製作、シドニー・ルメット監督『十二人の怒れる男』(12 Angry Men、米、1957)

陪審員制度は、ふつうの市民を徴用してパブリックな問題に触れさせる仕掛けである。司法を市民の側に取り戻すというようなものではなく、むしろ公民づくり場である。映画の中にでてくる12人の男たちも、大半が自分の私的生活を優先するあまり、疑わしきは被告人の利益に、という原則などそっちのけで「有罪」を主張する。だが、ヘンリー・フォード扮する第8号陪審員が疑問を呈することで暑苦しいドラマが展開する。

討論をすれば最良の答えを出せるとは限らない。最良の答えを出すための話し合い阻むのは、マイノリティに対する偏見、馬鹿にされたくないという恐怖感、それを見破られまいと大声で怒鳴り散らす威圧的なパフォーマンスや自制心の欠如、相手の意見を変えようとする支配欲、意見を変えることをみっともないと恥じるプライド・・・・ 陪審員は有罪/無罪の立場に分かれ、相手を言い負かしたほうが勝ち--というようなゲームではないが、物語を引っ張るにはこういう人間心理を使うしかなく、この映画はみごとに展開している。

12人のうち1人は米国へ移民してきたばかりの男で、当事者とは利害関係のない市民が討議を重ねて問題解決するプロセスの良さを語る。わたしにはこのセリフが最も印象的だった。移民が地元ニューヨーカーよりもcivic virtue を陶冶されているのも面白い。

人の自由をすこしばかり制約するし、リスクも伴うが、私的領域から一歩出て公的な問題に直面するのも悪くない。そういえば、フィッシュキンが提唱する deliberative day の目的もこういうことなんじゃないかな(ちゃんと読んでないけど)。

この映画を観ていて、三谷幸喜の『12人の優しい日本人』も良くできた映画だとあらためて感心した。ただ、人間ドラマとしては秀逸でも、、civic virtue はあまり陶冶されない。

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