« 三つの社会階層 | トップページ | 草思社が民事再生申し立て »

2008年1月 5日 (土)

DV男と友だちでいられるか

数年来の難問がある。それは・・・温厚な紳士だと思っていた知人が、妻/恋人に暴力を振るう男であったことが判明した場合、彼と友だちでい続けることができるだろうかというものだ。パブリックな場では人望があって、気さくで、身なりもおしゃれで申し分がない。だけど、家庭内では手が付けられない暴力男。しかし、家を一歩出た途端そんなことはおくびにも出さない。でも、妻/恋人が顔が腫れあがるほど殴られ、外出もできずひとり家で泣いている、などということが思いがけず聞こえてきたとき、どうすべきか。

それほど親しくない知人であれば、きっと遠ざけていくだろう。だけど、互いに友だちであることを認識している間柄であったときどうするか。「おまえ、DV男やったんか!? アホなことやめろよ」と忠告できるだろうか。忠告をしたとしても、しなかったとしても、いずれの場合も友だちでいることは困難だと思う。一方の言い分だけを聞くのはアンフェアだと反論されるかも知れない。夫婦/男女の問題に首をつっこまないでくれと言われれば、それ以上踏み込むのは勇気が必要だ。なによりも、妻/恋人の女性との男女関係を疑られるリスクもあし、それ以上に、DV男だと言いふらした“罰”としてさらなる暴力を誘引するする危険性もある。素人がヘタに手出しをするのは危険だ。

ドアの内側で繰り広げられているドメスティックな暴力は本当に厄介だと思う。法的には、2001年10月に「DV防止法」が施行された。正式には「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」といい、妻と夫の間の事件を対象としている。ただ、ウィキペディアでは、DVは男女間にかぎらず、親子間や兄弟姉妹間のものも含んだ広義の解説をしていて、(1)身体的虐待、(2)精神的虐待、(3)性的虐待、(4)経済的暴力、(5)社会的隔離--などのケースに分類されている。

問題解決のためには、法や制度のほかに、地域共同体やマスメディア・ジャーナリズムができることもあると思うし、NPOや社会活動家、宗教者などにもできることがあるはず。中途半端な知人が背負い込むには重すぎる。


2008年01月07日追記

▼関連リンク集

配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(総務省 法令データ提供システム)
配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(Wlikipedlia)
配偶者からの暴力被害者支援情報(内閣府男女共同参画局)

一人で悩まずに相談しましょう。相談先は思いのほかたくさんあります。家庭内の問題を、家庭内で解決できないことは恥ずかしくありません。共依存に陥らないうちに。。。。

|

« 三つの社会階層 | トップページ | 草思社が民事再生申し立て »

「dysphoria」カテゴリの記事

「mumble」カテゴリの記事

コメント

でもですね、見て見ぬ振りをしているから、
暴力振るわれる人はいつまでも「私が悪い」と思い続けることに。
そして、暴力を振るった人はまた「言葉の暴力はお前の方だ‥‥」というのです。
私は一番ん嫌いな言葉は「喧嘩両成敗。夫婦喧嘩は犬も食わない」と言う言葉を鵜呑みにして
口に出して言う人です。無意味に傷つけてしまいます。
白黒をつけるのは難しいけれど、友達として、一言だけでも伝えると言うのは大事だと感じます。
でも、表面ではいい人なんですよね‥‥‥そう言う人って。
背負い込むのは難しい‥‥というより、覚悟がいるもんだいですよね。
失礼しました。

投稿: mine | 2008年1月 5日 (土) 12時37分

>mineさん
 たしかに覚悟が要りますね。無二の親友のような人物なら割って入れるかもしれません。でも、互いにプライバシーを見せ合わない程度の間柄の人に「あのさあ・・・」と話を向けるのはしんどいですよ。表面はどうあれ、壊れているかもしれないし。
 あるフェミニズム理論は「personal is political」という簡潔な言葉で、身の回りの問題を政治的な問題として捉えようとしてきましたよね。誰もが知ってるのに誰もが目を閉ざし口をつぐんできた身近な困りごとや生きにくさを政治化する努力を続けることと、個別の問題を解決のための“駆け込み寺”や相談施設をしっかり完備する努力が必要なのはいうまでもないです。でも、覚悟を持てない身近な人にできることは、相談窓口をそっと教えてあげることくらいしかないかなあ。
 まあ、わけ知り顔で「どっちも悪い。おたがい謝れ」みたいな説教をしたがる人は論外ですが。。。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年1月 5日 (土) 14時12分

興味深く、読ませていただきました。
自分の周りにそういうカップルがいたとしたら
私は加害者側にどんな対応をするだろう、と考えてみたんですけど思い浮かびません。
私は、被害者を説得することしか、慰めることしか出来ないような気がします。
でも、一番変えなければいけないのは、加害者です。(もちろん、被害者もそうですが)
加害者にとって、配偶者を殴ると言うのはとても当然、自然のことなのだと聞いたことがあります。
どうしてそうなっちゃうんでしょうね?
とても不思議です。
好きで一緒にいるのに。
女性が加害者になるパターンも多いみたいですけれど、女性が加害者の場合、同性である私はますます何も出来ません。きっと。
でも、だんなの怪我を見て、嫌われてもいいから、彼女を説得するかも。
それも、2、3年がかりで。
そんなことが起こらないよう祈っています。

投稿: ほんとは、わっしぃ | 2008年1月 8日 (火) 16時58分

>ほんとは、わっしぃさん
 「配偶者を殴ると言うのはとても当然、自然(略)どうしてそうなっちゃうんでしょうね?」
 まったくその通りですね。ほんとに唖然とします。
 でもね、わっしぃさん、日本のカイシャって、家庭の延長上みたいなところがありますよね。カイシャでの振る舞いをみてると「コイツはDVやっとるな」と想像できるオッサンっていませんか?
 たとえば、これ以上ないというくらい部下を怒鳴りあげたり、周囲がいたたまれないくらい出入りの業者を罵倒するオッサン。私から見れば、いい歳して自制できないバカにしか見えませんが、こういうオッサンに限って、シツケをしてあげてる=相手に善かれと思ってやってる・・・・だから「当然、自然」なんじゃないでしょうか。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年1月 8日 (火) 21時05分

>畑仲さん
 やっているなーと感じる人は、むしろ、普段は笑顔でジェントルマンで、でも、人を怒るときに、妙なくらい人格変わる人かな?と。
 その時にしたミス以外を、例えば普段から気になっている態度とか持ち出して、なたで相手をぶった切りにぶった切るような怒り方をする方がそうかも?と思います。

>こういうオッサンに限って、シツケをしてあげてる=相手に善かれと思ってやってる・・・・だから「当然、自然」なんじゃないでしょうか。

 これまで仕事で出会った人を振り返ると、家族の尻にしかれていて、その鬱憤を社内の立場を利用して、部下に当たって晴らしているように感じます。
 セクハラでもそうなんですが、恐らく、身近に感じるからこそ、自分の支配下にあるものを思い通りにしたい、もしくは、支配下にある=ペット的存在なので、ちょっと無理難題を言ってその困った顔を見てみたい、困惑する様を楽しみたい、あたりがついつい相手を攻撃したり、嫌らしいことをいう理由なのかと。
 特に、後者の場合、不快だといっても、なぜか理解してくれない。かわいい犬やネコをかまうのと同じなので、「愛情を否定された」と激怒されるのがオチです。
 なので、やんわりやんわり、でも決定的なことをされたときを逃さず、しっかりと言う。長期戦でやっていくしかないです。
 こちらの意図を汲んでくれたときに、また、友人に戻れる、よき上司部下になれると信じてこつこつやるしかないですね。

投稿: ほんとは、わっしぃ | 2008年1月 9日 (水) 05時03分

フレデリック・ワイズマンという映画監督が
DVのドキュメンタリーを二本撮ってます。
2月後半にアテネフランセで上映しますよ。
長い上、平日というのが痛いですが、
現存する最高峰のドキュメンタリー監督なので見る価値ありますよ。

http://www.athenee.net/culturalcenter/schedule/program/wiseman/frederickwiseman.html

知っていたら、失礼しました。

投稿: Yorke | 2008年1月10日 (木) 18時12分

昨年の春、子どもの同級生が突然いなくなりました。
しばらくたってわかったのは、お母さんが子ども3人連れて
DVの避難シェルターに逃げたという事でした。
ショックでした。近くに居たのに助けてあげられなかった。
彼女はDVの事はいっさい言わなかったけれど、顔を腫らしてたり
腕にあざができてたりで気にはなってたけど、仕事(介護)でできた
と言うので特に聞き出したりはしてませんでした。
ゆがんだ夫の愛情?表現。これはもう病気だと思います。
彼女にはもう会えないかもしれないけれど、逃げて逃げて
新しくしあわせを掴んで欲しい。そして夫はまた過ちを繰返すのでしょうね。
妻以外との人付き合いはどうであれ、はっきりいって人間の屑ですよ。
人を傷つけていい理由なんてありえない。
私はゆるせません。

でも私もハタさんと同じく、それを相手(夫)に対して口にだすべきか
どうかすごく悩み続けてます。
私が言うのは簡単だけど、その事への怒りのはけ口が誰に向くのか?
彼女へ対する異常な愛情にそれが加担(暴力)されたら・・・と思うと、
やはり口に出して面とはいえません。くやしい。

投稿: かのう@豊仁 | 2008年1月22日 (火) 11時57分

>かのうさん

 しんどい話ですね。たしかにくやしいです。

 プライバシーの観念の薄かった時代には、ご近所の内情(夫婦喧嘩や親子喧嘩)は筒抜けでしたよね。とくに、河川敷(浜)に暮らす人たちは、その地域の大人全体で夫婦喧嘩の仲裁をしたり、子供しつけをしたりしていました。一目置かれているような話の分かったボスもいたと思います(そういう社会に避難用のシェルターはありませんでしたが)。

 私たちは小さなコミュニティを消し去り、個々人のプライバシーを尊重する社会を指向したため、他人の家庭の内情がわからなくなりました。人と人の距離が遠く、お互いの家庭が不可視になったいま、私たちにできることは、、、、、、

 この種の話をすると、どうもわたしは、倫理や道徳、宗教などの世俗を超えた審級を導入したくなります。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年1月22日 (火) 19時15分

あの頃、私たちが育った場所は確かに3丁目の夕日より濃く
密接な関係の中にありましたね。^^;
私も時々、浜や私たちの育ったところの事を思い出します。
うちの長屋にもボスはいましたし、子どもの気持ちを受入れてくれる
よそんちのじいちゃん、ばぁちゃん、おばちゃんもいました。
河原の床の無い家。長屋の中の水道の無い家。便所の無い家。
みんなお互いの持てる物を共有して一生懸命生きていたと思います。
誰かが誰かを助けて助けられて。あの頃なら、殴る方も殴られる方にも
逃げ道も人の助けも、大袈裟でなくあったかもしれませんね。
プライバシーは薄く、母達は大変だったかもしれませんが
多くの事も助けられていたと思いますよ。

避難した彼女は幸い?にも宗教を持っておりまして
普段はあまり受入れない私も、さすがにその集まりの方々に
支えてあげて下さい。話を聞いてあげて下さい。と頭を下げました。
自分はなにもできなかったけれど、今の彼女にはその宗教が支えに
なってくれればと思います。

ハタさんのお友達にも心の逃げ道(救い)がみつかりますように。

投稿: かのう@豊仁 | 2008年1月22日 (火) 21時10分

>かのうさん、ありがとうございます。

 たしかに、子供時分の私たちは濃密な空間に取り囲まれていましたね。いま振り返ると、なりふり構わず生きていたような気がします。涙と笑い、幸と不幸、焦燥と安寧、尊敬と軽蔑……いろんなものがムキ出しのまま混じり合っていました。
 だからといって、昔は善かった式の感想を言ってもはじまりませんし、、、、ご友人の無事を祈ります。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年1月22日 (火) 22時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/19960/17583731

この記事へのトラックバック一覧です: DV男と友だちでいられるか:

« 三つの社会階層 | トップページ | 草思社が民事再生申し立て »