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2008年2月 2日 (土)

ホテルを糾弾するだけでいいのか

傍観しながら批判をするのは簡単だ。むろん沈黙するよりもはるかに評価できる。だが、いくら激しい言葉を並べても、切実さや痛みが伴わない言葉は届きにくい。そんなことを考えさせてくれたのが「日教組が教研全体集会の開催中止」のニュースである。客観主義の格率からの逸脱も時には必要ではないか、などと考えた。

日教組が教研全体集会の開催中止 ホテルが使用拒否、51年以来初 (47news 2008/02/01 16:42)
会場使用拒否 言論の自由にかかわる問題だ (毎日新聞社説 2008年02月02日付)
日教組大会 集会の自由は守らねば (中日新聞社説 2008年02月02日付)
教研集会拒否―ホテルが法を無視とは (朝日新聞社説 2008年02月02日付)

この問題について、翌日の社説できちんと反応した新聞社はどれくらいあるか調べてみたが、さすがに“現場”が東京だったためか、朝日新聞、毎日新聞、中日新聞(東京新聞)の三紙だけだった。ただ、この問題はローカリティとは関係のない、自分たちの仕事とも密接に関わる普遍的なテーマのはず。各地から即座に声が上がらなかったのは、個人的にはとても残念だ。

さて、教育研究全国集会の全体集会会場となっていたグランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が、一方的に契約を破棄した理由は、「右翼団体の街宣活動によって他の客や周辺の地域に迷惑をかける」というものだ。ホテルは民間企業だし信用第一の客商売だ。日教組との契約を不法に破棄しても、周辺住民に迷惑がかけたくないという主張には説得力がないわけではない。周辺住民を「人質」に取るまでもなく、「右翼」団体による無用なリスクを背負いたくないというのも人情というものだ。たとえそれが裁判所の命令に反することであってもだ。

わたしが重要だと思うのは、街宣活動による騒動を避けたホテルの振る舞いを責めることではなく、憲法が保障する「自由」を私たちがどう受け止め、どう考えるかということだ。右翼の街宣活動は表現の自由によって守られるべきであるし、日教組の教研集会も集会の自由によって守られるべきである。ともに憲法の下で保障されている。そして、両者の対立を駆動しているのは、政治的イデオロギーである。
(むろん、右翼の街宣車とほぼ同じ大きさの騒音を左翼がまきちらせば、警察は喜び勇んで取り締まるだろうし、おまわりさんに守られてヌクヌクしている「右翼」さんもどうかと思うし、「日教組に集会の自由などない」とか言ってるブログの運営者たちも自らの表現活動も無縁ではないということを知るべきだろう)

以下、朝日、毎日、中日(東京)の社説の結びの部分を引用する。

毎日新聞 自由に集会し、自由に意見を交わす場が騒ぎと警備に囲まれ、会場確保のために裁判所の判断を仰がなければならないというのは、本来あってはならないことだ。しかし、集会や言論の自由という最低限の基本的権利はそれで守られる。それを越え、どうであれ会場(機会)は与えないという事態は到底看過できぬ権利侵害といわざるをえない。  それが日教組の集会であれ、逆に反日教組の集会であれ、保障されるべきは同じである。今回の「全体会取りやめ」は今後、日教組にとどまらず、集会や言論、表現の会場使用をめぐる問題に「前例」として重くのしかかるおそれがある。  そうしないための問題認識や気構えが必要だ。

中日新聞 三度出された裁判所の命令を無視してまで混乱を避けようとするホテル側のその“企業判断”は正しいのか。社会から支持が得られるとは、とても思えない。
 たとえ、主義主張の違いがあったとしても、表現や思想信条、集会の自由は、民主主義社会で守らなければならない最も大切な権利だ。
 周囲で右翼が騒ぐおそれがあるからといって、会場の使用を拒んでいたら、民主主義社会が崩れてしまう。法令も守らなければならない。

朝日新聞 このホテルの親会社である西武ホールディングスの後藤高志社長は、銀行員時代に総会屋との決別に力を尽くし、小説のモデルにもなった。それなのに、なぜ……。ことのいきさつをぜひ聞きたい。
 茨城県つくばみらい市では、ドメスティックバイオレンス(DV)をテーマにした市の講演会が、DV防止法に反対する団体から抗議を受けたため、「支障をきたす」との理由で中止された。
 こうしたことが続くと、憲法で保障された言論や集会の自由が危うくなる。
 グランドプリンスホテル新高輪は自らの行為の罪深さを考えてもらいたい。

三紙に共通しているのは、ホテルが裁判所の命令に従わず、やすやすと「右翼」団体の脅威に屈した態度を糾弾していることだ。そして、こうした事態が続けば、集会の自由だけではなく、言論・表現の自由にも影響が及び、デモクラシーが損なわれるのではないか、と懸念を表明している。たしかに、集会の自由も、表現の自由も、思想信条の自由も、私たちの社会にとって重要な価値をもつ。どれか一つが踏みにじられるようになれば、他にも影響するであろうことが容易に想像できる。じつに由々しき事態である。

そこでふと思ったのは、新聞社が自由と民主主義の擁護者であるとすれば、みずから日教組に会場を貸し出すことは不可能なのだろうか、ということだ。全体集会を開くには二〇〇〇人を収容できる空間があればよい。大きな新聞社であれば、それくらいのホールや施設は調達できるかもしれない。・・・しかし残念なことに、前述のような大きな新聞社が、こうした係争ごとに関した集会のために会場を貸し出す可能性は限りなくゼロに近い。理由はいくつもあるが、その一つに、客観主義の格率がある。ジャーナリズムは観察者にすぎず、行為者になるべきではないという格率だ。しかしその格率は、自由の擁護という大義を放棄させてしまう、逃げ口上になっていまいか。

社説に説得力を持たせ、多くの読者に「なるほど」と受け入れてもらうには、ホテルに代わって自らがリスクを負ってみるのが近道だろう。ホテルを指図するだけでは、「右翼」団体がやっていることと同じだ。この問題が表現の自由にとってどれほど重要であるかを伝えるには、またとないチャンスであったはずだ。日教組の思想信条に共鳴したのではなく、表現の自由を守るために場所を貸したのだ--そう胸を張って言えるだけの「問題認識や気構え」(毎日)があれば、「憲法で保障された言論や集会の自由が危うくなる」(朝日)ことはなく、「民主主義社会が崩れてしまう」(中日)ことも避けられると思うのはわたしだけであろうか。

新聞社が傍観者という立場から“降り”て、みずから自由を守る行為者となり、読者とともに問題を解決していこうと試みた事例は枚挙にいとまがない。たとえば、一九九〇年代のアメリカで展開されたパブリック・ジャーナリズム運動などはその典型であろう。新聞社はなんのために在るのか、その正統性をどのように説明できるか--そんなことをを考えさせられる事例は、マスメディアの周縁にいくらでもある。

2008年2月3日追記
 この問題について、毎日、朝日、中日の三紙に続いて、1日遅れで論じた新聞社は以下の通り。

会場提供拒否 無視された集会の自由 (北海道新聞 2008年2月3日付)
集会拒否 憲法の精神に反する (信濃毎日新聞 2008年2月3日付)
日教組集会拒否 大ホテルがこんな無法を (新潟日報 2008年2月3日付)
ホテル使用拒否 「集会の自由」は守らねば (山陽新聞 2008年2月3日付)
【会場使用拒否】社会的責任が問われる (高知新聞 2008年2月3日付)
理解できないホテル判断 教研集会拒否 (西日本新聞 2008年2月3日付)
教研集会拒否 企業は社会的責任果たせ (熊本日日新聞 2008年2月3日付)
[教研集会拒否] 「集会の自由」が脅かされる事態だ (南日本新聞 2008年2月3日付)
ホテル側の判断は疑問 (沖縄タイムス 2008年2月3日付)
会場使用拒否 ホテルは社会的責任自覚を (琉球新報 2008年2月3日付)

なお、読売新聞も3日付の社説でこの問題を論じていたが、著作権にまつわるQ&Aを読んでいるうちに、見出やURLを紹介するのが嫌になった。「著作権侵害の可能性」という無用なリスクを負いたくないのでスルーする。内容的には、まあ、2日付の毎日、中日、朝日の主張とほぼ同じだ。

2008年2月4日追記
この問題でいくつものブログを見ながら、新聞社説が思いのほか読まれているような印象を受けていたが、わたしの勘違いであった。よく読んでみると、内容に対する批判がほとんどない。多くのブログでは社説をまるごとコピペして、日教組への憎しみのような言葉が2~3行書き散らされているだけで、社説の論理矛盾や問題設定の矛盾を指摘するものはほとんどなかった。良心的な批判に思えたのは以下の2つであり、以下、わたしがムムムと思った文章を引用する。

▽法は守るべきか--おおやにき(2008年2月 3日)

ホテルが公的施設だという意見は初めて聞きました(中略)この問題についていうと、「表現の自由」とか憲法的問題は微塵くらいしか関係なくて(中略)基本的には「契約は守るべきか」という信義則の問題と、「法は守るべきか」という遵法義務の問題だろう。

▽集会の自由というごまかし--凪論(2008年2月4日)
つまり一民間企業が顧客の迷惑を顧みず悪質な圧力団体である街宣右翼と戦えと言っているわけである。そのようなことを一民間企業に強いる主張に正当性のかけらもあるはずがない。一民間企業にそのようなことを強いる前に、大きな権力を有する新聞各紙をはじめとしたマスコミにそれを望みたいものである。

この2つの見解は、わたしが遠慮がちに表現していたことをストレートに言い表してくれている。

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コメント

畑仲哲雄さま
TBをありがとうございます。

私は、決してホテルだけを糾弾しているわけではありませんでした。
「集会会場の貸借」をホテル側に拒否させた「右翼団体」に最大の原因があります。

しかし、それに屈服するホテル側の「社会的責任の放棄」を指摘したつもりです。

ご経験あると思いますが、「右翼の街宣車の行為」は、彼らの言論の自由というより、市民生活への挑戦のような気がしています。

投稿: 北のCOSMOS | 2008年2月 3日 (日) 01時23分

>北のCOSMOSさま
 コメントをありがとうございます。
 おっしゃる点は、生活感覚としてよく分かります。ただ、あえて理性的に考えると、右翼やホテルをバッシングすることは生産的ではないように思います。街宣車に乗る人も、ホテル業で生活の糧を得ている人も市民ですし、普遍的な権利を有しています。それらの当事者たちだけに「ああしろ、こうしろ」「ばかだ/よくやった」などと言うだけでは、“観客民主主義”の域を出ないような気がするのですよ。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月 3日 (日) 10時52分

たまたまこちらの記事を拝見しました。こちらでは大手新聞社の姿勢に対する批判が主眼なのでズレているかもしれませんが以下私見です。
この件は、企業がコンプライアンスと言われるものを尊重する傾向の中で発生したので違和感を多くの方が持っているのだと思います。今時そんなこと企業がしていいの、と。民主主義とか集会の自由といった高尚な話し以前です。
一方で、「私たちは、法令・通達・社内規則等の精神を理解し、これを遵守して適正に業務を行います。」とか「私たちは、反社会的勢力および団体に対しては毅然とした対応をし、これらの勢力の活動を助長するような行為は一切行いません。」なんて宣言して(前科ありの)西武グループも普通の企業のようにカッコウをつけているんですからね。法令順守はお約束じゃなかったの、と多くの方は思うわけです。
敢えて言えばこれは確信犯なのかもしれませんね。どうも中島茂という弁護士が怪しいと思っています。
(ご参考までのTBさせていただきました。)

投稿: FAD | 2008年2月 3日 (日) 15時08分

>FADさん
 コメントをありがとうございます。
 わたしはべつに、大手新聞社を批判しようとしているのではありません。むしろ少なからぬ期待を寄せています。そして、民主主義の根幹に関わる問題を前にしたとき、ジャーナリズムは客観主義の殻を打ち破れないかと提案させてもらったまで。
 今回のように、ホテルへのバッシングと、日教組へのバッシングが錯綜するなか、安易な二項対立の図式を描くだけでは何も生まない、そんな気がします。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月 3日 (日) 15時54分

トラックバックありがとうございます。
FC2版はミラーブログのため、ライブドア版よりトラックバックいたしました。
大きな権力を持つ者は大きな責任を負うのが当然なのですが、数々の放送禁止用語や自主規制などマスコミは自らは圧力に容易に屈するにもかかわらず、一民間企業には自らができない圧力団体との対決を強いるのは片手落ちというものでしょう。
ましてマスコミは第四の権力というほど大きな権力を有しているわけですから一民間企業とは負う責任が違うわけですし。

投稿: | 2008年2月 5日 (火) 12時46分

>凪さん
 コメントをありがとうございます。思わず文章を引用させていただききました。凪さんに言い尽くされた感があります(笑)。これからもよろしくお願いします。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月 5日 (火) 14時40分

畑仲哲雄さま

 コメントをありがとうございました。お返事のコメントを書きました。
 お返事にあたる部分以外での感想を記します。

 報道機関の姿勢が傍観者的という点はわかります。「右翼団体の妨害には前例があり、言論・表現の自由のために、サミット警備並みの陣容で日教組集会を守るべきだ」と警察警備の問題を提示することもできるはずです。自分たちの主催イベント(駅伝とかマラソン)は警察に整理、警備をしてもらうのに比べ、日教組集会は保護に値しないと思っているわけでもないでしょうが。

 プレカリアートのサウンドデモを逮捕したように(昨年5月)右翼の街宣車を威力的に規制するのではなく、離れた場所での宣伝活動はできるが会場近くでは規制する方法はないのか、警察OBの警備会社社員に話を聞くなど、論説ではない記事を工夫してほしい。

 ただ、右翼団体の街宣による集会妨害は、民事介入暴力ですので、当事者企業の姿勢が問われる側面はありえるのではないでしょうか。
 暴力団に脅された企業が金品を払ったこと場合に、一企業に闘うことを強いるのは酷だとも言えないと思えます。それだけを言うのは現実的ではないでしょうが。
 

投稿: JCJ機関紙部ブログ | 2008年2月 9日 (土) 11時56分

>JCJ機関紙部ブログさん

 コメントをありがとうございます。
 JCJには、日教組の全体集会が開けるよう会場を提供するという選択肢はなかったのでしょうか。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月 9日 (土) 23時45分

畑仲哲雄さま

 恥ずかしながら、名前だけエラソーでも貧乏ですので無理です。(ブログ主にだけ見えるコメントというのだったら具体的に数字を出しますけど)
 会場を借りる費用の問題ではなく、例えば大学を借りるための仲介とか、できることはないかなと考えましたが、そうした縁故なら日教組自身にもあるのかもしれません。
 ただ、毎年同じようなことが続くなら、運動シーンでさまざまな団体が連合して何らかのサポートを考えるべきかもしれません。やり方はにわかには思いつきませんが。
 

投稿: JCJ機関紙部ブログ | 2008年2月10日 (日) 00時14分

「今回のように、ホテルへのバッシングと、日教組へのバッシングが錯綜するなか、安易な二項対立の図式を描くだけでは何も生まない、そんな気がします」

そうではない。労働者が団結権を行使するのは、労働者個人では資本家の力に対抗できないからであって、だから労働組合が存在して、資本家との力関係の上で闘っているのであるから、労働組合の団結権とそれに派生して必要となる結社・集会の自由を剥奪しようとする暴力的で威嚇的かつ反社会的な政治勢力(つまりこれは資本家階級に雇われて初めて食べていける勢力であるが)と「二項対立」の状態にあることは、まったく自然であって、その対立関係の上でこそ、この現実に起こっている紛争はより正しく理解できるのである。

投稿: teo | 2008年2月17日 (日) 21時50分

>teoさん、こんばんは。
 文章が難しくて、わたしの読解力では十分に読みこなせませんでした。
 teoさんのご主張は、この「紛争」をホテル・バッシング派と日教組バッシング派の二項対立で見ることで「より正しく理解できる」ということでしょうか。そうした「理解」のうえで、一個人では弱い労働者たちが団結して、資本力にものを言わせる有名ホテルと「反社会的」な政治勢力との紛争に臨むべきだ、とおっしゃるのでしょうか?
 わたしにも理解できる平明な表現で主張をしていただければ、よりよきコミュニケーションを生むと思うのですが、、、

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月17日 (日) 22時23分

そうではなくて、労働組合 対 労働組合の活動を妨害する勢力 という二項的対立が現実に存在しているわけです。同時に、労働者の活動を妨害する勢力に結果的に荷担してしまうホテルの立場が明らかになったことで、ホテルの立場もまた、労働組合の活動を妨害する勢力の立場に近いのは明らかです。つまり、ホテルは労働者の権利を守ろうとする立場とは逆の立場に立っているわけです。このことは、ホテルも一方に荷担する形で、団結する労働者とそれを妨害しようとする労資の二項的対立になっているわけですから、その二項的対立を調停しようとしたり、和解させたりするのは、絶対無理だとい言いたかっただけです。最終的には両者の力関係によって何らかの決着をみることになるでしょう。他方で、この対立とは関係なく、裁判所の決定を無視したことで、司法をないがしろにしたホテル側の行為は、法治国家で商業活動を行う企業としては重大な問題があるといえます。

投稿: teo | 2008年2月18日 (月) 21時00分

日教組組合員の宿泊まで拒否したことが旅館業法に抵触していたことも明らかになったようです。かくも順法精神の欠落した経営が都心の大ホテルで行われているとは、恐ろしいことだと思います。同ホテルの株主と経営者がコンプライアンスを重視する姿勢に転換するよう動くことが強く求められています。

投稿: teo | 2008年2月18日 (月) 21時31分

>teoさん
 わかりました。労働者と資本家というマルクス主義的な対立の構図を想定されていたのですね。
 当該ホテルが反社会的な行為をおこなったという主旨のご指摘は、翌日の新聞各紙も社説でも言及されていたように多くの人が感じていているのでしょう。ただ、私の主張を少々乱暴にかみ砕いていえば、「おまえら安全地帯から文句いうくらいなら、ホテルに代わって会場を貸してやれよ。それでこそデモクラシー実践者といえるんじゃないか」というものです。デモクラシーはお上の威光を借りたり、敵対勢力の活動を抑圧するのではなく、自らの行動して維持していくべきというのが私の考えです。ま、一種の極論かもしれませんが。
 残念ながら、現在の日本社会には、プロレタリアート独裁もアナルコ・サンジカリズムも受け付ける素地があるとは思えません。労働組合組織率も低下の一途です。「プレカリアート」とされる不安定雇用にいる人たちからすれば、労組も資本家とおなじく「疎外」する側に映っているかもしれませんし、ほんとうに厄介な時代になりましたね。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月19日 (火) 00時23分

「おまえら安全地帯から文句いうくらいなら、ホテルに代わって会場を貸してやれよ。それでこそデモクラシー実践者といえるんじゃないか」
 それは一理ありますね。私も全面的に「マルクス主義的な対立」を信奉しているわけではありません。また、「労働貴族」やら「ダラカン」の言葉があるように、既成労組自体が既得権に執着して労働者全体の利益を顧みない姿勢があることは、ご指摘のとおりかもしれません。ただ、労組が合法的な活動を行う限りにおいては、それを不法に妨害しようとする勢力の目的を結果的に成就させてしまったホテル側の対応は、社会の成員たるホテル自身の社会的責任に対する自覚が足りないのではないかとも思うわけです。

投稿: teo | 2008年2月19日 (火) 08時43分

>ホテル側の対応は、社会の成員たるホテル自身の社会的責任(後略)
 teoさんがホテル経営者だったら会場を貸しましたか? わたしならかなり悩むと思います。
 なぜなら、他の宿泊客やご近所に相当の迷惑をかけることが想像できます。ホテルの従業員にも精神的・物理的な負担を強いるでしょう。なによりも自分の家族に心配をかけることになります。最悪の場合、他の宿泊客やご近所から損害賠償請求の訴訟を起こされるかもしれません。ホテル従業員(彼ら彼女らも労働者です)との紛争が持ち上がるかもしれません。じぶんの家族との関係が悪化するかもしれません。無理をして日教組に会場を貸したとしても、ホテルがイメージアップするとは考えられない。つまり、良いことは何一つないのです。
 ホテルはお役所ではないので、客を選んでもかまいませんし、リスクを避ける裁量もあります。ホテルの立場になって考えてみれば、今回の判断は理解できます。それは教職員組合の集会を妨害することを企図したものではなく、自衛のための判断だと思えるからです。
 今回の事態について、自らは安全地帯に身を置いて、ホテルを指さして「許さん!」と批判するのは、大変みっともないように映ります。なら、体を張って右翼の街宣車と対峙するとか、日教組のために会場を貸すとか、行動を起こすべきではないですか?

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月19日 (火) 22時49分

 当然、ホテルには「リスクを避ける裁量」はあります。しかしその裁量が、旅館業法と裁判所による決定を超えて行使できるものでないことは火を見るように明らかです。ホテルは法治国家の一員であり、法による支配と恩恵を享受しているのですから。
 もし、日教組がその反対勢力の一部と同様に公然と非合法な活動を扇動し脅迫的・暴力的な活動をする団体であれば、ホテル側の「裁量」は当然擁護・支持されなければなりません。しかし、そのような事実はどこにもありません。
 「ホテルの立場になって考えてみれば、今回の判断は理解できます」
 ホテルがホテルの立場しか考えず、顧客である日教組の立場、法人としての社会的な立場、法治国家の一員としての立場については考えなくても良いということであれば、法人としての適格性に疑問が出ても文句は言えないでしょう。ホテルにとって日教組は顧客ではないのでしょうか。全部勝手にキャンセルして宿泊も認めない、その差別待遇を正当化できるほど「裁量」に合理性があるのでしょうか。単に恣意的で差別的なだけではないのかと疑われても仕方なさそうに見えますが。ホテルの「裁量」を重視するというなら、他の客に予約させてしまう前に、経済的な補償や(例えば遠隔地の)代替施設の提供や、警察との警備体制の連携などについて提案を行えば良かったのでは、報道を読む限り、そういう努力があったようには見えないのですが。裁判になってしまった時点で、ホテル側の対応に問題があったとも言えないでしょうか。そして裁判所の決定が出てもそれを無視するなら、威嚇的な妨害を行っている勢力と、見かけ上の効果としては、大差なくなってしまいます。
 反社会的な勢力からの「自衛のための判断」によって、合法的な労働組合による集会・宿泊場所の提供を差別的に拒否することが、正当と認められるとお考えですか? それは、総会屋に金を渡して株主総会を乗り切る経営者と同じ利己的な論理でしょう。だから、裁判所はホテル側の主張を認めなかったのです。
 「自らは安全地帯に身を置いてホテルを指さして「許さん!」と批判するのは、大変みっともない」
 連合などは日教組にもっと協力すべきだと思います。場所の提供も含めて。その点には同意します。しかし、ホテルを批判することは自由です。裁判所の決定に従わず、旅館業法の抵触も疑われるホテルを批判することが、「みっともない」なんてことがあるわけないでしょう。
 個人は他者と団結しなければ弱者です。いわれるようにホテルという一企業もそうでしょう。一人、あるいは一社では、立ち向かえない相手かもしれません。それがご指摘の「リスク」の大きさです。その点は理解します。
 だからこそ、日教組自体は反社会的な団体と公然と対峙して闘っているわけです。何なら、日教組と警察とホテル側で共同警備にあたるなど協力し合って安全を確保することもやればいい。なぜ、そういうことをホテルは提案しなかったのでしょう。そうすれば、日教組側からも警備員を雇うなどの追加支出を検討することもできたかもしれません。
 あなたの「みっともない」というご指摘からすると、一番英雄的で立派なのは、日教組の組合員じゃないですか。ホテルもホテルの社員もその勇気ある組合員と連携・協力しあって集会を安全に成功させていれば、現在のような「みっともない」人々からの批判もありえなかったことでしょう。ホテルもコンプライアンスに対する意識の高さが認められて全面的な賞賛を得ることができたはずです。
 違いますか? 逃げることだけしか考えなかったような気がします。ホテル側が。

投稿: teo | 2008年2月20日 (水) 08時45分

>teoさん
 日教組はたいへんお困りだったと思います。腹立ちや憤りは想像に余りあります。お気の毒です。さらにいえば、この問題が“国民的運動”として発展しなかったことも悔しかったでしょう。
 ということを前提に、重ねてお尋ねしますが、もしもteoさんがホテル経営者だったら、どうなさいますか? 各当事者の立場になって考えてみてください。ホテルの立場や他のホテル宿泊客、ホテル周辺の住民、さらに右翼団体などの立場からこの問題を眺めると、見え方が違ってくるのではないですか?
 わたしはこの問題の核心が「暴力」にあると考えます。右翼団体の街宣車に向かって抗議するリスクを避け、その代償行為として商業ホテルに怒りをぶつけている人が多い。ホテルはリスクを回避しましたが、ホテル批判者もリスクを回避しているように映ります。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月20日 (水) 12時30分

「ホテル経営者だったら、どうなさいますか?」
 旅館業法を遵守でき、しかもリスクを最小化できる方法を検討するでしょう。協力が得られれば警察とも協議するはずです。その結果として、現在の場所での集会開催にリスクが多い場合には、他の場所にあるホテルやホテルの関連施設あるいは関連企業の施設の代替提供、あるいは自治体と相談して自治体の施設の利用可能性を、警察、自治体、日教組を含めて協議した上で提案するでしょう。それも不可能な場合には、自社の労組やその上部団体の代替地提供を仰げるかどうか打診するでしょう。それすら無理な場合には、日教組側からの警備上の協力や追加の警備費用援助が可能かどうかを日教組に打診するでしょう。その回答をもとに、警察および警備会社と安全対策を協議して、開催可能かどうかを検討し、開催不可能と判断する場合には、その理由について警察あるいは警備会社の言質をとった上で提供できない旨を日教組に回答するでしょう。ホテルだけの判断での決定ではないことを明示するためです。
 これだけの手順と努力をした上で、もし開催拒否をせざるをえず、しかも日教組側が裁判に訴えて負けた場合には、連合等の団体や一般市民から追加の協力・支援が得られないかを公に問い、その上で可能な最大限の警備体制をとった上で裁判所の決定に従って集会の開催を受け入れるでしょう。当然、その場合は、警察権力に協力をあらためて要請することも必要ですね。新聞社にあらかじめ事情を説明して協力要請を各界に知らしめるPRもするでしょう。
 集会開催を拒否するしないに関わらず、最終的にその期間が終了するまでは、同じ場所に他の顧客の予約を入れるようなことはしません。それは信義に反する「みっともない」ことでしょう。
 私は「リスク」がない、と言っているのではありません。拒否せざるを得ない場合もゼロではないでしょう。しかし、最終的にそう判断するまでには最善義務を尽くすべきです。それによって、「みっともない」批判の対象になることは回避可能です。

投稿: teo | 2008年2月20日 (水) 18時30分

「ホテル批判者もリスクを回避している」
 当事者でない者には、そもそもリスクが存在しないか、あったとしても当事者よりは稀薄なのは自明です。回避する必要がそもそもないのです。
 では、リスクを負っていない者は批判する権利がないのでしょうか。そんなことはありません。また、リスクを負っていない批判者の批判が必ずしも間違っているわけでもありません(正しいともいえませんが)。
 そのようなリスクなき批判者の声を、その個別についていちいち、リスクを負っている当事者が聞き入れる必要がないだけです。(この点で既にリスクなき批判者は代償を支払っています)。
 しかし、当事者以外のホテルに賛同して声を上げている人々も、リスクを負っていない点は同じです。つまり、リスクを負わない者の声は多様なのです。社会的な事件について、多様な声が起こるのは当然でしょう。反対者もいれば賛同者もいます。それが悪いことでしょうか?
 そして、リスクなき批判やリスクなき賛同意見は、それらが社会的な広がりをもって議論されるようになってはじめて、意味を持ってくるのです。それらの発言はリスクを負っていないから無意味でしょうか。そんなことはありません。リスクを負わないと発言できない社会は全体主義的な恐怖政治の社会ではありませんか。
 そして、リスクを負わない当事者以外は何も発言する資格がないとどうなるでしょう。対立する利害関係に満ちた社会では、当事者の内、力の強い者、財力や権力をもつ者の立場が強く、それらが無法なことをおこなって無理強いしても、それを批判するのが立場の弱い当事者しかいない状況では、弱者は泣き寝入りせざるを得なくなるのではないでしょうか。
 まさに、今、この泣き寝入りさせられる状況に追い込まれているのが、日教組なのではありませんか。そのような不条理を強いる状況、その状況に荷担するホテルを誰も批判する資格がない、リスクを負わないから、批判してはだめだ、なんて言えないでしょう。それなら、ホテルの対応に賛同する意見も言ってはいけないはずです。なぜ、批判だけ封じ込めるのです? なぜ、ホテルに賛同する意見に対しても「安易に賛同する資格があるのか」と批判されないのですか?
 あなたのおっしゃっていることは、その起点において、ホテル批判=悪という前提から始まっていて、その根拠として、批判者がリスクを負っていないことを揚げておられますが、それは根拠になっていません。なぜなら、ホテルの対応に賛同している意見を述べる者に対しては、リスクを負うことを要求されないのですから。
 つまり、集会を開催できなかった日教組の立場に立って考える人間の存在をはなから想定されていないのです。それが偏見からくるものなのか、思想や信念によるものなのか、私は知るよしもありません。

投稿: teo | 2008年2月20日 (水) 20時30分

 自由な言論が社会的に価値をもつのは、まさに上に述べた理由からです。発言者にリスクを強要するのは脅迫と同じです。
 もちろん、発言には責任が伴わなければならない場合が当然あります。しかし、責任は当事者であるかどうかなどの発言者の社会的関係に付随して発生するものであって、常に責任を問われるわけではありません。責任を負わない者は発言してはならない、などということはありません。そこに自由の価値があるのであり、脅迫と密告に怯えて何も言えない社会にしないためにも守らなければならない自由なのではないでしょうか。

投稿: teo | 2008年2月20日 (水) 20時38分

>teoさん
 感服いたしました。teoさんが経営者であれば、そこまでの行為をなさるかもしれませんね。ただ、一般的なホテル経営者にteoさんほどのモラルを強いるわけにはいかないと思いました。あまりにリスキーです。
 さて、ここで思考実験をひとつ。
 もし、私がホテルの労働組合幹部であれば、ホテル経営者であるteoさんを徹底的に追及します。なぜなら、ホテル従業員である私たちは日教組集会問題のために必要以上に労働時間が増えてしまい、勤労意欲が低下します。するとミスも増えるし、業績悪化につながります。ひいては経営を圧迫し、結局のところ給与カットや人員整理の危機を招きかねません。労組幹部としての私は「経営者は雇用を守れ。経営者は会社を守れ」というビラをくばり経営者をツルシ上げることになります。
 意地悪な私たちは、経営者の経営判断の誤りについての組合員集会を、ホテルの大広間を借りて盛大に行うでしょう。もちろん私たちは、平和的な活動を行います。「団結」の赤い鉢巻きを締め、プラカードや横断幕を手に、インターナショナルを合唱したり、シュプレヒコールをあげたりして法にのっとり経営者を批判する集会を連日開くでしょう。労働者の権利と暮らしを守るための正当な集会です。
 ただしこのホテルの経営者は、労働組合に対して信義を守ることで有名です。労組のためなら、他の予約をすっ飛ばしてでも、私たちの集会を優先させてくれます。労働者の権利や集会・結社の自由を守るために、体を張って努力を惜しまない立派な行為をすることで有名なteoさんだからです。
 今回はたまたま私がホテルの労組幹部だったら、という仮定で経営者teoさんとどう立ち向かうかについて考えてみましたが、監督官庁の役人になったり、ライバルホテルの経営者になったり、メインバンクの担当者になったり、暴力的な総会屋になったり、ホテル周辺に暮らす住民団体のメンバーになったり・・・・いろんな立場でホテル経営者であるteoさんを徹底的に攻撃することができます。
 あくまで思考実験です。すこし意地悪な応答となったことをお許しください。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月20日 (水) 22時31分

「日教組集会問題のために必要以上に労働時間が増えてしまい…」
 もし本当にそういう状況で、集会への対応が労働強化に繋がっているのであれば、指摘された「リスク」増大要因として、集会受け入れの是非を検討する要因の一つに組み入れるべきでしょう。わたしは最善義務を尽くすべきだと言っているだけです。開催=善と決めつけているわけではないのです。また、そのような状況があれば、集会を開催する組合側の譲歩を引き出すことができるかもしれません。労組は労働者の味方でなければ存在意義がないのですから。どちらかの労組が利己的な主張に固執すれば、全国の労働者から「みっともない」批判が集中すること間違いありませんから。
 経営者として重要なことは、法令を遵守しながらリスクを最小化することです。

「労働組合に対して信義を守ることで有名です」
 労働組合が顧客の場合には、顧客である以上、他の顧客と同等に扱うことが、旅館業法からも求められているだけです。コンプライアンス上の義務を果たすかどうかの問題であって、労資どちらの側を支持するかというイデオロギー的な問題ではありません。それは論点の混同です。
 自社労組からの苦情だけでなく、住民団体の要望もあるでしょう。それなら、それをあらかじめ聴取して、データを示して、警察などとも協議して、現状把握を行い、可能な手段がないかどうかを考えてから、出来る限り開催出来る方向で労組と協議すべきでしょう。
 十分な説得力のあるデータがあれば、労組も裁判所も理解してくれるでしょうし、裁判所さえ理解してくれれば、それで決着がつきます。裁判所の理解が得られていないとすれば、それは最善義務を行っていないと疑われる可能性があるでしょう。
 私は無理に開催させろ、と言っているのではありません。努力した上で無理なのであれば、合理的な説明をして労組あるいは裁判所の理解を得られるようにすべきだ、と言っているだけです。
 

投稿: teo | 2008年2月21日 (木) 01時22分

 蛇足ですが、ホテル側が日教組や裁判所を下調べに基づく実証的なデータと論理によって開催を拒否する論拠を説得できなかった時点で、既にホテル側に問題があったと言うべきでしょう。裁判に負けたのに決定を無視することで、事態をさらに悪くしました。「みっともない」批判を受けるには、みっともない理由があったといえるのではないでしょうか。つまり、開催を拒否したこと自体が問題なのではなく、開催拒否の根拠の提示と説得に失敗したこと、その後始末に問題があったと考えられます。
 企業のマーケティングと経営判断双方に関係する興味深い事例となりました。

投稿: teo | 2008年2月21日 (木) 21時20分

>teoさん
 相変わらず、ホテルに背負わせる荷が相当重いですね(^^)。公的施設でもない民間のホテルにそこまでリゴリスティックな要求をなさるのか、残念ながら理解できませんでした。
 今回の議論の端緒は、teoさんが「二項対立」によって正しく認識できるという批判でした。そこで私はteoさんに、あえて経営者の立場にたって考えていただきました。しかし、teoさんのお答えがあまり現実ばなれしているように思えたので、私はあえて意地悪になって自分をホテル労組幹部であればどうするかについて挑発しました。そうすることで二項対立の視座は無化されました。
 その結果、teoさんの力点が、当初のマルクス史観モデルではなく、ホテルの遵法性へとシフトしたように映りました。
 法を研究している人の某ブログからの請け売りで恐縮ですが、法的にみれば、問題の核心はホテル側が「一旦締結した契約を(代金の払込みという履行の後になって)一方的に破棄して居直っていること」と「仮処分の抗告審の決定まで出たにもかかわらずそれに従わないこと」に収斂されます。たしかに、ホテルの行為には問題があります。それをあえて分かった上での判断だったというのが私の見方です。
 すなわち、ホテルは日教組に損害賠償金を支払うことによる損失と、日教組に会場を貸すことに伴う損失とを天秤にかけたことが容易に想像できます。それだけのことです。どちらの判断をするかはホテル次第でした。
 えーと、もしもteoさんが法的な視点だけではなく、やあはり本当は社会運動的な視点でこの問題を捉えてらっしゃるとすれば、批判のやり方によっては問題があります。つまり、「ああ、日教組なんかに関わるとロクなことはない」「労働組合?そんな団体には貸さないよ」という風潮がホテル業界全体に蔓延する恐れがあるということです。そうのような風潮を広げるのは戦術的に失策です。公的施設はもちろんのこと、民間のホテルも喜んで日教組に部屋を貸すような社会をいかにデザインするか。こういう視点も大切ではないでしょうか。
 この議論も、出口が見えないので、そろそろ終わりにしていただきたいと思います。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月22日 (金) 00時47分

唯我独尊に陥り、本来最優先にすべき問題である近隣住民や施設の使用者への配慮を念頭に置かない日教組は、もはや一般国民とは乖離しています。

日教組は自らの存在が右翼団体の行動を増長させるものであるという認識が欠如しています。
戦うなら無人島にでも行って誰にも迷惑をかけずにやって戴きたい。ホテルや近隣の人達がそれを肩代わりする必要などありません。

裁判所はあくまで法律に照らした判断をしたまでです。それが国民の理解を得たと勘違いしてはいけない。「表現の自由」が時として無関係の人間を巻き込む暴力と化すことは、長い歴史が証明しているではありませんか。

私は今回のホテルの判断は、紆余曲折はあったものの地域の安全を最優先したものであると評価しています。

投稿: bug | 2009年3月17日 (火) 11時08分

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