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2008年2月25日 (月)

日本海軍→富の鎖→わからない節

Azenbo_soeda軍歌として生まれたメロディが、風刺の歌に作り替えられた例ならありそうだが、革命歌に改作された例はどれくらいあるだろう。おととい、「日本海軍」という歌のメロデイが、「わからない節」という風刺歌として親しまれ、「富の鎖」という社会主義運動の歌になったことを知り、少なからず驚いた。

「日本海軍」 on 天翔艦隊ウェブサイト
「ああわからない」ソウル・フラワー・モノノケ・サミット - 試聴 on MUSICO
添田唖蝉坊 on Wikipedia

ことの発端は、iTunes Music Store ( iTMS ) で見つけた『デラシネ・チンドン/ソウル・フラワー・モノノケ・サミット』(3d system、2006)に収録されている「ああわからない」を聴いたことだ。この曲を聴いて、ハっとした。『決定盤!日本の労働歌ベスト がんばろう』(キング、2001)の1曲目「富の鎖(社会主義の歌)」とメロディが同じなのだ。「富の鎖」は一糸乱れぬ男声合唱だけど、ソウル・フラワー~の中川敬が歌う「ああわからない」はチンドン屋ふう。ソウル・フラワー~が革命歌をおちょくるハズもあるまい、と思って調べてみたら、添田啞蟬坊というオッサンが「日本海軍」をおちょくって「わからない節」を作っていたことが分かった。

「日本海軍」は詞・大和田建樹が、曲・小山作之助による軍歌で、明治時代の艦船名がすべて歌い込まれている労作である。日露戦争(明治37、1904)のすこし前に作られたものらしい。一番から五番までの歌詞は以下の通り。


四面海もて囲まれし/わが「敷島」の「秋津洲」
外なる敵を防ぐには /陸に砲台 海に艦
屍を浪に沈めても/引かぬ忠義の丈夫が
守る心の甲鉄艦/いかでたやすく破られん
名は様々に分かれても/建つる勲は「富士」の嶺の
雪に輝く「朝日」かげ/「扶桑」の空を照らすなり
君の御稜威の「厳島」 /「高千穂」「高雄」「高砂」と
仰ぐ心に比べては/「新高」山もなお低し
「大和」魂一筋に/国に心を「筑波」山
「千歳」に残す芳名は/「吉野」の花もよそならず

この調子で、20番まであり、とても長すぎて覚えられない。だが、明治の日本には、それくらいの艦船があったわけで、極東の軍事大国だったのですね。それに対し、添田啞蟬坊は日露戦争から2年後の1906年、「日本海軍」のメロディをそのままに、東京の下町で「わからない節」という風刺歌を歌い、当時の政府を皮肉ってみせた。

ああわからないわからない/今の浮世はわからない
文明開化というけれど/表面ばかりじゃわからない
瓦斯や電気は立派でも/蒸汽の力は便利でも
メッキ細工か天ぷらか/見かけ倒しの夏玉子
人は不景気々々々と/泣き言ばかり繰り返し
年が年中火の車/廻しているのがわからない
ああわからないわからない/義理も人情もわからない
私欲に眼(まなこ)がくらんだか/どいつもこいつもわからない
なんぼお金の世じゃとても/赤の他人はいうもさら
親類縁者の間でも/金と一と言聞く時は
忽ちエビスも鬼となり/くまたか眼をむき出して
喧嘩口論訴訟沙汰/これが開化か文明か
ああわからないわからない/乞食に捨児に発狂者
スリにマンビキカッパライ/強盗窃盗詐欺取財
私通姦通無理情死/同盟罷工や失業者
自殺や餓死凍え死/女房殺しや親殺し
夫殺しや主殺し/目も当てられぬ事故(こと)ばかり
無闇矢鱈に出来るのが/なぜに開化か文明か
ああわからないわからない/賢い人がなんぼでも
ある世の中に馬鹿者が/議員になるのがわからない
議員というのは名ばかりで/間抜けでふぬけで腰抜けで
いつもぼんやり椅子の番/唖かつんぼかわからない

お見事としか言いようがない。PICTEX BLOGさんは啞蟬坊を指して「彼こそが本当の日本のヒップホップ」と評しているが、まさに慧眼。どこかあっけらかんとした勇気ある皮肉が心地よい。(今日のマスメディアが使用を避けている「差別表現」をあえて掲載したのは、啞蟬坊の批判精神をありのまま伝えるためだということを理解いただきたい。むろんソウル・フラワーの中川は差別表現は使用していない)

わたしが啞蟬坊に興味をひかれたのは、ウィキペディアの中に「友人と始めた『二六新報』がうまくいかず、茅ヶ崎に引っ込む」という何気ない記述を発見したためだ。ほんまかいな?これはかなり疑わしい。「二六新報」といえば、『萬朝報』ともに日本のイエロー・ジャーナリズムの金字塔を打ち立てた新聞紙(秋山定輔の「露探」疑惑で消えていったのが惜しまれる)。二六社の立ち上げに啞蟬坊が関わっていた証拠はどこにあるのかな?

さらにわたしが目をむいたのは、啞蟬坊が「わからない節」を歌う(たぶん)前年に、高浜長記という人物が「日本海軍」の譜に革命の詩をのせて「富の鎖」(1905年)を作っていたこと。この曲は、矢沢保『自由と革命の歌ごえ』(新日本出版社)でもみっちり紹介されているそうだが(もちろん未読)、わたしが所蔵する『がんばろう!! 決定盤 日本の労働歌ベスト』(キング、2001)の1曲目に収録されていた。


富の鎖を解きすてて/自由の国に入るは今
正しき清き美しき/友よ手を取り立つは今
山をもい抜く大力に/天地もどよむ声あげて
歌へや広き愛の歌/進めや直き人の道
迷信深く地に入りて/拓くに難き茨道
毒言辛く襲ふ共/毒手苦しく責むる共
我が身は常に大道の/ソーシヤリズムに捧げつつ
励むは近き今日の業/望むは遠き世の光
砲よ剣よ何日までも/国と国とは攻めげども
我等は常に同胞の/四海友なる天の民
頼むは結ぶ手の力/翳すは高き義の心
富よ位よ地を占めて/よし今独り荒ぶるも
滴る汗に誠あり/打振る小手に命あり
行かで止まめや此の歩み/成さで止まめや此の叫び

当時のソーシャリストはしたたかで勇ましかった。軍歌のメロディに革命の歌詞を乗せて歌うことなど屁とも思わず、むしろ人々を高揚させる軍歌メロディの力を貪欲に引き出しているようで、アッパレという感じがする。

軍歌も革命歌も、こんにちでは遺物でしかない。しかし、添田啞蟬坊の残した「わからない節」がソウル・フラワー・ユニオンのチンドン屋メロディに乗り、わたしたちに伝わっていることに少し胸が熱くなる。(ちなみに啞蟬坊のエッセーは青空文庫でも読める。タイトルは「乞はない乞食」。入力者の渡邉つよし氏、校正者の門田裕志氏に心より感謝する。



2008年2月26日 追記
 某先輩に訊ねたところ、添田唖蝉坊はなんと『二六新報』に関わっていたということだ。「二六」ではどんな仕事をしていたのだろう。著書も多いし、さぞかし面白い書き手であったことだろう。

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コメント

私が添田啞蟬坊を初めて知ったのは、高田渡さんの歌でした。
中川くん達もおもしろい事をやってますねぇ。
ソールフラワー・ユニオン(もののけさみっと?)
そう言えば長らく聞いてませんでした。久々に聞いてみようかな。

投稿: かのう@mo_no | 2008年2月25日 (月) 23時11分

>かのう@mo_noさん
 さすが関西在住!よくご存じですね。中川くん、って、ひょっとしてお知り合いですか?
 ところで、高田渡さんのCDでオススメがあればぜひ教えてください。残念ながら、わたしは学生時代に意地を張ってこの手の歌をほとんど聞かなかったのです。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月25日 (月) 23時33分

高田渡さんの唄う「わからない節」は『汽車が田舎を通るそのとき』というアルバムに入ってます。
他にも、ぶらぶら節、あきらめ節、しらみの旅、などが啞蟬坊の詞だったと思いますよ。
20年くらい前に京都でDONZOKO HOUSEというLiveハウスを営んでおりました。
中川くんはその頃、ニューエストモデルと言うバンドで出てられましたよ。
その後、ソウルフラワーユニオンは別のバンドと合体してできたのだったかな。
最近の様子は存じ上げませんが今や有名人さんですね。

投稿: かのう@mo_no | 2008年2月26日 (火) 20時45分

>かのう@mo_noさん
 20年ほど前にDONZOKO HOUSEですか!へえ~&なるほど。
 高田渡さんの『汽車が田舎を通るそのとき』、どこかで手に入れます。
 ありがとうございます。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年2月26日 (火) 22時12分

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