一人称と三人称
山口県光市の母子殺害事件の判決で、マスメディアから最も注目されたのは、被害者遺族の男性のであったように思われる。男性は事件発生から数え切れないくらいマスメディアから取材を求められ、被害者の立場から死刑を求め続けた。九年間にわたる長くつらい闘いのすえ、ついに望みがかない「正義」が実現されたという一人称の物語に注目が集まった。「冷静な態度」「立派さに感服した」などと書かれたブログも多数ある。だが、「永山基準」を踏み越えることの是非や、ほどなくはじまる裁判員制度との関わりなど、「社会」が後景にかすんだような印象を抱いたのはわたしだけだろうか。
本村洋さんの立派な態度に感服 (ツカサネット新聞 2008年04月21日10時23分配信)
本村洋さんに感謝しよう (ツカサネット新聞 2004月26日10時15分配信)
以下が少年を中心にした事実関係
1999年4月、当時18歳の少年が当時23歳の母親と生後11ヶ月の女児を殺害した。
1999年6月、少年は家庭裁判所から検察庁に送致され、山口地裁に起訴された。
1999年12月、少年は検察から死刑を求刑された。
2000年3月、少年は山口地裁から「不十分ながら反省の情が芽生えている」「更生の可能性がないわけではない」として、無期懲役の判決を下された。検察側は控訴。
2002年3月、高裁が控訴棄却。検察側は最高裁に上告。
2006年6月、最高裁が高裁判決を破棄し、審理を差し戻し。
2007年5月、差し戻し審開始。弁護側は少年の生育環境がいかに劣悪で悲惨なものであったか強調。犯行当時の精神が未成熟だったという鑑定人の証言を証拠申請。少年は一、二審では「受け入れてもらえなかった」殺意を否定。
2007年10月、少年は検察から死刑を求刑された。
2008年4月、少年は高裁から死刑判決を下された。
以下は遺族男性の視点に立った事実経過
1999年4月、男性は愛妻と生まれて間もない愛娘を惨殺された。男性は不幸のどん底にたたき落とされた。日本における犯罪被害者の権利意識も低い中、男性は被害者の権利を求めた。
1999年12月、男性の主張通り、検察が犯人に死刑を求刑した。
2000年3月、しかし、判決は無期懲役だった。納得がいかなかった。
2002年3月、検察の控訴が棄却され、上告した。
2006年6月、最高裁が高裁判決を破棄し、審理を差し戻し。
2007年5月、差し戻し審が始まった。男性は一貫して、犯人が命で罪を償うべきであると主張しつづけたたのに対し、弁護側は犯行当時の犯人の精神が未成熟だったなどの主張を展開。犯人までもが一、二審から一転して殺意を否定するという事態に。
2007年9月、男性が公判で意見陳述し、改めて極刑を求めた。
2007年10月、男性の主張通り、検察が犯人に死刑を求刑。
2008年4月、最高裁が犯人に死刑判決を下した。男性の望みがかない、「正義」が実現された。
あまり関係がないようなモノサシだが、小説を大別すると一人称小説と三人称小説に分けられる。一人称小説とは、主人公の視点によってつづられる物語で、読み手と主人公が一体化しやすい。主人公の内面が説明されるため、かんたんに感情移できる。ただし主人公を除く登場人物の内面はわからないので、発言や振る舞いから想像するしかない。これに対し、三人称小説は「神の視点」で描かれるもので、内面描写よりも登場人物の行動や発した言葉によって描写される。乱暴にいえば、だれに感情移入するかは読み手次第となる。そして今回の事件は、最終局面になって多くのマスメディアのなかで、遺族男性という一人称の視点に寄り添うようなナラティブ化が行われたような気がする。
かねがね、人が事象や現象を把握する際に、物語の力が大きく影響しているように思ってきた。光市の事件のほかにも、善玉と悪玉の対決や、悲劇のヒロイン、英雄譚やアンチヒーロー、復讐譚、今太閤の立身出世など。こうした物語の構図が個別の事象にぴたっとあてはまったとき、わたしたちは異様に注目し、物語の完成を強力にもとめてしまいがちではないか。そのとき、物語と現実とが微妙にズレていたとしても、わたしたちは物語に引きずられやすい。物語の設定そのものに疑義を挟むことが(KYなどと指さされたりして)許されなくなる。ひとつの物語による多数者の同質化よりも、いくつもの個々の物語が社会化し、討議や熟議を生むためのステップを真剣に考えなければならない。そのとき、マスメディアに何か積極的なことができるだろうか。
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コメント
退部者です。先日はご馳走さまでした!
ところで、昨秋の「論座」を見ていたら、偉いおじさんたちの文章の中に必ずといっていいほど「KY」という言葉が入っていました。同じ物語を完成させないようにお気をつけくださいw
投稿: 養分@5年計画 | 2008年5月 3日 (土) 19時23分