ひとつの典型的な批判
典型的なエッセーである。この筆者と同じような不満を持つ知的な人は少なくないのだろう。ひょっとすると、こういう人たちは熟議の民主政にも共鳴するかもしれない。でも、もしリップマンが生きていたら何と言うだろう。たしかに、インターネットにさまざまなコミュニティができ、人々が時と場所を越えてつながりあい、伝統メディアの“抑圧性”を批判したり、代替メディアを作ることも容易になったが・・・
私たちは「徳」を語ることに慣れていない。それはかつての軍国教育を想起させるためかもしれない。為政者が多数の被治者やマイノリティに強要した「徳」は、不可逆なマス・ヒステリーを呼び起こした。それを積極的に促したのは、当時の伝統メディアであったことは言うまでもない。そして被治者の多くもそれを喜んで受容した。そこで語られた「徳」は、熟議や討議を経ないでたた押しつけられるものだった。
古い「徳」が蘇らないよう、わたしたちは手続き的な民主政を甘受してきたように思う。そして、それがあまりにも長く続き、わたしたちはそれに慣れきってしまった。だから、いま、伝統メディアの顧客=消費者に Civic Virtue (公民的徳性)を期待する覚悟を持ちえないというジレンマに陥っているのではないか。そんな堂々めぐりをしているうちに、民主主義を悩ます問題群は、民主的に解決できない--というリップマンのペシミスティックな言説が現実味をもって立ち現れてくるのだ。
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