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2008年5月 5日 (月)

『ヘアスプレー』で描かれた「ニグロ・ディ」

Hairspray_flash2_ジョン・トラボルタがお母さん役にチャレンジして話題を呼んだ『ヘアスプレー』を観た。ボルチモアに暮らす天然系の16歳少女がひょんなことからTVのダンス 番組に出演し、陽気に踊って人気者になるというコメディ。ちょっと当惑したのは、字幕で「ブラック・デイ」と訳されていたのに、よく聴くと役者たちはきちんと「ニグロ・デイ(Negro Day)」と言っていた。なんでやねん。

アダム・シャンクマン監督 『ヘアスプレー』 (原題:Hairspray , 米, 2007)

この映画は、ジョン・ウォーターズが脚本を書き1988年に監督した作品のリメイクだったことをあとで知った。ウォーターズ映画作品がきっかけとなりブロードウェイで上演され、トニー賞を受賞していた。映画の舞台となったボルチモアの人なら「ああ、あれか」という誰もが知っている作品なのだろう。日本では女装トラボルタばかりが話題になっていたように思う。だが、60年代の黒人たちが置かれていた状況を知るのに絶好の作品であるようにも思う。

主人公のトレーシー(ニッキー・ブロンスキー)が出演した番組「コーニー・コリンズ・ショー」はダンス番組でふだんは白人だけが出演しており、月に一度だけ「ニグロ・デイ」が設けられていた。黒人の少年少女が出演できるのは月に一度だけ。もちろん、クラスも住居も黒人と白人はきれいに分け隔てられていて、トレーシーたちが黒人街に遊びに行くあたりの登場人物たちのセリフはじつに興味深かった。

Wallpaper_nb_smallウォーターズ作品は、差別の過酷さをもっと過激に描いていたらしいが、この作品でもハチャメチャ感もつよく、とてもいい作品だと思う。主人公トレーシーが「世のなか新しくなっていくのよ」とトラボルタの母とクリストファー・ウォーケンの父に天真爛漫に語って聞かせたり、なんの違和感もなく黒人デモ行進に参加したりすることが、60年代という時代のなかでどういう意味を持つのかを考えるのは面白い。ブラック・デーよりもやっぱり「ニグロ・ディ」のほうがいいですよ。たんなる言い換えは、差別を隠蔽するだけ。言わずもがなですがな。

個人的な感想をいえば、ニッキー・ブロンスキーが跳んだり跳ねたりした60年代がおわった後、70年代にはクリストファー・ウォーケンがベトナム戦争後のサイゴンでロシアン・ルーレットに興じ、80年代にはトラボルタが土曜の夜だけのダンス・ヒーローになったはずなので、『ヘアスプレー』の後は『ディアハンター』と『サタデーナイトフィーバー』を観るべきだと思った。もう一点は、ラップの女王クイーン・ラティファ ( Queen Latifah ) がカッコよかった。彼女はタクシーが暴走する映画にも出ていたんだよね。

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コメント

ジョン・ウォーターズ脚本だったのですか、今度見てみよう。
トラボルタの女装ばかりが宣伝されてて気づきませんでしたよ。
ジョン・ウォーターズの映画でクライ・ベイビーも同時代設定の
ミュージカル仕立てなのですが、ガラス張りでペットショップの
ように孤児を選べる孤児院がでてきたりとかなり辛辣ですよ。

投稿: かのう@mo_no | 2008年5月 5日 (月) 21時44分

>かのうさん
 ウォーターズはあくまでもオリジナル脚本です。ウォーターズ作品は1988年版で、わたしが観た2007年版の脚本はレスリー・ディクソンという人によるものです。ややこしい書き方ですみません。
 ところで、ウォーターズの『クライ・ベイビー』はまだ観てないです。辛辣さやエグさは時代の空気を映してますね。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年5月 6日 (火) 00時20分

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