ふりだしのロールズ (備忘録)
秋葉原の通り魔事件が、格差に関する議論に弾みをつけている。容疑者が携帯サイトの日記に「勝ち組はみんな死んでしまえ」などの文章を残していたことがマスメディアで広く伝えられたためだ。ただし、日記を見てみると、経済格差やその原因のひとつである学歴差別の問題よりも、むしろ容姿や恋愛をめぐる“負け組”意識(内的な格差感覚?)のほうが深刻に思える。そして、そうした格差感覚に対し、ロールズの正義原理はうまく適用できない。ただし、せっかくなのでこの際、ロールズが最初に提示した原理を備忘録としてメモしておきたい。ロールズはすごろくでいうと「ふりだしに戻る」的な存在だ。
ロールズ,J (1979) 『正義論』 矢島鈞次(訳)、原題 ”A Theory of Justice”、紀伊国屋書店
キムリッカ, W (2005) 「第3章 リベラルな平等」 、『新版 現代政治理論』 岡崎晴輝ほか(訳)、原題 ” Contemporary Political Philosophy”、日本経済評論社
さても自由と平等の共存は厄介だ。
政府が人々の箸の上げ下ろしまで統制するような社会ならある種の「平等」を保ちうるかもしれない。しかし、自由を前提とする社会では人々の選好preferenceの差異から、経済的・社会的な格差が生じる。自由な社会は格差の存在を前提としてはいるが、そうしたリベラリズム自体が、近代の申し子である平等主義egalitalianismという思想があってこそ発展したものであり(キムリッカの前掲書によると現代政治哲学はegalitalian plateau上にある)、“勝ち組”が“負け組”の自由や機会を侵害することは許されない。そこに一定の原理が必要となる。かつては全体の効用utilityが高いような状態が構築できればいいじゃないか、というような風潮が強かったところへ、ロールズは正義justiceや公正fairnessを基礎にして一本筋を通そうとした。
ロールズが提示した原理は、幅をきかせていた功利主義utilitarianismや直観主義への異議申し立てのようなものだと解される。全体の効用を高めることを優先するのではなく、ロールズは最も恵まれない人々の利益になるような正義justiceをもとにした社会の基本構造を提起した(ロールズはのちに単なる正義ではなく「公正さ」fairnessへとシフトしていくが、ぼくは門外漢なので省略)。キムリッカ本82頁によると、正義の原理は以下の通り。
第一原理 --各人は、すべての人々にとっての同様な自由の体系と両立しうる最大限の基本的自由への平等な権利を持たなければならない。第二原理 --社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすように配置されなければならない。
(a) 最も恵まれない人々の最大限の利益となるように、そして、(格差原理)
(b) 公正な機会の均等という条件の下ですべての人に開かれている職務や地位にのみともなうように。(機会均等原理)
第一の優先順位の規則(自由の優先)--正義の諸原理は、辞書的順位(lexical priority)において配列されなければならない。それゆえ、自由は自由のためにしか制限することはできない。
第二の優先順位の規則(効率性や福祉に対する正義の優先)--正義の第二原理は、効率性の原理や、利益の総和の最大化という原理よりも辞書的に優先する。そして公正な機会均等は、格差原理に優先する。(Rawls 1971: 302-3)
第一原理は、他人の自由を侵害するような自由を認めないぞ、というもの。これをまずレキシカルに配置し、第二原理で不平等をアレンジを検討する。(a) は恵まれない人々にも100ドル、恵まれている人々にも100ドル与えるというバカ平等ではなく、恵まれない人々の利益になるようあえて不平等な配分をしましょうということだ(格差原理)。だが、ロールズは格差原理よりも、(b) の機会均等原理を優先させている。(この第二原理が議論を呼んだのだが門外漢なので省略)。
1999年版には以下のように記されているようだ。
First Principle -- Each person is to have an equal right to the most extensive total system of equal basic liberties compatible with a similar system of liberty for all.
Second Principle -- Social and economic inequalities are to be arranged so that they are both:
(a) to the greatest benefit of the least advantaged, and
(b) attached to offices and positions open to all under conditions of fair equality of opportunity.
First Priority Rule (The Priority of Liberty) -- The principles of justice are to be ranked in lexical order and therefore liberty can be restricted only for the sake of liberty. [...]
Second Priority Rule (The Priority of Justice over Efficiency and Welfare) -- The second principle of justice is lexically prior to the principle of efficiency and to that of maximizing the sum of advantages; and fair opportunity is prior to the difference principle. [...]
John Rawls, A Theory of Justice revised edition, Belknap Harvard, 1999, p. 266
ただ、ロールズの原理は、富の再分配をめぐる経済的格差や職務や地位といった社会的な格差を是正する際の指針になったとしても、容姿や恋愛といった心理問題を背景にした格差?にはさすがに立ち入らない。そもそも、思想が人々の内面に操作的介入をすることはできないし、してはならない。それができるのは道徳や宗教のようなもの…しいていえば倫理だろう。
ただ、少し関係がありそうだと思うのは、ロールズがこうした原理を確立していく過程で、原初状態original positionと無知のヴェールthe veil of ignoranceという概念を用いたことだ。じぶんがどんな社会階層の、どんな家庭に生まれるか分からないという前提で(いわば胎児のような状態で)、その社会のルールはどうあるべきかを、ロールズは考えた。それは立場の可換性を示す机上の思考実験に過ぎない。だが、人間、生まれる時と場所は選べないだけに、なーるほどと思わせられる。これって圧倒的な運だから。
「不平不満ばかり言うな。キミが“負け組”なのは、努力や能力が足りないからだよ」と自己責任論をぶつ人のなかには、乳母日傘で幸せに育ったおかげで高い地位と収入を得ている人もいるし、そのことに罪悪感めいた感情を持つ人もいる。だから、「そういうアンタは運が良かっただけじゃん」と言われたくないばかりに、すべて自分の努力のだと認めさせたい。そのときに効力を発揮するのが、現状の肯定と自己責任論なのだ。だから、人によっては“負け組バッシング”は卑劣な代償行為にしか見えないんだよね。
ちなみに、赤木智弘さんが「ひっぱたき」たいと思った丸山眞男は、陸軍二等兵時代にビンタされまくっていたようですが、ロールズもプリンストン大を出た後、下級の一兵卒でした。ウィキペディアによると、「アメリカ陸軍に入隊。第二次世界大戦中は歩兵(infantryman)としてギニア、フィリピン、日本などを訪れて、広島の原爆投下の惨状を目の当たりにする。この経験から士官への昇任を辞退し、1946年に兵卒として陸軍を除隊する」とあります。ビンタされてたかどうか知りませんが、被爆直後の広島に入っていたとすれば、放射線被爆していた可能性も高いですね。
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