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2008年7月12日 (土)

政治映画としての『赤線地帯』

Akasen_poster溝口健二監督の遺作『赤線地帯』はみごとな政治映画だと思った。若尾文子、京マチ子、木暮実千代など豪華スターが共演しているというだけの理由で手に取ったDVDだが、よく見ると作品公開は売春防止法公布と同じ1956年。当時の国民的課題と同時進行で企画・制作されていたのだ。この作品が人々の熟議(討議)deliberationにどれほど影響を与えたのか知らないが、貧困にある人が生きることと〈政治〉を考えるうえで意義深い作品である。

溝口健二監督 『赤線地帯』 (英題:Street of Shame、1956、大映)

売春問題についてあまり知識がないので深入りしたくはないが、日本における売春の歴史は古いことは確かだ。政治権力が管理をしていた売春制度(公娼制度)は、鎌倉時代の『吾妻鏡』に登場する「遊君別当(ゆうくんべつとう)」という職名や、室町幕府が「傾城局」という部署を作って税金を徴収した記録があることが「平凡社世界大百科」で説明されている。当たり前の職業として公娼があり、浄瑠璃や古典落語でも必ずしも否定的なコンテキストで語られているわけではない。

Akasen001売春を否定し、関係者に苛烈な烙印stigmaを押しつけたのがキリスト教文化を背景にした婦人矯風会や救世軍の廃娼運動と言われる。明治政府は「娼妓解放令」を出したものの、「自由廃業で廓は出たが(…)行き場がないので屑拾い」という風刺歌「東雲節」が流行したように、性差別ゆえに女性が働ける場所がきわめて少なかったことも事実であった。この作品の中で郭「夢の里」の経営者(進藤英太郎)が「政府が届かない部分を私が社会事業して救済しているんだ」などと力説し、公娼たちに向かって「おまえらの本当の味方は俺たちだ」というセリフを何度か語っている。女将(沢村貞子)も「本当にいらない商売が、300年も続くもんですかね」と語り、売防法に対する当惑と怒りを吐露する。

Akasen002こうした発言は今日ではとうてい通用するものではないが、公娼制度に賛成/反対という新聞論説やラジオのニュースで語られる〈大きな政治〉からはうかがい知れない〈小さな政治〉のフロントラインが郭という場所にあり、切れば血の出る生身の人間たちがキレイごと抜きで生きようとしている。そんな“弱者”たちを前景化し、ダイコトミーに陥りがちな〈大きな政治〉を照射した点に、この作品の力を感じてしまう。(まあ、頭でっかちなことをツラツラ書きながらも、「若尾文子と京マチ子はキレイやなあ」という気持ちでいっぱいなのですが)

溝口作品は、『雪夫人絵図』(原作:舟橋聖一、1950)と『山椒大夫』(原作:森鴎外、1954)をくらいしか観ていないのでエラそうなことは言えないが、映像がすばらしく美しい。黒沢の『赤ひげ』や『生きる』などの素朴なヒューマニズムや、小津の情緒あふれる温かい作風に比べると、溝口は題材も表現も冷たく厳しい。そこに魅力があるのだけど、個人的に友達になれそうにないような気がする。

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