新聞社と犯罪者~ボニ・クラの場合
アメリカン・ニューシネマと呼ばれる一群の映画がある。(日本でそう呼ばれているだけで、欧米ではそのようなジャンルはないけれど)その代表作とされるウォーレン・ビーティの『俺たちに明日はない』をあらためて見た。2008年現在、この映画を単体で評価するのは難しいが、いろんな人に影響を与えた作品であることはよく分かる。同じアメリカン・ニューシネマに類型化される『明日に向かって打て』はもちろん、ストーンとタランティーノによる『ナチュラル・ボーン・キラーズ』にもビーティの影響が色濃く出ている。
ウォーレン・ビーティ製作、アーサー・ペン監督『俺たちに明日はない』(原題:"Bonnie and Clyde"、米、1967)
『俺たちに明日はない』は実在の人物による劇場型犯罪をもとに作られた作品。主人公クライド(ウォーレン・ビーティー)とボニー(フェイ・ダナウェイ)を一躍有名にしたのは、当時最も影響力があったマスメディア=新聞紙だった。1930年代の中西部を車で移動しながら犯行を重ねたクライドたちは、自らの犯行伝える写真などをたびたび新聞社に送った。大恐慌のさなか、閉塞感に包まれていた人々は、新聞紙が伝える破天荒でワイルドな若い男女を英雄視したことは想像に難くない。
いまも、"Bonnie and Clyde" と "newspaper" でウェブ検索すると、当時の新聞紙がいくつも売りに出されていることが分かる。たとえば、ニューヨークタイムス・ストア
http://www.nytstore.com/ProdDetail.aspx?prodId=9461
には Original & Historic > Vintage Newspapers > Rare のなかに、カンザス州の "The Topeka State Journal" の「Bonnie and Clyde Newspaper, 1934」が、305ドルで売りに出されている。eBay では数ドルで買える古い新聞紙がいくつも紹介されている。伝説の2人に対する人気は70年を経たいまも健在ということなのだろう。ペットにボニーとクライドなんて名前を付けている人もいるのではないか。
私はまったくの門外漢だが、メディアと犯罪の相関/因果関係をめぐる問題は古くて新しいテーマだろう。1994年の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』では、若い2人の犯人(ミッキーとマロリー)たちはテレビを使って自らをヒーローとして宣伝し、テレビが“共犯関係”と半ば非難されていたように思う。社会心理系の効果研究で蓄積があるアメリカには先行研究がたくさんありそうだな。
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コメント
メディアって結局、意思を持たない媒体だということでOKならむしろすっきりします。
意思(のように見える何か)さえ持たなければ利用する側の自在勝手な世界でもあるし・・。犯罪とメディアの相関関係も、事実としての分析対象とはなっても、事の是非や期待値の議論や意見の対立とは無縁になります。
が、そうはいかないのですね。悩ましいところでもあるし、ちょっと肩に力が入るところでもあります。永遠の課題でしょうね。
投稿: schmidt | 2008年8月14日 (木) 12時35分
永遠の課題・・・たしかに。
グリコ森永事件のとき、「かい人21面相」からの犯行声明が掲載された新聞紙と、掲載されない新聞紙とでは、駅での売れ行きに格段の差が出たでしょうね。あのときは、誰もが興奮していました。
投稿: 畑仲哲雄 | 2008年8月14日 (木) 13時54分
この映画は高校生の頃だったかな、堂島の毎日ホールで見ました。
ふたりの行動にハラハラしたり応援したりして見てましたが、最後の倒れるシーンのストップモーションに、なぜだかちょっとホットしたように思います。もう逃げなくてもいいんだねぇ・・・みたいな。
この映画では犯罪者自らが演出してマスコミを乗せていったようなところもありますし、時代的に世間もふたりの犯罪を応援?しているような所もありましたよね。
日本の犯罪報道はオームもそうだし、三浦事件もそうだったけど、なにか大きな妄想をかきたてられるような怖さを感じる時があります。
虚像なのか真実なのか?見分けがつきにくい報道はあれやこれやと興味で心躍らされますが(苦笑)ほんと怖いですよ。
投稿: かのう@mo_no | 2008年8月14日 (木) 15時26分
>かのう@mo_noさん
オウム事件、ロス疑惑・・・・
マスメディアの経済合理性+当事者たちの自己顕示+大衆の過剰な想像力。この3者は共犯関係かもしれませんね。
それにしても、堂島の毎日ホールとは懐かしい!
最近、ある人のブログでこんなん紹介されてまたけど、知ったはりました?
http://jp.youtube.com/watch?v=xnq0PLldu1s
投稿: 畑仲哲雄 | 2008年8月14日 (木) 17時54分