『カルラのリスト』における正義
この種のドキュメンタリー作品を、『崖の上のポニョ』や『ダークナイト』などと同列に並べて、100点満点で40点とか50点とか断じるのは筋違いである。この作品は、旧ユーゴ紛争で大量虐殺をして逃げ延びている大物戦犯を追いかける検察官(Carla Del Ponte)の過酷で苛立たしい日常を軸にした政治映画だからだ。娯楽作品のように、ストーリーや映像美、カメラワークや音響・照明技術などをもとに数値化するのは、むろん自由だが、どうせなら公共的な討議空間にじぶんの意見をほうりこんみてはどうだろう(ほな、アンタがやれよ、と言われるやろな)。
マルセル・シュプバッハ監督 『カルラのリスト』 (原題:"La Liste De Carla"、英題:"Carla's List"、2006、スイス)
この映画はいろんな意味でむつかしい。ひとつには、この映画を見るには複雑な旧ユーゴ紛争についての知識が一定程度必要である。映画の中で採り上げられているのは、紛争全体のなかの「スレブレニツァの虐殺」という事件。映画を見ていると、基礎的な知識が身に付くというものは決してない。映画を見ることが、バルカン半島の問題を学ぶきっかけとなるかもしれないが、EU圏内に暮らしていない者にとってハードルが高い。
難しさのふたつめは、戦争犯罪を追及することの困難さ。カルラは旧ユーゴ国際刑事法廷(ICTY)の検事長として「逃亡戦犯」を探し出し、法廷に引き渡すよう求めるのだが、みずから捜査員を指揮しているわけではない。映画の中でたびたび「圧力をかける」と述べているとおり、各国政府に働きかける外交活動をしているにすぎない。むろん、主権国家を超えた権原を有しているわけではない。
もう一点、難しさを挙げるとすれば、カルラが採った戦略は、訪問先の国における記者会見で「この国が協力してくれないことに失望しています!」などと、きわめて直裁的な表現で国際世論を喚起することだが、そんな流れの中でこの映画も作られた(つまりプロパガンダ)ということを、映画作家自身が自己言及していないことも、見るものに落ち着きの悪さを覚えさせる。ユーゴ情勢に詳しい人であれば、そんな説明抜きで見られるとは思うが、EU圏の外にいる人には、カルラと監督との間にどのような緊張関係があるのかどうか分からない。
そうした難点をいくつか指摘した後に、わたしの率直な感想を申せば、この映画の中でたびたび言及されている「正義」概念がひっかかった。
カルラたちがいう「正義」は「戦犯」の行為を白日の下にさらすこと。だが、その「正義」はかなり狭義のものではないだろうか。検察官の責務は犯罪を捜査し、訴追し、有罪を立証することだが、それだけが正義だとは思えない。被害者のムスリムたちにとって、憎っくき存在は戦争を指揮した大物だけではなく、ついこの間まで近くに暮らしていた“隣人”たちであり、そうした人々をも戦争に動員された「被害者」とするのか、あるいは「加害者」とするのか、という難問も底流にある(映画の中で監督が、戦争で夫や息子を失った母親たちのグループのメンバーの「罪をたった2人(カラジッチとムラジッチ)に負わせるなんて」というセリフが挿入されている)。
また、カルラたちのいう狭義の「正義」が仮におこなわれたとしても、「遺骨を返して欲しい」「真実を知りたい」と願う犠牲者たちが「救済」されるわけではない。正義というものを広義に捉えなおす視点はもちろんのこと、「正義」とは別なる価値が必要になる。わたしなどは単純だからEUという共同体内の「共通善」を考えてしまう。旧紛争関係国にしてみれば「戦犯」をかくまうことが国益につながることもだってあるだろう。主権を超えて圧力をかけることへの反発が生じる可能性だってある。問題はEUという共同体の内の人々の無関心がカルラたちの捜査を困難にしている点だ。そうした無関心はEUにおける「善の構想」を侵害する。
この映画から教訓を得られるとすれば、戦争そのものが困難あるのと同じく、戦後を生きることこともそうとうに困難であるということだ。
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