振り返れば『スティング』
『スティング』の舞台は1936年のシカゴ。政治の中心・東海岸からずいぶん西に位置する商工業都市。大阪みたいな土地だろうか(大阪市とシカゴ市は姉妹都市)。1929年の大恐慌を経て、33年にローズベルトが大統領に就任し、ニューディール政策を進める。市場の限界や失敗を国家が超えていこうとする。同じころ、同じく不況に苦しむドイツではナチが政権を取りユダヤ人迫害を始め、日本は国際連盟を脱退し中国侵略へと傾斜しつつあった。1937年には廬溝橋事件、日独伊防共協定成立、南京事件……へと雪崩を打つ。
米国でも貧しい人々の暮らしぶりはよくならない。ギャングは勢力を拡げ、警官汚職もはびこり、アノミーといえば大げさかもしれないが、一種の社会不安といえる状況だ。「俺たちに明日はない」のボニーとクライドが34年にルイジアナで射殺されたが、2人がヒーローになったのは納得できる。そんな時代、仲間うちで尊敬されていた黒人の詐欺師がNYの大物ギャングに殺害される。詐欺師たちはシカゴでギャングの親分と対決する。武力ではなく、騙しの知力を武器に。
ロイ・ヒルがそんな映画を作った1970年代初頭のアメリカは、いったいどんな時代だったのかといえば、やはり不安な時代であった。インフレ対策のドルのフロート策や、減税と物価・賃金統制が失敗し、経済はスタグフレーションから抜け出せず、73年にはオイル・ショックによる物価高騰の波を受ける。戦争に敗れた米軍がベトナムから撤退し、政治腐敗の象徴・ウォーターゲート裁判が始まり、副大統領も汚職で逮捕されていた。輝ける時代は終わり、自信喪失の時代にあったといえる。詐欺師たちが自分たちの大切にしている価値を自分たちの流儀で守り、公権力や闇権力に頼ることなく自主独立の精神で軽やかに生きる姿は、暗い時代を勇気づけたはず。アメリカン・ニューシネマではなく、郷愁系ど真ん中のアメリカ映画(すこし癒し系)。
牽強付会が過ぎることを承知の上だけど、I先生がいう秩序構成原理としての (1)市場、(2) 国家、(3) 共同体のうち、市場が疲弊し、国家も役に立たないとなると、共同体への期待が高まるのは当然で、詐欺師集団とをひとつの共同体に見立ててみれば(コミュニティと違ってアソシエーションというべきだけど)、この映画を政治哲学的に読み解くことも可能ではないか、と思ったりもしたけど、でもまあ、そんなことを考えていては、この娯楽映画は楽しめないわけで……
この映画、2人の主役の信頼関係が太い軸になっているのだが、信頼を「リスクの前払い」というルーマン先生の教えを信じれば、主役2人は互いにたくさんのリスクを前払いし合っている。リスクの気前よい払いっぷりから察するに、「信頼」以上の、、、、「愛」にも映る。
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コメント
好きな映画を一本だけ選べと言われたら、わたしは迷わず「スティング」です。男の数に比べて、登場する女が際立って少ない(ほぼ二人しかいない)ところに特徴があると思っています。その二人は、いわゆる「男前な女」だったりもします。
投稿: brary | 2008年8月25日 (月) 20時16分
>braryさん
なるほど、「男前な女」といいう表現に納得。
監督はこの映画から、悪しきステレオタイプからにじみ出る「女性性」を排除したわけですね。
投稿: 畑仲哲雄 | 2008年8月25日 (月) 21時48分