イデオロギーあれこれ(備忘録)
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学外で人と議論していて、話題がじぶんの研究領域に及ぶと、意識しないうちに専門語を使ってしまうことがたまにある。いや、よくあるらしい。「ワケのわからない言葉を使うな!」と叱ってくれる人もいるが、たいていの場合は嫌な思いをさせているはずだ。なんて嫌な人間なのだろう。社会人大学院生になる前のわたしが、好人物であったとは思えないので、〈嫌な人間〉の度合いは上昇しているに違いない。わたしが大嫌いな老害評論家はラジオ番組で民主党の政治家たちを「大学院の学生みたいなもんで、中途半端!」とこき下ろしていたが、そんな中途半端な大学院生が、学外で得意になって学術語を振りかざすという図は、どこから見てもみっともない。
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他人様のレジュメを拝見したとき、もっとも違和感を覚えるのが記号である。さりげなく中高の数学や論理学の記号が正確に使われていて、あとで調べて「そうか、こうやって使うのか」と教えられることがたびたびある。しかし、わたし自身が、「◎」や「▼」や「■」や「ココ→」「…」「!?」などを好き勝手に(かなり気分で)使っているので、わたしのレジュメを見た人たちは内心「やめてくれよ~」と思っているはずだ。せっかくなので、ちょっと整理しておきたい。
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ようやく『ボルベール<帰郷>』を観て、アルモドバル監督の「女性賛歌三部作」を観賞し終えた。エンターテインメントとしては一級品だし、ジェンダーとセックスを考えるうえで示唆に富む。ただ、「女性賛歌」と言ってしまうと、それだけで敬遠する人もいるだろう。マッチョ野郎にも楽しめるはず。非対称な男女関係をことさら強調したり転倒させたり、といった荒技は見ものです。
ペドロ・アルモドバル監督・製作 『オール・アバウト・マイ・マザー』 (英題: ”All About My Mother”, 原題: “Todo Sobre Mi Madre”, スペイン, 1999)
ペドロ・アルモドバル監督・脚本 『トーク・トゥ・ハー』 (英題: ”Talk to Her”, 原題: “Hable con Ella”, スペイン, 2002)
ペドロ・アルモドバル監督・脚本 『ボルベール<帰郷>』 (英題: ” Volver”, 原題: “Volver”, スペイン, 2006)
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訪問先の土地々々で、いろんなホテルに泊まる。最近はインターネットのLAN環境が完備されたホテルが増えてうれしい限りなのだが、風呂に関してはいつも不満が残る(熱いお湯を張って浸かろうという気が起こらない。便器つめているとゲンナリする)。ネット環境を重視するか、体の疲れを取ることを重視するか。今回は後者にした。
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元公安委員長の白川勝彦さんが職務質問に遭った顛末をウェブサイトで紹介している。ひとつは2004年11月のできごとを記した「忍び寄る警察国家の影」、もうひとつは2006年12月22日に掲載された「またまた職務質問に!」である。いずれのケースも東京・渋谷警察署の地域課職員による圧迫的な内容。2度目のケースで白川氏が職質の理由をただしたところ、警官の1人は「これでけっこう犯罪が見つかるんですよ」と自信たっぷりに答えたという。このところ、わたしのブログが「職質」で検索されることも多い。とりわけ秋葉原事件以降、アキバをはじめ新宿、渋谷など各地で強引で悪質な職質が横行しているようだ。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると言わんばかりの手当たり次第の職質は、市民的自由の侵害にほかならない。真面目な警察官もいると信じたいが、法知識のない若者やヲタク男性をいじめてストレスを発散させている不届き者もいることは、YouTubeにアップロードされた動画などから想像できる。
リベラリスト 白川勝彦の 「永田町徒然草 またまた職務質問に!」
渋谷ドキュメンタリー24時(19) ~ 逮捕から職質まで ~ on YouTube
職務質問@秋葉原中央通り 02 on YouTube
職務質問競技会(2007/09/04放送) on YouTube
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リベラル・デモクラシーやら、デリベラティブ・デモクラシーに関する文献を読み返し、『論座』で川出良枝先生が書かれた「砂のように孤立化していく個人をどう救うか/デモクラシーと集団を考える」などを味わっていたところへ、福田首相が退陣会見で記者の質問に逆切れする場面を見せつけられ、ゲンナリした。「わたしは自分自身を客観的に見ることはできる。あなたとは違う」という最後の言葉は、質問した記者だけではなく、福田のこれまでの言動について「他人事のように聞こえる」という印象を抱いている国民に対して浴びせかけられたと思う。
田村哲樹 (2008) 『熟議の理由-民主主義の政治理論』 勁草書房
川出良枝 (2008) 「砂のように孤立化していく個人をどう救うか」『論座』10月,通巻161、pp.20-26
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