オリンピックより阪神タイガース
鼎談のなかで柄谷さんは「資本主義市場、ネーション、ステートの三つがボロメオの環のようなものとしてある」(p.29)と話しているが、これって、どこかで聞いたことがあるぞ。そう。壁際法科大学院で法哲学を講じるI先生の「国家、市場、共同体のトゥリアーデ」論とまんま一緒なのだ。ベルリンの壁が崩れて以降の「秩序」を考えるとき――つまり資本主義を前提とした世界を構想するとき――国家、市場、共同体のどれか1つが過度に強く/弱くなりすぎると、結果的に全体の秩序が乱れてしまうという考えかた。
柄谷、山口、中村の3氏鼎談では、「ネーション」の見方に関して、地域コミュニティというよりも、アソシエーション的な中間団体がより強く想定されていて、わたしにはどうも圧力団体のようなものが強く連想され違和感を覚えた。町内会ベースの共同体や、企業、組合はダメなのか。たしかに自由主義者にとって、古いタイプの共同体は、互酬性と同調圧力が強く息苦しい空間だろうし、柄谷さんや山口さんはそのあたりのベタベタ感を知っている世代だと思う。しかし、20~30代の者にしてみれば、そうしたものでも自らを包摂してくれる共同体になるくらい、個人が「砂のように孤立化」(川出良枝先生、p.20)しているのではないかな、と思ったりする。
いずれにせよ、政治をめぐるメタな議論が提示されることは、たいへんうれしい。そもそもニッポンの政治もジャーナリズムも、メタな議論との距離がありすぎる。政治記者が政治哲学や法哲学の主要な論争を知らなかったり、経済記者が経済学に無知であっても仕事はつとま……(むにゃむにゃ)。アカデミシャンも、コメンテーターとして登場する際は、マスコミの期待に応えることを処世術として……(むにゃむにゃ)
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