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2008年10月16日 (木)

虚構を暴く虚構『ダークナイト』

Dirkknight映画『ダークナイト』に少なからぬショックを受けた。バットマンは「正義」のヒーローでもなんでもなかった。いわば法的手続きを経ずに「悪」を懲らしめるビジランテ。マスクで顔を隠し、みずからが信じる「正義」だけに基づいて「悪」に鉄槌を下す独善的な姿は、KKKと同じ。この映画は、そのことを問い、現代社会における、法、正義、規範、善、倫理…など、わたしたちが自明視している諸価値をあらためて揺さぶってくれる。ジョーカーの言葉は、なるほど深淵である。

クリストファー・ノーラン監督 『ダークナイト』 (原題 : The Dark Knight、 2008、米)
公式サイト thedarkknight.warnerbros.com/dvd/

「スタートレック」なら40年以上のつきあいなので大体のことは分かるが、わたしはバットマンに疎い。実写映画をこれまで一度も見たことがない。そんなわたしが映画館に足を運んだ理由は、『ブロークバック・マウンテン』(アン・リー監督, 2005)に出ていたヒース・レジャーが、ジョーカー役を演じた後、薬物の大量摂取で死んだというニュースを読んだことがあること。そして、重苦しい内容だということをいくつかのサイトから教えられたためだ。

じっさいに見終えて映画館から出た瞬間、眼前に広がる平和な日常風景を焼き払いたくなっていた。それもこれも、ジョーカーのなせるわざ。しばらくジョーカー病は抜けそうにない。

わたしは知らなかったのだが、バットマンもジョーカーも、生身の人間ということになっている。超人でも怪人でもない。人の親から生まれた存在だし、ケガもするし、老いていく。バットマンは自警市民=ビジランテとして警察ができない捜査をおこない、警察の治安維持を補強する。職業警官よりも正義感が強く、知力も腕力もある。圧倒的な力によって、体制が維持されていく。

わたしが今回知ったのは、バットマンの正体が企業経営者で富豪ということだ。キテレツなマスクや衣装、車検をパスしそうにない高級車、最新兵器、これらすべてが会社の金で作られた特注品。従業員の労働によって稼いた利益を、「正義」や「善」のために好きなだけ流用できる立場にある。背任ともいえる資金で行われる「正義」への投資は、バットマンという異形の男の名声を高めるが、会社や従業員や株主に利益をもたらさない。警官たちにバットマンへの依存度が高くなり、なんでもバットマンに任せようという心理がモラル低下や腐敗を招く。

一方のジョーカーは、子供のころに親の虐待を受け、両ほほには口を裂かれた痕がある年齢不詳の男という設定。すさんだ貧しい家庭で、苦痛に満ちた暮らしぶりだったようだが、「ジョーカー」となってからは、まるで出家者のように私的所有への興味を失う。彼に興味があるのは、金や名誉などではなはく、社会に恐怖と疑心暗鬼の連鎖を起こしていくこと。それを遂行する武器は、市販のナイフや銃、ガソリン、爆薬など、どれも安価な既製品ばかりである。

人々がいとも平然と利己的動機にもとづいて組織を裏切ったり仲間を売ったりすることを、ジョーカーは体を張って見せつけていく。物語の冒頭で、強盗グループが、仲間に対して1人あたりの分け前を増やすためにお互い殺し合うよう仕向け、じっさいに強盗の全員が打ち合って死ぬ場面が展開される。また、映画後半では、爆薬をセットした2隻の船に、お互いの起爆装置を持たせ、相手の船を爆破すれば自分たちは生き残れるが、ともに爆破を放棄すれば2隻とも爆破するという逃げ場のない状況に追い込む。本当に怖いのは、ジョーカーや武器ではなく、人間が抑圧している人間性ということだ。

ジョーカーは、人間心理の醜さを人々に自覚させ、醜いじぶんを受け入れることを強要しつづける狂言回し。つまり、ホッブス的人間観を想起させることで、法、正義、規範、善、倫理の欺瞞性や虚構性を知らしめるわけだ。バットマンも人間が醜悪な存在だということを知っている点でジョーカーと共通する。つまり、人々は理解不能な敵という外的な虚構と、性善説的な内的な虚構によってなんとなく組織化されているが、、敵=悪の醜悪さは、みずからの合わせ鏡にすぎず、ちょっとした攪乱で人々は悪へのスパイラルに陥り、手に負えなくなる。そのとき権力者から要請されるのが異形のバットマンという虚構であり、その欺瞞的な虚構を暴くのがジョーカーという虚構なのである。

Dirkknight2ジョーカーもバットマンも脱社会的な存在として、いわば同じ穴のむじなな。お互い非合法な暴力装置である。「善」や「正義」という甘美な幻影を作るバットマンに対し、ジョーカーは独断的に語られる「善」や「正義」の欺瞞からの解放を目指す。ただ、この対比はバットマンに分が悪い。ヒース・レジャーの演技がすごいということもあるが、分化が進み高度に複雑化した社会では、陳腐な「正義」はなんら説得力を持たないのである。

前述したとおり、マスクを脱いだバットマンは資本市場の成功者である。それを隠し続けているのに対し、ジョーカーは顔をさらし、貧乏人の無産者であるという誠実な自己表現をおこなう。二者を並べると、あきらかに権力と資源が非対称性なのだ。ジョーカーはバットマンに「マスクを取って顔をさらせ」と迫るが、バットマンには勇気がない。まあ、従業員から不正流用を追及される恐れがあるし、好きな女性との結婚もできなくなる心配もある。本作品でバットマンは結婚を機に正義の味方を“寿退社”しようと考えていて、地方検事をヒーローにしようと根回しする。(なんたるせこさ!)

この構図は、なにを表しているのか。作品は宗教や文化のメタファーに満ちていると思うが、わたしは門外漢なのでそれらを脇へやり、自分なりの解釈を試みたい。結論をいうと、この映画はイラク戦争を描いているように思えるのだ。

冒頭で、バットマンはかつてのKKK的と表現したが、むかしのKKKと違うのは、彼がマスクを脱げば最新鋭の兵器も作れるハイテク企業のオーナーだという事実だ。これは、イラクで暗躍する民間警備会社「ブラックウォーター」のような存在といえる。米軍はイラクに大量破壊兵器があるという理由で兵を送り「無限の自由」作戦を展開した。だが、自軍の兵隊たちは脆弱すぎて次々に死んでしまう。それを補完するため「ブラックウォーター」という暴力資本と手を結ぶ。バットマンはそうした非合法な暴力を表象なのだ。

もしもバットマンが純粋に正義や善をもたらしたいと思って活動するのであれば、金儲けよりも軍人や政治家になるほうが自然。みずから無私な公僕となるのが筋である。だが彼は軍人や政治家にならず、あえて非合法的な暴力を行使する道を選ぶ。それは「悪を憎む」という表向きの動機に動かされているのではなく、金と暴力に取り憑かれ、人とは相容れない倫理観をもっていることの証左なのである。

米国の正規軍とブラックウォーターという合法と非合法な力を用いれば、ギャングとして表象されるフセイン政権の崩壊はたやすいだろう。所有している金と武器が違うのだから。だが、そこにジョーカーという、ギャングとは違った存在があらわれる。ジョーカーは原理主義者の自爆攻撃者のように無私で純粋。彼の情熱は、社会の諸価値の欺瞞性を暴くことに向けられる。

ジョーカーは、スキーマー(策略家)を信用しない。作戦名「無限の正義」やミサイル名「ピースキーパー」の偽善ぶりを熟知していて、人間本来の暴力性や利己的な性向をごまかしている法や正義、規範、善、倫理などの価値が、いかに脆弱なものなのか伝える。ジョーカーには善意にも悪意もない。あるのは、おそらく人間の解放であり、善や正義や悪などの虚構を取り払うことで、世界のヘゲモニーを握る米国が作り出す幻影をひっぺがす。

なぜそこまでするか。それはジョーカーが、米国の父権に養育された経験があるオサマビンラディン的な存在だからだ。ジョーカーは父親に裏切られ、虐待された。そんな彼が父親とコミュニケートする手段は暴力しかない。つまり父殺しの歴史を見せつけるしかないのだ。そんな彼にとって、中途半端に支配権力と手を結び、身勝手な「正義」を為そうとする金満家バットマンは、100回殺しても殺したりないクズということになる。

Heath本作品で、バットマンは盗聴という犯罪に手を染め部下の信頼を失ったり、狂った地方検事(ジョージ・W・ブッシュ的)を突き飛ばし結果的に殺してしまう。もはや、悪としてのじぶんを受け入れざるを得なくなるつまらない存在となる。そこに、大義なき戦争を繰り広げるアメリカの自信喪失と悔恨が含意されている。

そんなふうに見ていくと、この映画は子供向けアクションヒーローの衣をまとった、政治批判のように思われるのだが、こんなことを書いているわたしは、すでにジョーカーに影響されているので、どうか批判的に笑読していただきたい。ヒヒヒヒ、Why so serious?

最後に、あらためて、ヒース・レジャーの冥福を祈る。

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コメント

トラックバックいただき、ありがとうございます。こちらからもトラバさせていただきました。

大変読み応えのあるレビューで、感服しました。『ダークナイト』、後を引く映画ですよね。
日本ではバブルが崩壊した時、一部で「第2の敗戦」というこのが言われましたが、アメリカも世界恐慌以来の経済的、ベトナム戦争以来の軍事的な「第2の敗戦」に突入しつつあります。(『ダークナイト』が撮られた時点では、まだサブプライム問題は起こっていませんでしたが)そうした状況の中で改めてこの『ダークナイト』という作品を考えると、非常にvisionary(=洞察的、予見的)なものを感じます。

投稿: sokyudo | 2008年10月17日 (金) 12時15分

>sokyudoさん
 コメントをありがとうございました。
 この映画が visionary との見方にははげしく同意します。
 ノーラン監督は、かなり狙っていますね。

投稿: 畑仲哲雄 | 2008年10月19日 (日) 00時28分

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権 力 腐 敗 描 く  ダ ー ク ナ イ トバットマンは米国の有名な漫画の主人公で何度も映画化された勧善懲悪のスーパーヒーロー。今、上映されている映画は『ダークナイト』という題で公開され欧米で大ヒット中。夜中に蝙蝠(コウモリ)の図柄を空に投影すると、どこからか覆面の正義の味方が駆けつける「お約束」となっている主人公は暴力で制圧するだけ。バットマンは富豪のうえ会社の特別費を使い放題でバットモービルなどを特注する権力者。なにやら、世界の警察官=米国みたい。米国と違い殺しはしないが、暴力で正義を目論む... [続きを読む]

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再追記。読んで。 [続きを読む]

受信: 2008年10月17日 (金) 00時13分

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